セリフ詳細

励まし…それは、希望を送ることではないだろうか。自分にとって大切なことは、なんだろうと考えれば考えるほど、いろいろなことが浮かんでくる。それは日々の食であったり、感謝を忘れないことだったり、書くことであったり…。


でも、本当に自分が大切にしたくて、やりたいことは何かと考えたとき、心の奥から出てきたのが、「人に希望を送ること」=「エール(励まし)を送ること」だと思った。それには、3つ理由がある。


1つ目は、わたしが社会人になり、親元から離れて自立したときのこと。母がうつ病になり、母の看病をしなければならなくなった。母1人子1人で育った私は、頼れる人がいなかったので、会社を辞め、アルバイトをしながら母の看病をすることになった。ところが、目を離すと母が死のうとするため、アルバイトに行くことが怖くなってしまったのだ。

精神的にも金銭的にも厳しく、誰かに相談をしたいと思っていたとき、中学時代の親友のお母さんにバッタリ道で会った。藁にもすがる気持ちで現状を話すと「それなら、あなたが働いている間に、私があなたのお母さんのことを看ていてあげる」と言ってくれたのだ。そして本当に毎日毎日うちに来て、母のことを看てくれた。母にとっても私にとっても、それがどれだけ心強かったことか。親友のお母さんは言った。「あなたが、本当にお母さんの幸せを思えるようになったとき、お母さんの病気は治るわよ」と。


というのも、母は離婚してから必死に働いて子どもを育てようとしていたが、遊びたい盛りでもあった。男性社会の中で、ノルマを突きつけられて働くストレスもあったことだろう。母はよく飲み歩くようになった。そして、男性との交際も多々あった。私は子どもながらに、母から愛されているのか、不安を抱いたまま大人になった。そして、母を愛するがゆえに、憎しみも強くなっていったのだ。それだけに、ようやく自立して、自分の人生を自由に生きられると思った矢先に、そんな母の看病をしなければならなくなった現実を受け入れることができず、逃げたいとばかり思っていた。


そんな私の心を見透かしたのか、親友のお母さんが言った言葉が胸に響いた。その日から私は、その言葉を信じ、1日も早く母の病気を治すために、なんとか母の幸せを心の底から思える自分になろうと努力した。

すると、母と初めて長い時間過ごすなかで、少しずつ母の幸せを思えるようになり、心が変わったことで母に対する言動も変わったせいか、母の病状がどんどん良くなっていったのだ。やがて、1年で社会復帰を果たし、今も元気に過ごしている。私たち母子の今があるのは、親友のお母さんの励ましの行動があったからこそであり、私はこのとき、親友のお母さんがしてくれたように、困っている人がいたら、励ましを送れる人になろうと決意した。それが、親友のお母さんへの恩返しにもなると思ったからだ。


2つ目は、小学校のころのこと。私は作文コンクールに3度入賞し、担任の先生から「君の素直な感性を伸ばしていけば、必ず花が開く」と褒められ、その一言で「将来はライターになる」と決めた。そもそも、母子家庭で常に寂しい思いをしていた私の心の支えは「書くこと」だった。友人にも打ち明けられない家庭の事情や寂しさを書くことで、心のバランスを取っていたのだ。当時、私の本当の思いを知っているのはノートしかいなかった。ノートだけが、何でも打ち明けることができる親友だった。そして、母の病気で退職するというアクシデントがあっても、自分で自分を励まし、書く仕事に就くという夢を諦めず、挑戦し続けた。


つらいとき、大変なときこそ、自分で自分を励ませるかどうか…それが、生きるうえで、何より大切なことではないだろうか。悩みのない人生なんてないからだ。だからこそ、自分で自分を励ますことができる人は、どんなに絶望な状況のなかでも、希望を作ることができる。

自分で自分を励まし、諦めなかったことで、夢だった職業に就くことができた経験からも、そう断言できるように思う。


最後の3つ目は、うつ病の母のことで悩む友人に、自身の経験を通し、具体的なアドバイスを送ったときのこと。ここでは書ききれないくらい、波瀾万丈な人生を生きてきた私だが、でも、だからこそ、人の心に寄り添い、様々な経験を通して、励ましを送ることができる自分になれたように思う。

悩みの渦中は、誰もが苦しいものだ。でも、必ずその経験が、人の役に立つときがくるのだ。そして、私は、その友人に励ましを送りながら大切なことに気づかされた。それは、人を励ますことで、自分が励まされているということだ。ふしぎなもので、人を励ますと、自分に力が湧いてくる。人を励ましたいという思が、命の底から泉のように生命力らしきものが湧いてくるらしい。


先日、20年前にアルバイトで一緒に働いていたおじさんがコロナの影響で職を失い、都心のはずれで1人で暮らしていることを知った。おじさんは若い頃に好きな人ができ、子どもと奥さんを捨てて離婚をしたらしく、ずっと1人でバリバリ働いてきた。ところが、70過ぎて職を失い、精神的にも金銭的にも肉体的にもガタがきて、情けないと落ち込んでいるようだった。世間からしたら、自業自得だと思う人もいるだろう。でも私は、おじさんに何ができるか真剣に考えた。人は間違いをおこすこともある。真っ当に生きていける強い人もいれば、そうでない人もいる。それが人生であり、そこから学び成長することもたくさんあるものだ。

私は、昔仲良く働いた仲間であるおじさんのために、シルバー人材センターを調べて紹介し、毎日LINEで連絡をとり、孤独にはさせまいと、日々エールを送っている。「安否確認ありがとう!こんな娘がほしかった!」と、返信がきたとき、おじさんの喜びは私の喜びだなと思った。


隣人との付き合いがない現代。励ましという行動が広がれば、世界が変わるかもしれないと本気で思っている。争いのない世界に…。1人の励ましが、やがてまた1人へとつながることで、他者を思いやる社会に変わっていくだろう。だからこそ私は、日々、人に希望というエールを送りたいという思いで、記事を書いている。かつて絶望の底にいた私が、励ましによって救われたように…。〈完結〉

作品タイトル:私にとって大切なこと

エピソード名:第1話励ましが世界を変える【エッセイ賞】

作者名:ami19760730

2|その他|連載中|1話|2,557文字

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