第12話 停戦協定

文字数 3,962文字

01
 穂香に悠治が具合悪くなって病院に行ったと嘘をついてから、大介は悠子の言った場所へ向かった。
 途中でなんで草むらと疑問したけど、実際に到着したら、「なるほど」と納得した。
 悠治・悠子はびしょ濡れで、人の目の当たらない草むらの中で震えている。
「バカか……」
 呆れた大介だったが、なんとなく事情を理解した。
 こいつ、何らかの原因で池に落ちただろう。
 それに、くだらないプライドで意地はって、穂香に見られたくないから、自分に電話をした。
「バカってなんなのよ。こんな姿が小日向さんに見られたら、悠治はまた死になくなるかもしれないわ」
「他人事みたいに言うな。お前は本当に都合のいい時だけが出てくるな……」
「都合のいい時じゃない、危機の時よ。先ほど悠治が池からふらふら上がったら、転がって頭が打たれたのよ!ほら見て、額のところにあざがあるでしょ?」
「なぜ池から…?まあ、どうでもいい……」
 思わず尋ねようとしたけど、大介はすぐその話を切った。
「それより、今はメイクもしていないから、女口をやめてくれないか?気持ち悪い」
「とんでもない差別発言だよね?」
「まだそんなプライドがあるなら、当分死なないだろ」
 大介は上着をぬいて悠子に投げた。
「オレが車で来たことに感謝しろ」

 02
「こうなったわけを聞かないの?」
「聞いたところで正直に話すと思わない」
「へぇ~でも、本当はもっと聞いてほしいの」
 起き上がったら、悠子はさりげなく大介の腕を抱き寄せた。
 そのちょっと妖艶になった姿に、大介は目を向けずに、進路だけを見ていた。
「今のお前はこう言ってるが、悠治に戻ったら、また『お前に何が分かる』って吠えてくるだろ」
「さすが大介君、分かりが早い!」
「……」
「それは大介君のいいところと言うか、悪いところというか……」

「あっ、さっきのお兄ちゃんだ!」
 二人が駐車場付近まで来たら、とある7、8歳くらいの男の子は悠子・悠治を指さして声を上げた。
「お兄ちゃん!ありがとう!」
 男の子は彼より2、3歳下の女の子を連れて、悠子・悠治たちに向かって来た。
 子供の両親もその後について、悠子・悠治に感謝を述べた。
 話を聞くかぎり、先ほど、悠治は子供のために池に落ちたボールを取った。
 でも池に落ちたのはそれと関係ないらしい。

 大介が車の扉を開錠すると、悠子は当たり前にように後ろの座席に入った。
 大介はその無礼の行動に気にせずに車を出した。
 車が走る間に、悠子は経緯を話した。
「……その後はね、悠治はしばらくあの兄妹の後ろ姿を眺めていて、ボーっとしていたら、後ろには池だったことを完全に忘れちゃって、振り向いて足を踏み出したのよ!」
「なるほど……」
 思ったよりバカだった理由に、大介は逆に安心を覚えた。
「あの兄妹を自分と雪枝さんに重ねたのか?」
「そうよ。あの子供たちと同い年の頃は幸せだったなって、まさか、リアルに『感傷の池』に溺れてたとはね~やっぱり、私がついていなきゃだめだわ」
「……」
 家庭関係に明らかに何かあったのに、わざとらしいチャラ化した言い方をするか。
 大介は眉をひそめた。
 人格が違っても、悠子と悠治は同じ人物だ。
 自分の「感傷」をダジャレにして話をごまかすなんて、本当は愉快のはずがない。
 一緒に笑いたくない大介は話を変えた。
「……この前の、シナリオのことなんだけど――」
「っ!」
 大介は車の鏡から覗いた。
 シナリオを聞いた悠子は一瞬、肩を固めた。
「このまま進むから、修正しなくていい」
「!?」
 悠子は驚いた。
「どうして?固執していたんじゃない?」
「すべて採用されるわけでもないし、もともと業務委託ようなもんだからお前たちには著作権がない。買い手から文句を言われたら、いつでもオレが直す」
「……」
 悠子はしばらく沈黙をしたら、声を沈めて、真面目に言葉を返した。
「いいえ、修正してあげる」
「!?」
 今度は大介が驚いた顔をした。
「今回の件に関して、悠治の考えが浅はかだったの。あなたに嫌がらせをするのが一心で、危うく大きなミスを犯したところだった」
「大きいなミスって?」
「もう大体想像がついたのでしょ?」
「……」
 大介は沈黙した。
 悠子はそっと体を傾けて、前の座席の間から頭を出して、大介の横顔をじっと見つめた。
「大介はやさしいね」
「そんな目で見つめないでくれ、気持ち悪い」
「もったいないわ。今の横顔、ちょっとかっこよかったのに!」
「何処かのインチキ引きこもりと違って、オレは何時だってかっこいい」
 いきなりほめられて、大介は逆に対応に困った。
「でも女子が苦手だよね、せっかくの男前なのになかなか彼女ができないでしょ。雪枝に頼んでおしゃれな子を紹介してもらおう」
「余計なお世話だ。それよりあのエロ小説、何時削除してもらえる?」
「はっくしょん!ああ、寒い、暖房をもっと上げて。ちょっと寝るわ……うちについたら起こして」
「とぼけるな!真面目に返事しろ!」
 悠子はまたとぼけて逃げたけど、いつものことだし、大介はそれ以上追い詰めなかった。言われた通りに暖房の温度をあげて、悠治を家まで送った。

