3 俺も俺

文字数 4,618文字

『いい加減気が付いたらどうなんだ? え? 甘ったるいもんばっかりじゃねえか。脂肪ばっかり食わされて喜んでんじゃねえ』
 しかめっ面でがなり立てるジョー。平らげる寸前で俺はなんとか思いとどまった。
「わかったよ。ちゃんとジョーの分もーー」
『俺はそんなもの食わねえ』
 渋い声で吐き捨てるジョーに、俺は首を傾げた。
「なんだ。どうしたんだよ。嫌いなら俺が食ったってかまわないだろ。めちゃくちゃ美味いぞ。今までの三十倍は美味い。もしかして、本当に何百倍も美味い飯がこの世にはあるのかもな」
 嬉々として話す俺を睨みつけると、前屈みになったジョーが唸った。
『あっという間に子豚になっちまうぞ』
 俺は皿の中身を食べていいものか悩みながら言い返した。
「運動したらいいんだ。閉じ込められて動かない方がおかしいだろ」
『運動はするな。考えてもみろ。奴らはチビ助を太らせてどうするつもりだ?」
「えっ……」
 現実を思い出して、俺は身を固くした。
 ジョーはきりっと目を釣り上げた。
『とにかく奴らはお前に食わせようとしている。なぜだ? 答えは一つしかねえ。食うためだよ』
 俺は左右に首を振った。
「まさか。俺だってそこまで馬鹿じゃないよ。そんな子ども騙しみたいな話はさすがに本気にしないさ」
『じゃあ、なんだったら納得できるっていうんだ?』
「えっと……」
 俺は返答に困った。何も浮かばない。考えないようにしてきたからだ。考えたくないんだ。
 俺の胸に指を突きつけて、ジョーは言った。
『俺を信じろ』
「信じろって言ったって……」
 ジョーは声を張り上げた。
『俺がお前をここから出してやる! 必ずだ!』
「無理だよ」
『なぜだ?』
 不安が胸につかえて、急に心細くて仕方がなくなったんだ。
「だって……ジョーは俺の妄想だからーー」
『妄想だって⁉︎ おいおい、一丁前にジョークを飛ばしやがるぜ』
「ぬいぐるみが話せるわけがないじゃないか……」
『はっ! おかしな野郎だ。俺がお前の妄想だっていうんなら、なおさら信じない理由はねえだろうがよ。俺はお前なんだろう? てめえを信じないで、いったいなにを信じるっていうんだよ』
 皮肉たっぷりの声が、遠くに聞こえる。
「俺にはなにもないんだ」
 今にもジョーが消えそうで、俺は叫んだ。
「俺にここを出て行く力なんてないよ!」
『ああ、なんもねえ』
 消え入りそうな声が、いきなり爆発した。
『今はな!』
 茶色い影がじわじわと俺に迫ってくる。
『お前はなんにも成し遂げたことがねえ。だがな、悪事に手を染めたことだってねえ。それ以上に偉いことなんかあんのかよ。俺はなあ、悪事を働いたってことだけはどうにもならねえ。そこだけにはな、逆立ちしたってお前には敵わねえよ』
 俺はうろたえた。褒め言葉が出てくるなんて、思いもしなかったからなんだ。だけどそれは手放しで喜んじゃいけないことだったんだ。
「ここの……えっと、あれだ……。大事な鍵を盗もうとしたんだよ、俺は。だからこんな目に……」
 俺の鼻先でジョーが口を大きく開けて騒いだ。
『入ってすぐにとっつかまったじゃねえか! 玄関でな! 侵入したわけでもねえのに!無理やり他人を閉じ込める奴のことを世間では悪党だって言うんだぜ!』
 怖くなって、俺は早口で喚いた。
「でも、盗みを働くつもりだったんだ!」
 ジョーの両手が、がっちりと俺の肩を掴んだ。
『よーく考えろ。なんで盗みをしようと思った? 唆されたからだろ』
「だって……」
『お前みたいにものを知らねえ馬鹿を使う理由は一つしかねえだろ? 訪ねてきた奴を問答無用で閉じ込めるのはなぜだ? チビ助はろくでもねえ奴ら悪事に巻き込まれただけだ! 奴らがグルでも俺は驚かねえぜ!』
 ジョーは血走った目で、今にも湯気が吹き出しそうな顔で怒った。怒って怒って、怒り続けた。
『俺はなあ! 目に見えている失敗を見て見ぬ振りする野郎どもが大嫌いだ! いくら親切ぶったところで、顔には感謝しろと書いてあるような連中だ! 他人の命令を聞くばっかりのガキに、今に今まで、誰一人話を聞いてやらなかったなんてな! だがな、それも今日までだ! 俺みたいにな、立派な熊がいれば、人間はひとりぼっちだろうが十分に戦えるんだ! ぶっ壊すぞ! いいな! 俺のいうことを聞け!』
 ジョーだって命令してるじゃないか。
 そう言い返そうとして、言葉にならなかった。
 俺は少し笑顔になって、うなずき返したんだ。

