5 ロールズの正戦論

文字数 2,518文字

5 ロールズの正戦論
 ジュネーブ条約が示す通り、戦争にもルールがある。自衛権行使も同様である。その論拠を提供しているのが正戦争論である。従前の国際法が取り扱っていなくても、国際世論の高まりとともに、この議論の発展によってその行為が禁止されることもあり得る。近代は自由で平等、自立した個人が集まって社会を形成し、国家はそれが正義に基づいて機能するために設立される。戦争はその国家が行う。正戦論は個人の人権の保護から捉えなければならない。こういった観点に立脚するジョン・ロールズの主張を見てみよう。

 ロールズは今日の政治哲学や倫理学において最も影響力のある規範的理論家の一人である。肯定するにしろ否定するにしろ、彼の『正義論』は議論の共通基盤である。そのロールズは、1995年、『ディセント(Dissent)』誌に掲載した論文「原爆投下はなぜ不正なのか?─ ヒロシマから50年(Reflections on Hiroshima: 50 Years After Hiroshima)」において、武力紛争法に関する六つの原理を提言している。なお、修飾語がついていない場合でも、ロールズが「民主主義社会」と呼ぶ時、それは「真っ当な(Decent)」なものを指す。

 第一に、真っ当な民主主義社会によって行われる正義の戦争の目標は、人々の間、特に現在の敵との間の公正かつ永続的な平和である。

 第二に、真っ当な民主主義社会の交戦相手は民主的ではない国家である。その拡大主義的目的が民主主義政権の安全と自由な制度を脅かし、戦争を引き起こしたと仮定する。

 第三に、民主主義社会は、責任の原則に基づき、交戦国の指導者と当局者、兵士、民間人の3グループを慎重に区別しなければならない。指導者等は戦争を始めた責任がある。民間人は情報統制の下でプロパガンダに振り回されている。中には、情報をより入手して戦争に熱心な民間人もいるが、置かれている状況は同様である。士官以上を別にすれば、兵士の多くは動員された民間人で、愛国心に燃えていたとしても、それは残酷的かつ冷笑的に指導者たちに利用されているだけだ。

 第四に、民主主義社会は二つの理由から交戦国の民間人と兵士の人権を尊重しなければならない。一つはそれは万人の方に基づいているからだ。もう一つは戦争においても人権が保障されるという実例を示さなければならないからである。

 第五に、民主主義社会の人々、特に指導層は、交戦国や国際社会に対し、どのような平和を目指し、戦後にいかなる国際秩序を構築するのか戦争中にあらかじめ提示しておかなければならない。戦争の進め方と終わらせる行動は人々の歴史的記憶に残り、将来のそれの舞台となる可能性があるからだ。

 最後に、戦争目的を達成するための軍事行動や政策が適切かどうかを判定するための思考様式は、つねに上述の5原理の枠内で構成されていなければならない。この制限の唯一の例外は極限的な危機の時である。

 ロールズは第二原理において「真っ当な民主主義社会(a decent democratic society)」と「民主主義的ではない国家(a state that is not democratic)」を対照的に扱っている。これは社会契約説の「社会」と「国家」の関係を踏まえている。自由で平等、自立した個人が集まって近代社会を形成する。その社会が正義の原理に基づいて機能するために国家、すなわち政府を必要とする。社会が真っ当に民主主義的であるなら、政府もそれを反映する。逆に、国家が社会のためではなく、自身の利益や思想を優先するならば、それは民主主義的ではない。

 ロールズは、「極限的な危機(extreme crisis)」の場合のみ、攻撃対象に一般市民を含めることもやむを得ないとする。その具体例は、第2次世界大戦の初期に英国がドイツの市街地を爆撃した作戦である。当時のドイツは拡大主義的動機に基づいて戦争を始め、ヨーロッパ大陸諸国をほぼ手中に収めている。その優勢なドイツ軍に押され、苦境に陥ったイギリスは「極限的な危機」に置かれていたので、民間人を巻きこむ爆撃も免責される。

 一方、ロールズは、原爆投下のみならず、東京大空襲も正しい戦争ではないとする。第4のルールに反しているからだ。しかも、1945年当時の日本は勝てる見込みなどなく、戦争継続の能力さえ失われつつあり、アメリカが「極限的な危機」に置かれてはいない。もちろん、太平洋戦線で日本軍と戦った元米兵はここでとどまらず、従来の日本への無差別爆撃の擁護に対する反論も用意している。

 ロールズは戦争において避けるべき二つのニヒリズムを挙げている。一つが戦争を早く終結させるためにはいかなる手段も許されるとする論法である。彼は「シャーマンの海への進軍(Sherman's March to the Sea)」を例に挙げている。南北戦争の際、ウィリアム・シャーマン将軍は「戦争は地獄だ(War is hell)」と言って、アトランタを焦土にしている。悪いのは南軍であり、これが戦争を早く終わらせるためだと嘯いたが、これは上記の原則に反している。手段は目的によって正当化されるものではない。

 もう一つが戦争に突入した以上当事国の人々は全員が有罪だとする論法である。ハリー・S・トルーマン大統領は、原爆投下に際して、「日本人を野獣として扱う以外にない」と発言している。これは先の責任に基づく区別を無視している。全員に程度の差こそあれ責任があるとしても、全員が等しく有罪と言うことにはならない。「正義を重んずる真っ当な文明社会──その制度・法律、市民生活、背景となる文化や習俗──はすべて、いかなる状況においても道徳的・政治的に有意味な区別を行っており、その区別に絶対的に依存しているという事実」によってこうした論法は無内容なニヒリズムである。

 原爆投下の擁護はこうしたニヒリズムにすぎない。アメリカが「正義を重んじる真っ当な民主主義社会」であるなら、目的によって手段を正当化したり、敵は全員同罪だとしたりして原爆を投下してはならない。

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