 03
 翌日、悠治から修正されたシナリオが届いた。
 誤魔化す程度の修正ではなく、全体的に伏線や、違和感のあるところも一緒に直されたしっかりしたものだった。
 憎ませるために、給料ゼロとか言い放ったが、こんなできのいいものをもらった以上、何も返さないと、大介の人間としての良心が許さない。

「お兄ちゃんが好きなもの?」
 返すものに悩んでいたので、雪枝に電話をした。
「パジャマかな……一番よく着るものですから、20着も持ってるらしい」
(それは、単に洗濯が面倒くさがっているじゃない?)
「……そのほかにないのか?食べ物とか」
 服類はだめだ。
 男服か女服か決まらないから。
「食べ物だと、カップラーメン?」
「……」
(引きこもりの応援になるから、カップラーメンはない。無難に食事券か普通のお菓子にしよう……)
「嫌いなものはないか?」
「えっと、ピーマン、玉ねぎ、唐辛子、人参、生姜、ニンニク、ゴーヤ、大葉、パクチー……」
(嫌いが多すぎるだろ!)
「なにより、チョコレートはだめです!」
「チョコレート?」
 それは意外だった。
 甘くて食べやすいし、カロリーも高く、引きこもりに人気のはずだが……!
 ふいっと、大介は理由を思いついた。
「バレンタイン……だから?」
 慎重しそうに雪枝に尋ねた。
 あの日、悠治と穂香が図書館で一緒に読んでいた新聞紙もバレンタインデーのものだった。
「え、ええ…そうです……両親は、バレンタインデーに他界に行ったのです……」
 雪枝の口調が少し落ち込んでいたが、大介に理由を伝えることにためらいはなかった。
「すみません」
「いいえ、私はまだ小さかったから何も覚えていません。全部お兄ちゃんが処理したのです。あれから、お兄ちゃんはチョコレートが嫌いになって…嫌いというか、ダメになっちゃったの……そうです!」
 いきなり、雪枝のテンションが躍起した。
「嫌な思い出を忘れさせましょう!」
「!?」
「大介さんはお兄ちゃんをバレンタインデートに誘って、楽しく遊んで、嫌な思い出を上書きしましょう!」
「……」
(嫌な思い出が増えるだけじゃないか……)
 いかにも自分の名案に興奮する雪枝に、大介は本当の考えを言い出せなかった。
「ちょうど、私と正樹もテーマパークに行く予定です。ダブルデートもいいです!」
「いや、雪枝さんたちを見たら、悠治はまた挫けるだろう……」
「あっ、確かに、その可能性が……」
「それじゃあ、大介さんの好きなところでいいと思います。お兄ちゃんはあまり外出しないから、遊びに不得意です」
「……」
(決めた言い方にしないでほしい……)

 04
 雪枝のアドバイスはちょっと困ったものだが、無意味ではなかった。
 少なくとも、チョコレートという地雷が分かった。
 気分転換させるのもいいアイデアだし、とりあえず、チケット送って、好きにさせろう。

「テーマパークのチケット?」
 寝起きなのか、悠治声が弱くて、かすれたように聞こえる。
「なんで俺はお前とデートしに行かなければならないんだ?」
「誰がオレとのデートだと言った!引きこもりの治療に、小日向さんでも誘って、遊びに行くとアドバイスしただけだ」
「引きこもりは病気じゃない、ライフスタイルだ。差別をやめろ、ッコン……」
 話の途中、悠治は一回軽く咳をした。
「それに、小日向さんとはもう一緒に出掛けないと決めた……」
「まさか……告白して、振られたのか!?」
「ちげぇよ!悠子様が、コ、ッコン、クン……!悠子様がダメとおっしゃったからだ」
「悠子が……?」
「お前と関係ないことだ。もう切る。電話が熱いし、頭がごちゃごちゃ……お前に対応する暇は…コッ、コッホン、コン……」
「……電話が熱いんじゃなく、お前が熱がでたんじゃない?あの日、ちゃんと体を温めて、よく休んでた?」
 連続の咳を聞いたら、大介は悠治の声が弱い理由を分かった。
「覚えていない……」
 悠治はぼんやりと返事をした。
「じゃあ、熱は?」
「分からない……」
「体温計で測ってみろ」
「そんな難しいものは使えないよ……」
「じゃあ、病院へ」
「面倒くさい、寝る……」
「今は午後3時だ…………」

 池に落ちた翌日、悠治はすぐ修正されたシナリオを提出した。
 高い確率で休まずに徹夜で直したのだろう。
 体調が崩れたのもおかしくない。
 そう思うと、大介は少し罪悪感を覚えた。
 電話を切られたら、急いで悠治の家に向かった。

 悠治の家の扉に鍵も掛かっていない。
 お互いの家に侵入するのは初めてじゃないし、大介は遠慮なく部屋に入った。
 ベッドで蒸しかにの顔色で寝込んでいる悠治を見たら、驚くというより、やっぱりと嘆いた。
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