第4話

文字数 4,709文字

 前回を踏まえ警備隊と共にタンキン西路へと向かったビンチ、フィックスの両名だったが、目指す建物内には赤毛の男もフレアの姿すでになく、その痕跡のみとなっていた。
 三階の窓は外からこじ開けられ、同じ階にある監禁部屋の鍵は閂が土台から剥がされ役に立たなくなっていた。誰か閉じ込められていたようだが、今はどこも無人である。
 他の階は至る所に人が転がっている。気絶する程度で済んでいる者が多いが、この先寝台から起き上がれるのか心配な数人も含まれている。身に着けている服装が高価になるほど扱いが酷い傾向だ。
「マトリウスが見つからないということはまだ続くんだろうな」とフィックス。
 二人は荒らされた幹部の部屋を捜索していた。これまでの傾向から彼らが追うヨハ・マトリウスなる殺し屋は次へと向かうための手掛かりを残している。彼らは総出でそれを探したが見つかったのは禁制品の紫片や冠炎と多額の金、その結果更に保安部も呼ぶこととなった。男一人のため規模が大きくなる一方である。
「娘のために死に物狂い男と、さらにあの女が絡んでこの先どうなることか」
 ビンチは手掛かりとなる書付がないか床に転がっていた壺をのぞき込み、手を突っ込みかき回す。
 殺し屋マトリウスは娘を人質に取られ殺しを命じられた。しかし、彼はそれを拒み逆襲に出た。女の精霊を呼び出し娘の居所を問い詰め、仲間を痛めつけた。それがいち早く目覚めた構成員から得た証言だ。
「ターバンで顔を隠した男がそこに入っていくのを近所の住民が見ていました」共用回線に通信が入る。「紺のウエストコートの男です。男が出ていくのは見ていませんが、しばらくして貧相なスモックの男が大きなずた袋を肩に担いで出ていったそうです。そいつは赤毛ではありません」
「了解、他に何か見た者がいないか、引き続き聞き込みを続けてくれ」と上官らしき声。
「一人追加か?」ビンチが顔をしかめる。
「さぁな」
 フィックスは体を屈めて幹部の机の下をのぞき込む。
「二階デリーです。帳簿に書き込みを発見しました。磯辺通二の五、七刻と書かれています。これは関係はあるでしょうか」 
 二人は立ち上がり時計を探した。幸い壁に掛けられた時計は無事だった。時計の針は六刻を半分以上過ぎている。

