第25話 第六章 『赤い一族』 その1
文字数 2,385文字
シャラは、カンの目を『月の矢』で射った後、それまでにないような力の発動に満たされた。『月の矢』は使うと、そのぶん身体的消耗も激しい。
ところがその時は、然程の消耗もなかったばかりか、何か身の内に不思議な力が流れ込んで来たような感覚を覚えた。
その後、その足で一旦王都に戻った。そこで時間を取られたため、後は水路で一気にウルドを目指した。ペルも一緒だったが、『月の宮殿』を抜け出した時からずっと眠らせてあった。
舟に船頭はいない。舳先に取り付けられた受信盤によって、『月の神殿』の磁力そのものが舟を引き寄せていた。
・・やがて『タンデの島』近くまで来た時、シャラは迷っていた。
満月に近づく頃が一番強まるその磁力が、月が欠けつつある今、急激に弱っていた。
このままでは・・目指す『魔月の宴』の準備に遅れる。こうなったら時間を稼ぐため、『リデンの森』の渓谷を行くしかない。
しかしシャラにとっては、『精霊の女王』の支配する森は・・出来れば避けたい領域だった。
彼の持つ力が、極端に弱まるからだ。
しかし、今回の『魔月の宴』は、ミタンを執り込むための時期として、絶妙なタイミングなのだ。意を決してシャラは、『リデンの森』の峡谷へと舵を切った。
・・厚い霧の塊が行く手を阻み、襲ってきた・・。濃い霧が、魔物のように包み込む。
・・そんな中、夜が明けた頃から猛烈な悪寒に襲われ、ガタガタとした震えが止まらない。氷山にでも閉じ込められているかのようだ。
やがて・・それが急激な発熱を引き起こし、朦朧としたまま、その身体は燃え上がる炎の中に閉じ込められていた。
陽の高い間、河岸の洞に舟を寄せて休んだが、一向に快復しない。
舟の溯る力も弱まっている。
シャラは、その身を渓谷の深い流れに投じたくなる誘惑と必死に戦っていた。
(・・楽になりたいか・・ふふふ・・ならばお前もその身を投じるのだ。さあ・・凍るように冷たい水の中へ・・お前の身体ごと・・深い、深い水の底へ・・さあ・・)
渓谷の水の底から、目に見えぬ青白い腕が伸びて来て、招いていた・・。
その後、どうやって『リデンの森』の渓谷を抜けたのかは・・覚えていない。濃霧の中、煉獄の炎と戦っているうちに気を失ったのだ。
再び気がついた時、その身体は恐ろしい業火から救い出されたかのように熱が退き、渓谷の断崖を見上げる狭い岩畳に打ち上げられた舟の中にあった。
「シャール・・シャール・・」
その声に目を開けると、若い女が心配そうに見つめていた。
「・・ああ・・シャール・・気がついたのね・・」
シャラを乗せた舟は、『春の森』まで流されて来ていた。
その朝、目が覚めると、何時もそうであるように・・サアラにはシャールが近くにいることが分かった。森の泉に来ているのかと思ったが、目覚めの夢に現れたシャールの様子は何か違う。
急いで泉に行ってみたが、やはり姿はない。
小屋まで戻ると、泉とは反対側の渓谷に向かった。
眼下を覗きながら暫く歩いていると・・その先の崖下に小舟が一槽打ち上げられているのが見えた。
険しい岸壁の道を降りると、その舟の中にはシャールと瀕死の少女が横たわっていた。
「・・シャール・・この子が・・」
サアラはその腕に、グッタリとした少女を抱えていた。
ハッとして起き上がったシャラは、ペルを受け取ろうとして差し出した手を、思わず放しそうになった。燃えるように熱い。身体中が火膨れのように腫れ上がり真っ赤だ。
シャラはペルを抱き上げ、サアラと一緒に渓谷の岩場を登り始めた。
そうしている間も、ペルの身体からはまるで溶岩のような熱が伝わって来る。
そのまま泉まで運ぶと、衣を脱がせ、身体ごと泉の水に浸した。
