第6話 春がくれた贈り物

文字数 3,538文字

 チャイムを響かせるインターホンに対し敵意剥き出しで、私はベッドを出てヨタヨタと歩き、画面に近付いた。小さな液晶画面に映るヨシオの姿。今日はボサボサ髪ではないようだ。それはさておき両足、特にふくらはぎの辺りが痛い。昨日カフェの手伝いで立ちっぱだったせいに違いない。久しぶりの、えっと、筋肉痛ってやつ。

「ただいま留守にしております。御用の方は……」
『キャッチボールしようぜ!』

 ?!?

 コイツ、アホか。こんな天気の……良い日に、こんな……4月上旬のポカポカ暖かい日に、こんな時間……13時過ぎ、か。うーん絶好のキャッチボール日和だね。ヨシオはカメラに向かって2つのグローブを見せつけてきた。準備万端な様子でいらっしゃる。しかしキャッチボールなんてしたことないのに、まるでいつもやってる風に言ったなぁコイツ。前彼女(マエカノ)と間違えてないか。

「昨日、友達のカフェを手伝ったから足が痛いの。ていうか先に連絡してから来なさいよ。無駄に新しいスマホ使ってるんだからさぁ」
『あれはフェイストラッキング用だから。それに連絡したら断ってただろ』
「分かっててなんで来るの? バカなの?」
『そうだ、俺はバカだぞ! ビビったか!』

 ……うん。バカを自称する彼氏を持った自分に今ビビってるよ。

「ハァ……。はいはい、準備するから待ってて」
『おう!』

 溜め息混じりで、最近買ったピケの可愛いもふもふパジャマを脱ぎ、スポーツブラを着け、高校生の頃に体育で使っていた学校指定の緑ジャージを(まと)った。左胸に名前入りのワッペンが付いてるけどまぁいいでしょう。近所に知り合いは居ないし恥ずかしくなんかないや。運動用の装備なんて持ってないんだから仕方ない。

 適当に髪をヘアゴムでまとめて、化粧もせずマスクを着けて、ショルダーポシェットにスマホと財布を入れて、1階エントランスへ下りた。

「はい、お待たせ。東の公園?」
「ボール遊びできるのあそこくらいだからな。ひと駅くらい歩いて行こうぜ!」
「私、自転車で行く。ヨシオは走りなよ」
「分かった!」

 わー……、元気だなぁ。そして笑顔が爽やか。そういえば、同じく笑顔だけは爽やかなヒロコ、今日も独りでカフェやってるんだよね。あれを朝から夕方まで毎日毎日。大変そうだけど、きっと楽しいからやれてるんだろうな。

「おーい、どしたぁ」

 ヨシオはもう走る気満々でエントランスから出て足踏みしている。

「あ、ゴメン。ちょっと考え事してた」
「お前でも考える事とかあるんだな!」
「……すぞ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 敷地が広くてボール遊び可能な公園までは、およそ2キロ。手加減せず普通のスピードで自転車を漕ぐ私のはるか後方で、ハァハァゼェゼェ息を切らしながら走るヨシオ。

「ちょ、ちょっと……ゼェ。まっ……!」
「運動不足じゃない? ホラあとちょっとだよ頑張って!」
「も……ぅ……。む……ぐほぁッ!」

 大袈裟だなァ。呆れて自転車を停め、振り向くと、わざとらしい動きでフラついている彼の姿があった。髪の毛が汗でクタクタになってるし青い半袖Tシャツも首から胸の辺りまで濃い色に変わっている。彼自身がもうクタクタみたい。

「ゼェ、ゼェ……。確か……に、運動、不足だ、な」
「どうする? キャッチボールやめて帰る?」
「いや……。き、キャッチボールは、……やるよ。そのために、来たんだ」

 どうしてそこまでキャッチボールに執念を見せるのか。野球のプロでも目指す気になった? こんな2キロ走っただけで世界の終わりでも見たような顔になってるヒョロい奴じゃ無理だろうけど。

 ともかく公園に到着して、トタン屋根付きの駐輪場所へ自転車を停めた。緑の広場では家族やカップルあるいは男の子同士でボール遊びをしたり、フリスビーを飛ばしたり、端っこで小さなテントを広げていたり、皆とっても楽しそう。私は表情なくストレッチを始める。が、ヨシオは芝生の上でいきなり仰向けになった。

「ねぇ、キャッチボールする気ある?」
「あるよぉ……。でも、ちょっと休憩させてくれぇ。あと3分くらい……」

 彼を侮蔑の目で見下ろしつつ、ふくらはぎを伸ばす。伸ばすたび、めちゃくちゃ痛い。昨日の立ちっぱなしで相当なダメージを受けたのだろう。タイムマシンが開発されたら今日のヨシオによるアパート急襲時間まで遡って追い返してやるのに。誰か早く発明してくれないかな。一刻も早く。