 結局、俺はジョーの言う通りに、食べる量を減らした。クリームたっぷりのプティングや、砂糖できらめくワッフルは、差し入れられたとたんに、ジョーが外へ放り出してしまう。正直口惜しいけれど、そのたびに、外にはもっと美味しいものがあるとジョーが吠えるので、信じてみようと思ったんだ。そのかわり、美味しいものがなかったら、その時は思いっきり文句を言ってやろうと、俺は心に決めているんだ。
 掃除とストレッチが終われば、もうやることがない。後はだらだらとジョーを話をするばかりだ。ジョーの話はいつもどこかがおかしいんだ。
『俺も昔は痩せていたんだ。ちょうどお前みたいに、馬みたいな細い顔だったんだぜ』
「うっそだあ。身体が変わるわけないじゃないか。それに、馬って。そんなに俺の顔は長くないだろ」
 はんっとジョーは斜に構えた。
『じゃあロバだな。ああ、それがいい』
「よくないよ。まあ、馬面の熊よりはいいかな」
『馬面じゃねえ! 今よりちょおっと、ちょおっと顔が細かったんだよ。身体も引き締まっていてなあ』
 ゆさゆさと身体を揺らして必死になるジョー。もこもこの身体で言われても、説得力なんてまるでないのに。ジョーの過去話はどれもうさんくさいんだ。
 ジョーはにやにやしながら俺と肩を組んだ。
『嘘じゃねえぞ。お前にとっておきの筋トレを教えてやるよ。シュッとなるぜ』
 確信に満ちた目。なぜなんだろう。未来の話だけは、いつも本当らしく感じるんだ。

 地味にきつくて、凄く時間がかかるトレーニングだった。ゆっくりと筋肉に負荷をかけていく。同じ姿勢をキープするのは、時計のないこの部屋では、拷問のように感じられた。どれだけ続けるかはジョーしだいなんだ。衰えた身体に筋力が戻り始め、見計らったようにジョーはトレーニングの難易度を上げていった。俺も消灯や配給から、なんとなく時間を把握しているけれど、ジョーの感覚は、まるで時計を持っているかのようなんだ。今が何時かと聞くと、すんなりと答えてくれるんだ。もっとも、合っているかどうかなんて、わからないけれど。奴らによって少しつずつ、一日三十時間生活に変えられていたとしても、俺たちには気づきようがないんだから。
 それでも、日数くらいは数え続けるべきだったと、俺は後悔していた。時間には自信満々のジョーも、日付までは答えられなかったんだ。はなから気にしていないとばかりに、ジョーは言うんだ。
『そんなもん、外へ出たらその辺にいる奴をとっ捕まえて聞きゃあいいだろ』
 俺はここへ来た時のことを思い返した。車で近くまで運んでもらったんだ。周りには他の建物がない寂しい場所だったはずだ。ジョーは知った顔でうなずいた。
『問題ねえ。そのための筋肉だ、前のかさばる筋肉とは違うだろ? うん?』
 確かに何かが違う。あれだけきついのに、身体が大して太くなっていないんだ。それでも、力強さを確かに感じる。そういえば、野菜ばかりを食べさせられているな。
 俺はジョーの顔を見た。
 もしかして……。
「骨が太くなった気がする!」
『違えよ』