 七刻を告げる鐘を合図に倉庫の前に四台の馬車が押し寄せ停車した。ボノギョルノ頭領キア・コ・イケラは部下たちと共に客車を降りた。他の馬車を降りた部下が大扉を前に散開する。一人がマトリクスの娘の腕を持ち引きずるように歩かせている。すぐに殺すこともできたが考え直した。この扉の向こう側にマトリクスがいる。その目の前で殺すのも一興だろうと。
 あれからすぐコ・イケラは手練を五人この倉庫に向かわせた。ほどなくマトリクス捕獲の報が入った。倉庫にのこのこやって来た奴を倉庫番と共に捕らえた。たっぷりぶちのめしたがまだ十分生きているとのこと。すぐにでも駆けつけたい衝動を抑え、わざわざこの時間にやって来た。
 部下たちが正面の大扉を開きコ・イケラ自ら先頭で入っていくが、そこには誰もいなかった。ただ荷物がうず高く積まれた普通の倉庫の光景だ。
「頭領、奥におります。そこの通路を進んでください」頭蓋に声が響いた。「面白い見世物を用意しております」
 コ・イケラは一瞬顔を緩め、前を指差しまもなく通路を歩き始めた。その後ろを部下たちが続く。木箱がうず高く積まれ、深い渓谷の小道のようになった通路を抜ける。
 どこかで鎖が擦れる音がする。それは止むことなく前方から聞こえてくる。通路を抜けるとそこは詰所前の空間となっていた。そこでコ・イケラは言葉を失った。
 天井の明かり窓から差し込む陽光の下で、頭に袋を被せられまとめて縛り上げられた者たちが頭を振りやみくもに足をばたつかせていた。足を動かす度に鎖が音を出す。それが聞こえていたのだ。少し離れた位置に同じように縛られている男の集団がいた。全員うなだれ床に座らされ背中合わせで縛られている。コ・イケラは男達の顔を見てさらに驚愕した。彼らはコ・イケラがここに差し向けたはずの部下達だった。それならさっきまで頭蓋に響いていた言葉は誰からなのか。
 手下たちがわらわらと、縛られて仲間たちの元へと向かう。だが、彼らを縛り上げた綱の結び目は硬く鎖で補強してあり人の手だけではどうにもならない。
「倉庫番渾身のクラゲのものまねだ。楽しんでもらえたか」自分に頭領と呼びかけていた声が響いた。
 混乱の渦中にコ・イケラの足元に何かが飛んできた。二度床で跳ね転がり止まった。それはコ・イケラがマトリクス討伐部隊に与えたイヤリング。これで謎が解けた。倉庫番も差し向けた面々もとっくの昔にやられていた。 のこのことやって来たのはむしろ自分の方なのだ。
「どこにいる!」コ・イケラは肉声で叫んだ。
「大声を出さなくても聞こえてるよ」
 左方向から男の声が聞こえ全員がそちらを向いた。そこには赤毛の男とその腰にしがみつく栗毛の幼女がいた。それはさっきまで部下が引き連れていたはずのマトリクスの娘だった。手は手錠で部下の一人とつながれていたはずだ。それを確かめるためコ・イケラは振り向いた。しかしそこには娘はおらず。千切れた手錠を付けた部下とあと数人が折り重なるように倒れていた。
「娘は帰してもらった。ここまで連れてきてくれたことは一応礼は言っておくよ。ありがとう。それじゃ、俺はこれで行かせてもらう」
 マトリクスは娘と共に隣の通路に消えた。集団の最も左側にいた三人がすぐさま彼の後を追ったが、上から落ちてきた木箱の直撃を受け倒れた。その上に二個の木箱が追い打ちをかける。
「後ろだ!」コ・イケラが叫びをあげる。
 後ろの部下たちが走り出すがまたも落下する木箱の下敷きとなった。それからは阿鼻叫喚の地獄となった。木箱の雨が降り出した。二個同時に落ちてくることはないが、上方からの降って来る木箱を見上げて、避ける余裕はない。一つかわしたとしても次に当たり倒される。箱は落ちて消えるわけもなく、彼らの行く手を阻む。立ち止まったところを硬い角で潰される。
 祈りのを唄う暇もなく部下たちは木箱の下敷きとなり、その場に立っているのはコ・イケラだけとなった。木箱の雨が止み、木箱が床を撃つ恐ろしい轟音が止んだ。静寂が辺り包み込こむ。
 コ・イケラは修羅場を乗り切ったことに安堵した。マトリクスにはこれから追手を出せばよい高額の賞金を付け、地の果てまで追い回すのだ。
 僅かではあるが気を持ち直したコ・イケラの回線が開いた。しかし、いつもの頭領という呼びかけはなく無言がつづく。
「誰だ……答えろ!」
「俺だよ。娘を無事に連れてきてくれたら助けてやると言ってたな」マトリクスの声だ。
「あぁ……」
「悪いが、あれは嘘だ。安らかに旅立ってくれ」
 回線は切れた。上から木が擦れる音が聞こえた。何段もの木箱が通路にせり出し傾いている。それらは木箱の雪崩となってコ・イケラの上に降り積もり彼はその中に埋もれた。痛みはあったがそれは一瞬の事すぐに消えてなくなった。
  
