第16話   第四章 『婚礼の夜』 その2

文字数 1,916文字

「待て!!」
 
 カンは、月光を浴びて立ち去る銀色の姿に向かって怒鳴った。
 その姿が振り返り、カンを静かに見据えた。その腕には、気を失っている八才の少女を抱えている。

「どこに行くのだ・・!」

「これはカン殿、よくここまでついて来られましたな・・」
 シャラは落ち着いた口調で、半分感心したように言った。
 実際、いち早く宮殿を抜けると、飛ぶような早さでここまで来ていたのだ。 誰にも気づかれずに姿を消したと思っていたが、追いつかれていたとは。

 カンの方は息を切らしていた。
 相手は少女を抱えているというのに、信じられないような早さで進んで行く。思わず引き止めようと声を上げていた。

「い、一体、何のつもりだ・・!大事な姫さまをさらって行くとは・・!そ、それに、あの火事騒ぎはなんだ・・!婚礼の余興にしては、度が過ぎているぞ・・!」
 
 カンは燃えるような赤い衣の様に目を奪われ、実際に火事が発生しているのに気づくのが誰よりも遅れた。不覚だった!
 しかし、その後は直ぐにペルとシャラの姿が見えないことに気がついた。
 ペルの言葉を思い出したカンは、直ぐさま厨房脇のカラクリの二重扉から外に飛び出し、月光に輝く銀色の姿を追って来た。

「・・この可愛い姫君はもう婚礼の儀を済ませ、我がシュメリアのもの。悪いようには致しませんよ。安全なところにお連れするところです」
 そう言うと、シャラは視線をカンの肩越しに据えた。
 カンも思わず振り返った。先を急ぐのに必死で、後を振り返っている余裕はなかった。
「・・あの火事騒ぎは確かに度が過ぎたようです。私としても非常に残念なのですよ。あの美しい館が火に包まれてしまって・・」

 遥か後方に、夜空を焦がして燃え上がる宮殿が見えた。
 筒状の館はまるで大きな煙突のように、上空に火の粉をまき散らしていた。

(一行は・・!)

 その光景に、カンは焦って言った。

「とにかく、姫をすぐにこちらに渡せ・・!」
「ふふ・・それは出来ません。私はこの姫君を非常に気に入っているのでね・・」
 館の炎上で落ち込んでいると思いきや、相手は余裕の表情で言った。
「それは、こちらも同じこと!姫は、私の大事なお友だち!」
 
 違う表現を使うつもりだったカンは、非常事態に気が動転していたせいかペルの口癖を口走っていた。

「ハハ・・可愛いことをおっしゃる」
 シャラは愉快そうに笑うと、そのまま踵を返して行こうとした。

 大事な時に言い間違えて笑われた上、取り逃がしてはカンのプライドが許さない。思わず剣を抜くと叫んだ。

「待て!」
 
 シャラは無視して行こうとしたが、剣を抜いた相手、それも相当な剣の使い手カンに本気で掛かられるのも面倒だ。片手をサッと上空に向かって上げると、暫くそのままの姿勢でいた。
 ・・長い銀髪に白い衣のスラリとしたその姿は、それ自体一条の光のようだった。

 カンとしても、ペルを抱えたままの相手を下手に斬りつけるわけにはいかない。
 身構え、相手の出方を伺ってジッと見据えていたカンの目に、次第にその光を浴びた姿が眩しく感じられた。 

 その時、シャラの腕がサッと下りるや、槍でも投げるようにそこから強い光が発してカンの目を射った。

「アッ!!」

 一瞬の短い悲鳴を上げてカンはそこに崩れ下りた。
 剣を落として両目を覆った。焼けつくような痛みが両目を襲っていた。
 
 その間に、シャラは悠然と立ち去った。


「ハル、間一髪のところだったわ・・」
「はい、殿下・・」

 過日、ミタンに戻ったダシュンの報告を受け、ハルは兵を率いて直ぐに発った。
 牙兵達の徘徊する危険な陸路を避けて時間を稼ぐため、大河を下り宮殿近くの支流までに入った。
 ダシュンは一足先に『月の宮殿』に向かっていた。

 その夜、到着した部隊が最初に目にしたのは、塔の周りを巡って踊り狂う大勢の赤い衣の群れだった。
 ・・暫しその様を茫然と眺めていたが、窓を染める朱い揺色が燃える炎だと気づくやいなや、慌てて正面の大扉に突進した。そして、ミタンから運んで来た大木の大筒で一気に錠の下りた重い扉を蹴破った。
 閉じ込められ火傷を負ったミタンの一行は皆、直ぐに池に飛び込んだ。


 翌日、焼けただれてまだ燻っている宮殿の焼け跡を捜索した。

 ホールの吹き抜けが煙突の中のように真っ黒に煤け、見事な浮彫の装飾も見る影もない。
 が、遺体の痕跡は何もなく、カンとペルそしてダシュンの行方も知れなかった。ペルは消えたシュメリア側に連れ去られた可能性はあるが、他の二人はどこに消えたのか・・。
 一行の輿も全て燃えてしまった。が、放された馬達が遠くで草を食んでいた。

 その後、数人の兵士を残し、一行は部隊の舟に分乗して河を下った。
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