解熱の薬草を煎じ、毛皮の上に乾いた麻布を敷いてペルを寝かせると、熱が引くまでの数日の間、その泉の脇で過ごした。
その冷たい水の感触に・・シャラの頭の中には、気を失っていた間の微かな記憶が蘇って来た。
・・気を失ってからどのくらい経った頃だろう・・額のあたりに何か心地よい冷たさを覚えた。水の中にいるのだろうか・・渓谷の深い水の底に沈んでいるのだろうか・・。
その冷たい水が瞬く間に暖まり、そして再び、冷たい水の感覚が・・やがて朦朧とはしながらもどこかに連れて行かれそうな不安はしだいに収まり・・その冷たく優しい感触に意識を委ねて、いつしか快復への眠りに入っていった。
シャラが意識を失った時に、シャラの架けた眠りからペルは目覚めた。
夜半の舟の上。傍らに男が倒れていた。
起こそうとして触ると、その身体は火のような熱に包まれている。
ペルは柔らかな帯を外すと、河の水に浸して少し絞っては、繰り返し、繰り返し、その男を襲っている発熱を冷たい織布に移し取った。
しかし、実際にその危険な高熱を引き受けたのは・・その布ではなかった。
シャラは、ペルの持つ不思議な力に気づきはじめていた。
『月の矢』を射った時の力の発動、弱った心身を治癒に誘う心地よい手の感触・・。
振り返ってみると、『月の宮殿』に迎えた時から一目でペルを気に入っていた。
シャラは、泉の辺の幕屋で、まだ日中もまどろんでいる八才の少女に目をやると、これからの計画を改めて練り直して見ることにした。
(・・残念だが・・今回の宴には間に合わない・・)
兄弟国ミタンをシュメリアの属国として完全な支配下に置くには、ミタン王族の無垢な少女の血が必要だった。そのため、年令の釣り合うデュラとペルを婚姻させることにした。
その後、シュメリア王室のペル妃に何が起ころうと、誤魔化すのは難しくはない。十五才位にでもなれば、八才の頃とは別人だろうから。
(・・しかし、あんなに速やかにミタンの部隊が駆けつけるとは、やはり事前に何かを掴んでいたのか・・ジュメを通してか・・)
ところがその時は、然程の消耗もなかったばかりか、何か身の内に不思議な力が流れ込んで来たような感覚を覚えた。
その後、その足で一旦王都に戻った。そこで時間を取られたため、後は水路で一気にウルドを目指した。ペルも一緒だったが、『月の宮殿』を抜け出した時からずっと眠らせてあった。
舟に船頭はいない。舳先に取り付けられた受信盤によって、『月の神殿』の磁力そのものが舟を引き寄せていた。
・・やがて『タンデの島』近くまで来た時、シャラは迷っていた。
満月に近づく頃が一番強まるその磁力が、月が欠けつつある今、急激に弱っていた。
このままでは・・目指す『魔月の宴』の準備に遅れる。こうなったら時間を稼ぐため、『リデンの森』の渓谷を行くしかない。
しかしシャラにとっては、『精霊の女王』の支配する森は・・出来れば避けたい領域だった。
彼の持つ力が、極端に弱まるからだ。
しかし、今回の『魔月の宴』は、ミタンを執り込むための時期として、絶妙なタイミングなのだ。意を決してシャラは、『リデンの森』の峡谷へと舵を切った。
・・厚い霧の塊が行く手を阻み、襲ってきた・・。濃い霧が、魔物のように包み込む。
・・そんな中、夜が明けた頃から猛烈な悪寒に襲われ、ガタガタとした震えが止まらない。氷山にでも閉じ込められているかのようだ。
やがて・・それが急激な発熱を引き起こし、朦朧としたまま、その身体は燃え上がる炎の中に閉じ込められていた。
陽の高い間、河岸の洞に舟を寄せて休んだが、一向に快復しない。
舟の溯る力も弱まっている。
シャラは、その身を渓谷の深い流れに投じたくなる誘惑と必死に戦っていた。
(・・楽になりたいか・・ふふふ・・ならばお前もその身を投じるのだ。さあ・・凍るように冷たい水の中へ・・お前の身体ごと・・深い、深い水の底へ・・さあ・・)
