2 起承転結

文字数 3,889文字

2 起承転結
 「エッセイ」は三社エル・ド・モンテーニュが1680年に刊行した『エセー』に由来する。彼は「私は何を知っていよう?」という反省的な態度で徳の実践について記している。近代に入り、文学の共通基盤は社会になると、エッセイの扱う主題も拡張する。自らの価値観に基づきながら、さまざまなトピックについて反省的思索を展開する。それは物語性の弱い告白の短編形式である。

 英語のエッセイはイントロダクション・ボディ・コンクルージョンの三部構成が標準形である。導入で自分の考えをその理由と共に述べ、本論においてそれを論証、結論は冒頭の主張を強調する。通常、筆者の意見は冒頭と末尾で一致している。テーマは自由であるが、筆者と読者は価値観の共有を前提にしているので、学術論文ほどではないにしても、共通理解のため構成を始め決まり事がある。

 英語のエッセイと比べて、日本語のそれは形式の決まりが緩い。日本の散文執筆の際に、しばしば「起承転結」が説かれる。インターネットで検索すると、そうしたノウハウの指南をいくつも目にする。しかし、「起承転結」は漢詩に由来し、唐代に完成した絶句の構成法である。この定型詩は 4句で形成される。第1句が起こしの「起」、第2句がそれを承ける「承」、第3句はその転調である「転」、全体を締めくくる第4句は「結」である。起承転結は絶句を構成する四つの句のそれぞれの機能を言い表している。死の構成法であって、本来散文のものではない。

 日本の歴史を顧みると、舞や能など舞台芸能の創作の際に、「序破急」の三部構成が伝統的に共有されている。これは進行の速度変化を表わしている。英語で言うと、「序」は”Introduction”、「破」は“Exposition(Development)”、「急」は”Rapid Finale”である。この三部構成は現在も映画やドラマを含め脚本執筆の際に基本として認知されている。

 次の杜甫の『絶句』を例に起承転結を見てみよう。

江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年

 現代語訳は次の通りである。

川は碧く、鳥はいよいよ白い。
山は青く、花は燃え立つ。
今年も春がまたう過ぎ去ろうとしている。
いつになったら故郷に帰れるのやら。

 起承は風景描写である。連鎖しているだけで、作品は動いていない。転は風景から受けた作者の印象が語られる。関心が外界から内面に転回され、作品が動き出す。それは結に向かわせて作品を進行させる。転を馬得た上、作者の心境を述べる結に到達する。起承が扱う外界を転が結の内面とつなぐ。

 絶句は定型詩であり、創作・鑑賞・評価には固有のリテラシーが不可欠である。起承転結だけで作品を語れるものではない。これはあくまでもこの構成法の流れを確認するための零時である。

 確かに、絶句は意識の流れに触れるので、起と結は主張の上で必ずしも同じではない。西洋のエッセイに慣れた目から導入と結論の意見が異なると指摘される通りである。だが、起承転結に基づいて創作する場合、意外性が要求されるのは起ではなく、転である。意表を突く書き出しは起承転結のレトリックではない。実際、現代日本で「起承転結」は、四コマ漫画の構成法のように、アイロニー様式として理解されている。そこでは急速な落としが評価される。

 この起承転結の構成法に基づいてエッセイを執筆したのが小林秀雄である。彼は明文化として知られるが、意外性のある書き出しを概して使わない。むしろ、書き出しは影響を受けたアラン同様、さりげない。

 それを確かめるために、名文との誉の高い『ゴッホの手紙』の冒頭部分から少し引用してみよう。

 折からの遠足日和(びより)で、どの部屋も生徒さん達が充満していて、喧噪(けんそう)と(ほこり)とで、とても見る事が(かな)わぬ。仕方なく、原色版の複製画を陳列した閑散な広間をぶらついていたところ、ゴッホの画の前に来て、愕然(がくぜん)としたのである。
 それは、麦畑から沢山の(からす)が飛び立っている画で、彼が自殺する直前に描いた有名な画の見事な複製であった。(もっと)もそんな事は、後で調べた知識であって、その時は、ただ一種異様な画面が突如として現れ、僕は、とうとうその前にしゃがみ込んで(しま)った。
 熟れ切った麦は、金か硫黄(いおう)の線条の様に地面いっぱいに突き刺さり、それが傷口の様に稲妻形で裂けて、青磁色の草の緑に縁どられた小道の泥が、イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に()き出ている。空は紺青(こんじょう)だが、嵐を(はら)んで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原の様だ。全管絃楽が鳴るかと思えば、突然、休止符が来て、烏の群れが音もなく舞っており、旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向うに消えた――僕が一枚の絵を鑑賞していたという事は、余り確かではない。(むし)ろ、僕は、或る一つの(おお)きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる。

