9話―2
文字数 3,587文字
「そういえば、あなたは私より一つ年下よね? 学校には行くの?」
ふかふかの苔の絨毯に腰を下ろし、ミンは水筒を取り出す。トルマのハーブティーをコップに注いで渡すと、ミディは頷いた。
「うん。引っ越しも落ち着いたし、来週から。ふもとの小学校に行くんだ」
「そうなのね。だったら毎日は会えなくなるかな……」
「だっ、大丈夫だよ。学校が終わったら急いで行くから」
思わず寂しさを口にすると、ミディは慌てて弁解する。ミンはその返答を聞き、笑顔になった。
「そうだ。ミンも同じ学校なんだよね? 来週から、いっしょに行かない?」
本来なら嬉しいはずの、約束の言葉。しかしそれは心に突き刺さり、ミンは声を詰まらせる。
ミディは自分の異変に気づいたのか、心配そうに見つめている。ミンは苦しげに口を開いた。
「私、学校には行ってないの。セントブロード孤児院ってところで暮らしてて……」
素性を聞いたミディの顔が、明らかに白くなる。ミンは心が痛むのを感じた。
その時、近くの茂みが大きく揺れた。二人は飛び上がり、同時に目を向ける。茂みの中から、大きなイノシシが顔を出した。
「ミディ、下がって!」
イノシシは二人を睨みながら、地面を蹴って威嚇する。ミンはミディを守るようにイノシシと向き合った。彼は左腕を掴み「早く逃げよう!」と急かすが、今背中を向けたら間違いなく襲われるだろう。
迷っていると、イノシシは唸り声を上げて突進した。逃げ道はない。ミンは[潜在能力]を発動させ、イノシシに立ち向かった。
ミンの[潜在能力]は[金属化]。その名の通り、『体を金属に変化させる』能力だ。発動中は全身が硬くなり、ずっしりと重くなる。ミンは右腕を体の前に構え、イノシシを簡単に跳ね返した。
怒り狂うイノシシは我に返り、森の奥に逃げてゆく。その姿を見届けてようやく、ミンは[金属化]を解除した。
「い、今のは、いったい……」
左腕の温もりに気づき、ミンは再び凍りつく。恐る恐る振り返ると、ミディが自分の腕を掴んだまま震えていた。
ミディは手を放し、そのまま走り去る。その後ろ姿を目で追いながら、ミンは膝から崩れ落ちた。[金属化]している間、その体は金属同様に冷たくなる。ミディは体温が消えた腕を、ずっと掴んでいたのだ。
「そんな……!」
ミンは声を震わせ、涙を零す。個性的な[潜在能力]を持つ『家族』に囲まれ、自分は『皆と同じ人間』だと思っていた。しかしミディに拒絶された今、自分は『皆とは違う人間』なのだ、と悟ってしまった。両親を持つ子供と、施設で暮らす孤児。それだけでも大きな壁があるというのに。
涙は止まらず、嗚咽が漏れる。ミンは生まれて初めて、普通の人間ではない自分を激しく呪うのだった。
――
遊歩道に出ると、辺りは鮮やかな夕焼け色に染まっていた。どうやら、数時間経っていたらしい。
ミンは暗い気持ちのまま、ぼんやりと道を進む。自転車を停めた場所まで到着すると、聞き慣れた声に呼びかけられた。
「あれっ、ミン?」
ゆっくり顔を上げる。診療所の玄関前に花壇があり、リベラが花に水やりをしていた。彼女はミンの両目を見た途端、血相を変える。
「どうしたの、目が真っ赤だよ?」
リベラはジョウロを地面に置き、急いで駆け寄ってきた。[感情透視]で、壊れかけた心が見抜かれたのだ。
ミンは再び泣き崩れ、リベラに抱きついた。彼女は黙ってミンを抱きしめ、診療所の中へ移動する。受付の前でニティアとすれ違ったが、夫は妻の視線に重く頷き、温かい目で見送ってくれた。
待合室奥のリビングに入り、二人がけのソファーに座る。リベラはミンの頭を抱き寄せ、優しく声をかけた。
「辛いことがあったんだね。ニティアが先生に連絡してくれるから、落ち着くまでゆっくりしていって」
ミンはしばらく涙が止まらなかったが、つっかえつつも少しずつ、事情を説明する。リベラは最後まで傾聴し、語り終わった後も長い間、頭を撫で続けた。
「確かに、[潜在能力]が目覚めた私達は普通の人間じゃないかもしれない。でもねミン、たとえ住んでいる環境が違っていても、人の心は通じ合えると思うんだ」
涙が引いた頃、リベラはゆっくり語り始める。思わず「ほんとうに?」と返すと、彼女はにっこりと頷いた。