 腰をぐーるぐる回していると、ようやく彼が立ち上がった。

「よし。始めようかぁ!」

 左手にはめたグローブから、ヨシオは新しめのボールを取り出した。

「なんか、かっこいいボールだね。買ったの?」
「ばあちゃんから貰ったんだ。プロ野球の試合を観に行った時ファウルボールを捕ったらしい。幾つもあるから持ってけって、ついでにグローブも貰ってきた」
「はぁ。それで私以外にキャッチボール相手が見つからなくて来たのね。選ばれて大変光栄なことでございますよ」
「ばあちゃんはすごいよ。隔週くらいで現地観戦してる。毎回グローブ持参でな」
「へぇー。……ところで、なんでおばあさんのトコに行ったの? お金の無心? ついにお金が尽きた?」
「いんや、月イチで様子を見に行ってるんだ。一人暮らしだから。でも俺よりかずっと元気だぞ」

 コイツより元気って、エネルギーの塊みたいな人かな。会ったら私その熱で溶けてなくなっちゃうかも。そしてお金についての反論はなし……怪しいぞ。

「……よし、やるか!」

 私もグローブをはめて、とりあえず肩慣らしで軽く投げ合う。
 けれど。

()ったぁ! ちょっと、手加減!」
「悪りぃ、ついつい本気になっちまった」

 いやいや、まだ5メートルくらいしか離れてないんですけど。しっかし野球のボールって硬いなぁ。こんなの当たったら絶対に怪我するわ注意しよ。

 だんだん離れていき、私のヘロヘロボールが直接届かなくなったところで立ち止まって投げ合いを続ける。10分くらい経った頃、グローブをはめている左手全体が次第にジンジンしてきた。そして遂にグローブを閉じることすらできなくなったので、両手を上げて降参した。

「ねぇ、もうムリだよ! 休憩しよう!」
「分かったぁ! あっちのベンチに座ろっか!」

 乗っかった花びらや落ち葉を払い落としてベンチに座る。草の匂い、虫の羽音。陽の当たる場所は暑いくらいだったけど、ここは木陰になっているからとても涼しい。むしろ吹き抜ける風のせいで、汗をかいた背中がひんやりして寒いくらいだ。

「ねぇヨシオ。なんでキャッチボール? 球を貰ったからっていうだけ?」
「うーん。それもあるけど、エリカに会いたくなったから、かな。俺さ、今は金がないからどっか食事でもとかできないし。最近お前の機嫌が悪かったろ。ちゃんと会って話したかったんだ」

 私は、すぐ隣に座っている彼の目を見た。冗談っぽい感じではない。なんだか遠い目で公園を眺めている。他の女を視ていたら即座にシメるところだが、そんな様子でもない。遠くの葉桜を眺めて悦に浸っているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。

「それ、本気で言ってる?」
「俺はいつでも本気だぞ。お前に嘘をついたことなんて、ない!」
「じゃあ、私との関係を腐れ縁って言ったのも本気ってこと?」
「え、腐れ縁って腐るまで一緒にいることじゃないのか」
「……違うよ。腐れ縁は、切りたいけど切れない相手。あんまり良く思ってない時に使うんだよぉ。アレ言われた時、すっごくムカついたし、悲しかったんだからね」

 ヨシオはこちらを向き、両手を胸の前で合わせて、やにわに頭を下げた。

「ゴメン!! 全然違くて、真逆で!」
「真逆?」

 彼は、私の目をしっかりと見つめて言う。

「……大好きだ。俺、エリカのこと、すっごく好きなんだ」

 ……。

 あれ?

 ヨシオに好きって言われたの、初めて……。

 私の目からポロポロ涙が(こぼ)れる。どんどん、とめどなく(あふ)れてくる。

「ど、どした?!」
「だって……、は、はじ、初めてなんだもん……。好きって……」

 涙が止められない。嗚咽が止まらない。
 私は思わず彼の胸に顔を(うず)めてしまう。両手で彼のTシャツを引っ張ってハンカチ代わりにする。ついでに鼻水もいっぱい垂れてきて……色々なものが(あふ)れて止まらない。このままだと干からびてなくなっちゃう。

「ヒグッ……。こんなに……う、嬉しいんだね。好きって言われるの……」
「俺、言ってなかったっけ? えと……」
「もういいから。何にも言わないで。余計なこと」
「お、おう……」

 彼はゆっくりと、優しく私の背中を抱きしめてくれた。

 もうキャッチボールとかどうでもよくなった春の、とある日。

 私やっぱりこの人のこと大好きなんだ。
 タイムマシンなんて、もう要らない。
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