渓谷の水の底から、目に見えぬ青白い腕が伸びて来て、招いていた・・。
その後、どうやって『リデンの森』の渓谷を抜けたのかは・・覚えていない。濃霧の中、煉獄の炎と戦っているうちに気を失ったのだ。
再び気がついた時、その身体は恐ろしい業火から救い出されたかのように熱が退き、渓谷の断崖を見上げる狭い岩畳に打ち上げられた舟の中にあった。
「シャール・・シャール・・」
その声に目を開けると、若い女が心配そうに見つめていた。
「・・ああ・・シャール・・気がついたのね・・」
シャラを乗せた舟は、『春の森』まで流されて来ていた。
その朝、目が覚めると、何時もそうであるように・・サアラにはシャールが近くにいることが分かった。森の泉に来ているのかと思ったが、目覚めの夢に現れたシャールの様子は何か違う。
急いで泉に行ってみたが、やはり姿はない。
小屋まで戻ると、泉とは反対側の渓谷に向かった。
眼下を覗きながら暫く歩いていると・・その先の崖下に小舟が一槽打ち上げられているのが見えた。
険しい岸壁の道を降りると、その舟の中にはシャールと瀕死の少女が横たわっていた。
「・・シャール・・この子が・・」
サアラはその腕に、グッタリとした少女を抱えていた。
ハッとして起き上がったシャラは、ペルを受け取ろうとして差し出した手を、思わず放しそうになった。燃えるように熱い。身体中が火膨れのように腫れ上がり真っ赤だ。
シャラはペルを抱き上げ、サアラと一緒に渓谷の岩場を登り始めた。
そうしている間も、ペルの身体からはまるで溶岩のような熱が伝わって来る。
そのまま泉まで運ぶと、衣を脱がせ、身体ごと泉の水に浸した。
解熱の薬草を煎じ、毛皮の上に乾いた麻布を敷いてペルを寝かせると、熱が引くまでの数日の間、その泉の脇で過ごした。
その冷たい水の感触に・・シャラの頭の中には、気を失っていた間の微かな記憶が蘇って来た。
・・気を失ってからどのくらい経った頃だろう・・額のあたりに何か心地よい冷たさを覚えた。水の中にいるのだろうか・・渓谷の深い水の底に沈んでいるのだろうか・・。
その冷たい水が瞬く間に暖まり、そして再び、冷たい水の感覚が・・やがて朦朧とはしながらもどこかに連れて行かれそうな不安はしだいに収まり・・その冷たく優しい感触に意識を委ねて、いつしか快復への眠りに入っていった。
シャラが意識を失った時に、シャラの架けた眠りからペルは目覚めた。
夜半の舟の上。傍らに男が倒れていた。
起こそうとして触ると、その身体は火のような熱に包まれている。
ペルは柔らかな帯を外すと、河の水に浸して少し絞っては、繰り返し、繰り返し、その男を襲っている発熱を冷たい織布に移し取った。
しかし、実際にその危険な高熱を引き受けたのは・・その布ではなかった。
シャラは、ペルの持つ不思議な力に気づきはじめていた。
『月の矢』を射った時の力の発動、弱った心身を治癒に誘う心地よい手の感触・・。
振り返ってみると、『月の宮殿』に迎えた時から一目でペルを気に入っていた。
シャラは、泉の辺の幕屋で、まだ日中もまどろんでいる八才の少女に目をやると、これからの計画を改めて練り直して見ることにした。
(・・残念だが・・今回の宴には間に合わない・・)
兄弟国ミタンをシュメリアの属国として完全な支配下に置くには、ミタン王族の無垢な少女の血が必要だった。そのため、年令の釣り合うデュラとペルを婚姻させることにした。
その後、シュメリア王室のペル妃に何が起ころうと、誤魔化すのは難しくはない。十五才位にでもなれば、八才の頃とは別人だろうから。
(・・しかし、あんなに速やかにミタンの部隊が駆けつけるとは、やはり事前に何かを掴んでいたのか・・ジュメを通してか・・)