第1話Blue Lagoon

文字数 2,147文字

Blue Lagoonは1979年12月に発売された高中正義の5枚目のアルバム「JOLLY JIVE」に収録されている彼の代表曲である。
このアルバムは翌年の夏に会社の独身寮の隣室にいた入社同期のYの部屋で初めて聴いた。
この時入社2年目。
そして最初の曲がBlue Lagoon。
「オ~、カッコいい曲だなあ。」といっぺんで気に入ったので、レコードを彼から借りてカセットテープに録音し、その頃背伸びして買った中古車のカーステレオや通勤時に発売されたばかりのSONYのウォークマンで聴いていた。


Yとは会社の部署も異なり仕事ではあまり接点がなかったが何故かウマが合い、仕事終わりの頃に電話がかかって来てよく飲みに行っていた。
当時の独身寮では金曜日の夕食が無かったので、ハナキン(もはや死語!)の夜の独身男どもは「放し飼い」状態。
私たち寮生は徒党を組んで終電ぎりぎりまで飲んだくれ、東急池上線の駅から独身寮までの徒歩15分の帰り道でも「小腹が減った」と鮨屋2軒をハシゴする始末。
ようやく寮に辿り着いても一味の誰かが「卓球やるぞ!」と号令をかけ、締め切った娯楽室で「JOLLY JIVE」や少し後に発売された大瀧詠一の「A LONG VACATION」を大音量で流しながら夜明け近くまで死闘を繰り広げた。


Yとはそれぞれ結婚して独身寮を出てからも、時々飲みに行った。
大概はたわいもないよもやま話に終始していたけれど、「最近読んだ中で面白い本は何か?」というのが飲み屋での彼とのお約束の話題。
私は村上春樹やロバートBパーカーのスペンサーシリーズを紹介し、彼は辻邦生の新作等を推していた。
意外だったのは彼が大藪春彦のファンであったことだ。
彼は東大法学部卒で仕事もでき人当たりも良く、加えて俳優の佐藤浩市に似ており女性にもよくモテた。
凡そアウトロー的な感じのしないタイプであったが、大藪春彦の小説に出てくるダーティーヒーローの真似をしてコーヒーにバターを入れて飲んだり、「男が野菜を摂るなら軟弱なサラダじゃなく豚汁にしろ!」と口走っていた。

私は35歳くらいから海釣りを始めたが、時々彼も同行した。
運悪く釣果に恵まれない時には、「真鯛がガンガン釣れると言うから早起きして来たけど、全然釣れないじゃないか。ダマされた!」などと半分冗談、半分本気で悪態をついていた。


私たちが50歳なかばの頃、Yは同期でいち早く役員になった。勿論さらに将来を嘱望されていたと思う。
ところが、その彼を病魔が襲った。
進行の極めて速いスキルス性の胃がんで、病院で検査を受けた時には既に手遅れであった。
会社もしばらく休みを取って自宅療養をしていたけれど、2011年の盛夏のころ彼は再び出社した。
昼近くに彼から電話がかかって来て、これから同期数人と昼飯を食べようと言う。
きっと彼なりに別れの挨拶をしたかったのだろう。

昼飯を一緒に食べた者は全員彼の病気のことは承知していたが、誰もそのことには触れない。
その代わり独身寮時代のバカ話で座が盛り上がった。
彼は思ったより顔色も良く見た目はあまり変わらなかったが、さすがに食欲が落ちて大藪春彦風には食べられなかった。
別れ際に、「涼しくなったら、また鯛を釣りに行こう」と声をかけた。「おお、行こう。だけど今度は本当に釣らせろよ!」という返事だった。
これが彼との最後の会話になった。

それから1月後の9月に彼はこの世を去った。今は八王子の広大な霊園のなかで眠っている。


私は仕事をリタイアしてから、多摩川の上流をパックラフトというカヌーとゴムボートのハイブリット的な一人乗りのボートで下る事を趣味の一つに加えた。
毎年桜の咲く頃から紅葉の時期まで平均週1回のペースで横浜の自宅から車での奥多摩の青梅まで出かけている。

それに伴い年に2回、春は4月上旬、秋は命日近くの9月下旬に多摩川を下った後で少し寄り道をして彼の許を訪れることが新たな習慣となった。
いずれも彼岸の墓参りシーズンが過ぎた頃の良く晴れた日を選んで行くことにしている。
人の姿がほとんど無い平日の霊園の少し重い雰囲気を明るい陽射しがうまく中和してくれるからだ。
そして墓参りというより「おい、近況報告に来たぞ」という感じのほうが私たちにはしっくりくるような気がする。
だから、服装も川下りの時のラフなジーンズ姿のままである。


Blue LagoonはYのLPから録音したカセットテープが劣化してしまったので後日CDを購入したが、いまだに車を運転する時によく聴いている。
40年以上も昔の音楽という感じが全くしないけれど、聴いていると気分は昭和の青春時代にタイムスリップしてしまう。


先々週、恒例の春の近況報告に行ってきたが、その際ふと思いついて「JOLLY JIVE」のCDを持参した。
墓にCDを供えるのは少し場違いかなとも思ったが、それは杞憂だった。
柔らかな春の光に輝くホワイトグレーの墓石にカリブ海を思わせる明るい色の海に浮かぶ純白のヨットと「JOLLY JIVE」の鮮やかなレモンイエローのアルバムタイトル。
妙な取り合わせだったけれど、何故かとてもしっくりきた。
きっと彼ならニヤリとしながら、「梶井基次郎が丸善に置いてきた檸檬の真似をしたな。」と言いそうな気がした。
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