 倉庫から娘を抱え飛び出したマトリクスはこのまま逃げてしまいた衝動を抑え足を緩めた。娘を道に下ろし歩く。コ・イケラの手下から奪ったイヤリングを倉庫傍の草むらに投げ捨てる。
 いくらも歩かないうちにフレア・ランドールが少し手前に姿を現した。マトリクスは立ち止まる。
「ありがとう。おかげで娘を取り戻せた。これから警備隊に出頭したいと思う。一人だと逃げてしまいそうだ。傍までついて来てくれないか?」
「お断りよ、そこまで付き合えないわ」
「仕方ないな」
「出頭なんかしちゃだめよ。誰がその子の面倒を見るの」
「えぇ」
「あの連中、今回の騒ぎ責任を全部あんたに被せてくるわよ。今までの仕事の分もしっかり合わせてくるはず、それこそ刑務所から出てこれなくなるわ。警備隊はごまかしておくから逃げなさい」
「いいのか」
「さっさとこれ持って逃げなさい」
 フレアは懐から札束と小銭の小袋を取り出しマトリクスの足元に投げた。
「船にでも乗って帝都を出てそこで真っ当な仕事見つけなさい。でも、元に戻るようなことがあったらその首引きちぎりに行くからね」フレアはマトリクスを睨みつけた。
「あぁ、わかったよ」マトリクスは足元の金を拾い上げ、ウエストコートの裏の物入れに押し込み、娘を抱え上げた。
「世話になったな、ありがとう。元気でな」
 マトリクスは娘を抱え上げ港へ向け走っていった。
「あなたもね」
 フレアは去っていく二人を眺めながら大きく息をついた。

 磯辺通り二ー五にある倉庫はビンチたちを含む警備隊到着時には表の大扉は解放されていた。荷崩れを起こした木箱が通路を塞ぎ、一番ひどい中央の通路は崩れた木箱が山となっていた。
 奥の詰所前にはまとめて縛られた集団が二組発見された。またも赤毛男こと殺し屋マトリウスはいなかった。その代わりに彼らはフレア・ランドールを見つけた。警備隊士が彼女を取り囲み ビンチとフィックスが前に出た。
「ここで何をしていた?これはお前の仕業じゃないだろうな?」ビンチは尋ねた。
 フレアは睨みつけてはくるが何もしゃべらない。
「マトリウスを追ってたんだろ。後は俺たちに任せろ」
「誰、それ?」
「リヒター先生を狙った殺し屋だよ。先生からお前が奴を追って飛び出していったと聞いたぞ」
「そんな名前だったのね」
「現場も荒らしたよな」
「それは……仕方ないわ。誰も転がってるだけで話ができないんだから」
「ここはどうしてわかった?」
「たぶん、あなた達と同じよ。わたしはマッチや帳簿に書かれた情報に引きずりまわされてここまで来たわ」
 フレアは警備隊士に手を後ろに回され手錠を掛けられ、腕を縄で縛られた。 あえて抵抗はしない。
「何が目的でわたしたちを引きずり回しているのしらないけど、次があるなら手掛かりはその詰所じゃない」
「そのわたしたちにお前は含まれてない!連れていけ!」
 ビンチの声に警備隊士がフレアの連行を始めた。
「あぁ、待って。その箱の山の下にたぶん人が大勢埋まってるわ。血の匂いとかいろいろ漂ってるから」
 それだけ言うとフレアは警備隊士を引き連れ自分から歩き始めた。
 警備隊は木箱の山に殺到し、大急ぎで片付けを始めた。

 フレアは翌日の陽が沈んでから解放された。リヒター医師を含む他各方面からの圧力によるものである。この時点でも殺し屋ヨハン・マトリクスの所在は一切つかめてはいない。進展は彼の名前が訂正されたぐらいである。一連の誘導は逆襲に転じたマトリクスが組織の壊滅を狙っての行動ではないとみられている。
 また、人質に取られたいう彼の娘の所在もまだつかめていない。そのため警備隊によるボノギョルノへの捜査の手はまだ緩められてはいない。
 監房から出され病院から馬車を回収し、塔へ戻った頃にはもうすっかり夜も更け人通りも少なくなっていた。
 塔の最上階まで登り扉を開けるとそこにはローズが立っていた。
「大活躍だったようね。お話を聞かせてもらえるかしら」
「はい」
 フレアは頬を引きつらせた。今回の騒ぎはまだ終わっていない。 彼女の面倒事はこれからやっと始まる。
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