 ゴッホ展を見に行ったところが起、模造品を目にして感動するところが承である。意識の流れが記されているが、小林秀雄の考えは示されていない。次の転で彼がそれを語ると予想する。ところが、ゴッホに関する評価と思いきや、実は、次のようなものだ。

 文学は飜訳で読み、音楽はレコードで聞き、絵は複製で見る。誰も彼もが、そうして来たのだ。少くとも、凡そ近代芸術に関する僕等の最初の開眼は、そういう経験に頼ってなされたのである。飜訳文化という軽蔑的な言葉が屢々(しばしば)人の口に上る。(もっと)もな言い分であるが、尤もも過ぎれば嘘になる。近代の日本文化が飜訳文化であるという事と、僕等の喜びも悲しみもその中にしかあり得なかったし、現在も未だないという事とは違うのである。どの様な事態であれ、文化の現実の事態というものは、僕等にとって問題であり課題であるより先きに、僕等が生きる為に、あれこれの退(の)っ引(ぴ)きならぬ形で与えられた食糧である。誰も、或る一種名状し難いものを糧(かて)として生きて来たのであって、飜訳文化という様な一観念を食って生きて来たわけではない。(略)現に食べている食物を何故ひたすらまずいと考えるのか。まずいと思えば消化不良になるだろう。

 転結における小林秀雄の主張は複製文化の擁護である。しかし、先の引用部分を読んでもこうした結論に至るとはなかなか想像できない。ゴッホの複製画に圧倒されたことと日本における複製文化の意味との間には論理の飛躍がある。ゴッホの複製画とについての個別的な自身の印象の分析もろくにないまま、複製文化一般の用語を展開している。率直に言って、ゴッホの複製画をめぐる仰々しい印象がなくても、書き得る内容である。

 全般的に言って、小林秀雄は「意匠」、すなわちイデオロギーから自由でありたいとして、自分の信念や経験、直観を結論とする。それらはいずれも彼の内側にあるもので、論拠として不十分だ。そこで、トピックに対する自分の意識の流れを記し、坂口安吾が『教祖の文学』で批判した通り、ロジックの不足をレトリックで補う。

 かりに起承を転と結で挟むと、この作品は西洋流のエッセイへと変身する。転を導入、起承を本輪、結を結論とすれば、暴投と末尾の意見は一致しそれを自らの経験によって論証する。論拠が自分の印象のみなので、証明としては弱いけれども、起承転結の構成より飛躍が目立たない。

 そのように構成を変更しても、このテキストの主題は日本における複製文化である。ゴッホではない。論拠に基づいた思考を意見として述べると言うより、筆者が経験の中での心情の変遷をから到達した境地を描き、読者がそれに共感する。そうした鑑賞のため、この作品においてもっとも有名な部分は「寧ろ、僕は、或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる」のレトリックであって、結論ではない。

 従来の文章術は活字メディアにおいて蓄積されてきたものだ。インターネトの浸透が文章術に修正を促している。ネット上のドキュメントは検索を通じて閲覧されることが主流である。その際、自分お関心と違うと判断すれば、すぐにページからは去って行く。冒頭と末尾の主張が異なり、書き出しが印象的でもどこに行くかわからない文章には、戸惑ったり、苛立ったり、横道にそれて理解したりして最後まで目を通さない。「ゴッホ」を検索して、その小林秀雄のエッセイを読み始めた人はそうするに違いない。PVを増やすために、意見を文頭に置く頭括型や結語にも用意する双括型が望ましい。

 加えて、生成AIの急速な普及も文章術をさらに更新するだろう。確かに、日本語であっても、AIの文章構成は英語のそれに従っている。しかし、日本流のエッセイを駆逐することが真の変換はそこではない。AIの論理は因果性がなく、相関性だけである。そのため、生成する文章は情報の羅列で、それらの間に論理の飛躍がある。因果性に基づく文章作成はAIにできない。其れこそが人間尾執筆すべき文章である。ところが、従来の日本のエッセイはレトリック優先で、ロジックがおざなりであることが少なくない。それはAIにとって代わられるものだ。これかあの文章術は人間の書くべきものは何かという問い抜きにはあり得ない。もはや日本語特有ではなく、人間固有のエッセイが反省的態度によってに模索される時代である。
〈了〉
参照文献
鴨長明、『方丈記』、浅見和彦校訂、ちくま学芸文庫 2011
小林秀雄、『小林秀雄全作品』20、新潮社、2004年
松浦友久他編、『漢詩の事典』、大修館書店、1999年
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み