「ミディがあの時、学校が始まっても会いに行くって言ったのも、一緒に登校したいって言ったのも、あなたの傍にいたいから。ミンと同じように、一緒にいるのが楽しいって思ってるはずだよ」
昼間に見た、嬉しそうな笑顔を思い出す。あの瞬間は確かに、二人の心が通じ合っていたような気がした。
「で、でも……ミディは私を、怖がって……」
「信じられないことが起きて、びっくりしたんだろうね。でも大丈夫。ミディはきっと、また会いに来てくれるよ」
ほんとうにそうだろうか、と不安になるが、リベラの励ましの言葉は温かく、じんわりと心に染み渡った。
――
外が真っ暗になった頃、レントが車で迎えに来てくれた。彼は問いただすことはせず、ミンを優しく抱きしめた。無口なニティアは、詳しい事情を伝えなかったはずだ。それでもミンはレントの気遣いが嬉しく、再び涙するのだった。
そして『家』に帰り、誰にも説明しないまま一日が終わる。
「ごっ、ごめんください!」
翌日の朝食後。授業の直前、玄関から甲高い声が飛んできた。ミンは心臓が止まりかけた。その声は紛れもなく、ミディのものだったのだ。
いち早く駆け出したミンに続き、レントや生徒達も玄関に向かう。ドアの前には、青白い顔をしたミディがいた。
「ミン! よかった、無事だったんだね! 自転車が森の中でそのままになってたから僕、心配になって……」
彼は心底ほっとした様子で駆け寄り、ミンの両手を取った。あの時と全く同じ温もりが伝わり、ミンは動揺する。
「昨日は逃げちゃって、ごめんなさい! あと、僕を助けてくれて、ほんとうにありがとう」
ミディは手をぎゅっと握り、謝罪と感謝を口にする。ミンの視界は、涙でぼやけてきた。
「どっ、どうして……私、普通じゃない、のよ?」
「うーん。ちょっとびっくりしたけど、ミンは大切な友達だから。普通か普通じゃないか、なんて関係ないよ」
真っ直ぐに見つめる朱色の瞳。リベラの指摘通り、二人の心は繋がっていたのだ。ミンは感極まり、ミディに抱きついた。『家族』が囃し立てるのも構わず、優しい温もりを噛みしめる。
異なる特徴を持っていても、立場が違っても、心は通じ合える。ミンは「ミディと出会えてよかった」と、泣きながら歓喜するのだった。
――
「あれっ、お出かけ?」
部屋を出る瞬間、リタに呼び止められる。彼女の傍らにいたサファノとルビナは、ミンがよそ行きのワンピース姿だと気づき、騒ぎ出した。
「あー、わかった! あの子に会いに行くんでしょー?」
「デートだ、デート!」
「もう、違うわよ」
ミンは呆れ返る。しかし、リタもにやにやと追い討ちをかけた。
「ミディだっけ? あいつ絶対ミンに気があるよ。こないだ抱きついてた時、顔真っ赤だったもん!」
「こーなったら、つき合っちゃえー!」
三人はからかいながら、廊下を駆け抜けてゆく。ミンは恥ずかしげに、深い溜息をついた。
ミディが『家』に訪れた日から一週間経つ。今日は週末で、ミディと彼の両親から遊びに来てほしい、と誘われていた。
確かに自分は、お気に入りのワンピースに花飾りがついたヘアゴム、更にいつものリュックではなくパステルカラーのポシェットを身につけている。だが、断じてデートではない。と思っている。
「そもそも、これは『恋』じゃないわ。だって……」
ミンは、昨年の秋に亡くなった義兄コンバーのことを思い出す。彼は生前誰にも言わなかったが、『家族』のファビに恋をしていた。コンバーが一人きりで苦悩する様子を度々見かけ、ミンは幼いながらも心配したものだ。
ミディと会うのは何よりも楽しく、心が弾むような気持ちになる。だが、コンバーが抱えていた『恋』の病とは、明らかに違う。『恋』とは相手のことを想うあまり、息が出来ないほど苦しく、震えるほど辛くなるはずなのだ。
「そうだ。今度また、リベラさんに聞いてみよう」
『人の感情が理解出来る』彼女なら、的確な答えを教えてくれるだろう。とりあえず対応策を決めたところで、ミンは機嫌良く『家』を出発した。
しかし、この時のミンはまだ知らない。『恋』の病は既に、心の中に芽生え始めていた。
We can overcome the wall of prejudice
(どんな人とでも、心は通じ合える)
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