 その日、俺は熱を出した。
 身体がだるくて、何度も鼻をすすった。
 それだけのことだったから、俺は大したことがないと思ったんだけれど、ジョーが寝ていろとうるさいんだ。仕方なくベッドで大人しくしている横で、ジョーが忙しなくうろうろしている。目が合うたびに、寝てりゃ治ると自信たっぷりに断言するのがおかしかったな。
 昼食は大ボリュームのポタージュとホットワインだった。他には飴が三個、トレイに乗せられていた。
 とろけた野菜をすすっていると、なんだかほっとしたんだ。とても美味しかったけれど、全部は食べきれそうになかった。たぶん、胃が小さくなっているんだ。今までなら、どんなに体調が悪くても、気持ちが悪くても、食欲がなくなることなんかなかったのに。なんだか自分の身体じゃないみたいだ。自分も変わることができるんじゃないと、俺は密かに期待をしていたんだ。
 飴を食べずにトレイを返そうとすると、ジョーが止めに入った。
『食え』
「えっ? たぶんだけど、甘いんじゃないか……?」
『薬だ』
「薬……?」
『おおかた風邪薬だろう。少しは楽になるぞ』
 顔を綻ばせた俺に、ジョーはぴしゃりと言った。
『優しさなんかじゃないぞ』
 俺はしゅんとなった。気を取り直して、なんでもないとばかりに言葉を返した。
「……わかってるよ。病気じゃ困るんだろ」
『罪悪感の穴埋めだな』
「どういうことだ?」
 ジョーは苦々しく言い放った。
『連中はボスの言いつけを守っているだけだからな。少しでもまともに人間してりゃあ自分の仕事に疑問を持つだろうさ』
 それが俺には、希望が持てるように思えたんだ。
「それじゃあ、いつかだし出してくれるかもしれないじゃないか」
『そんな甘いもんじゃねえよ。ボスの命令と、お前の幸せ。どうすれば釣り合いが取れる? お前がこの監獄で楽しく生活してくれりゃあ、満足できるだろう? お前の人生を食い潰していることには変わりがねえ。偽善者どもは、お前に癒して欲しいのさ。恩を売って、見返りに命を啜ろうとする卑しい心の現れさ。従っちゃあならねえからな。チビ助は脱出することだけを考えろ』
 ぼーっとする頭に、ジョーの声が響き渡る。
「なんでボスは俺を閉じ込めているんだろう……」
『馬鹿みてえなカメラの多さはよ、監視じゃねえ。観察するためのもんだろ。他人の人生を覗き見したくてたまらねえんだ。喜ばせたり、苦しめたりしてえんだよ。どうなるか知りてえんだ。試すまでもないことにまで手を出してやがる』
「うーん」
『こう言やあ、いいか? お前だってボクシングの試合に夢中になるだろ』
「それとこれとは全然違うだろ?」
『根っこにあるのは同じさ。元を辿れば俺たちのせいでもあるんだがな』
「俺たち?」
『いい子にしていていいことなんかあったか? 神様は助けてくれたか? 人間が人間を支配するためのくだらねえ言い訳になっちまった。同時に、支配される喜びを植え付けちまった。自分を犠牲にして生きていけるわけもねえ。誰も助けてくれねえ時に、なんの力にもならねえことを教えちまった。だから俺は壊さなくちゃならねえ。いいか、お前が逃げおおせるてことはな、連中を解放してやることにもなるんだ』
 どうしたらそういうことになるのか、怪訝そうに見る俺を、ジョーの目が真っ直ぐに射抜いた。
『お前が自由にならなくちゃいけねえように、あいつらも、こんなくだらねえ仕事から自由にしてやらなくちゃいけねえんだよ』
 訳のわからないことを言い出したジョー。心配になってきた。ひょっとしたら、俺の病気は、ただの風邪じゃないのかもしれないぞ。
 ジョーが飴玉を口に押し込んでくる。
 飴玉を転がしながら、俺は言った。
「熊に言われてもなあ……」
『チビ助め』
 俺の頬をつねろうとして掴めないジョーの手が、くすぐったくてしょうがなかった。
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登場人物紹介

筋肉が自分を守ってくれると信じてひたすら筋トレをしている。

騙されて捉えられてしまった。

ジョー

思い出のテディベアがリンクしたイマジナリーフレンド。

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