『貴方も私を知っている』

文字数 1,964文字



「こんばんわ、尾方さん。私です。正端清です」

 シンッと静まり返った室内に、聞き覚えのある声が響く。

 顔面蒼白となっていた尾方に、更なる緊張が走る。

 いま来訪しているのは、若女将 正端清か、戒位第三躯 正端清か。

 それによって状況は大きく変わる。

 尾方は恐る恐るドアの向こうへ返答する。

「キヨちゃん...どしたのこんな夜遅くに?」

 その声に反応して清が続ける。

「あ、よかった尾方さん。玄関は開けないで聴いてくださいね。単刀直入に聞きます。なにがありました?」

 その質問内容から、既に清がここに来た目的が察せられた。

 戦闘禁止区域での戦闘行為。

 その罰則を決め、執行するのが正端清の務めである。

 故に先ほどの攻防が戦闘行為と捉えられ、その審判が清に委ねられるのは自然なことであった。

 しかし尾方は、その言葉を聴いて安心したようにホッと胸を撫で下ろす。

「それを聞いてくれるってことは、キヨちゃんなんだね? 助かるよ」

「そうです。今の私は私なのでご心配なく」

 尾方の安心した声に、清もどこか安心した様な声で返す。

「じゃあ、隠し立てなく話すね。実は...」

 尾方は清がいつもの清である事を確認すると、事の成り行きを簡単に説明した。

 担当医が身元不明の青年を担いで訪問してきたこと。

 治療の手伝いをさせられた事。

 意識を戻した青年が豹変し、襲い掛かってきた事。

 それを返り討ちにした事。

 肉じゃがのお礼。

 それらを清はドアの向こうでふんふんと聴いていた。

「なるほど...事情は分かりました(あと、どういたしまして)。貴方達に悪意はなさそうですね」

「セーフ? セーフだよね?」

 尾方が願うように言う。

「私的にはセーフですが...視たらアウトでしょうね」

「視たら?」

 少し引っかかった言い方に尾方が尋ねる。

「はい、私の所謂『悪アレルギー』は、視る事によって発現するのです。今回のコレは軽い対策となっております」

 尾方は「なるほど」と手を叩きながら言う。

「それで扉越しに会話してるのね。おじさんてっきり、キヨちゃんがスパイ映画かなにかにハマったものかと。ごっこ遊びみたいな?」

 扉の向こうからカキンッと乾いた金属音が響く。

「鯉口鳴らさないで!?」

 尾方が二歩下がる。

「二歩下がり後ろ足重心右半身」

「間合い読まないで!?」

 普通に怖すぎる、視えてない前提はどうなったのだろうか?

「ごほん、取り合えず、今回の件は人助け分から差し引いて不問としておきます」

「本当? 助かるよキヨちゃん」

 尾方はふうっと胸を撫で下ろす。

「ただし、あくまでも戒位第三躯正端清の判断として不問としたのです。私情は一切挟みません」

「うん、それでいいと思うよ。これでおじさんは、キヨちゃんの本当の正義の立証者第一号だ」

 尾方は笑って言う。

 それを聞いて、清も「ふふっ」と微笑んだ。

「では尾方さん、私はこれで失礼しますね。夜更かし人助けはほどほどに」

 扉の向こうからカランっと下駄の音がする。

「あら、もう行っちゃうの? 天使が誰とか聴かなくていいの?」

「いいんです。どっちにしろ今そちらには行けませんし。尾方さんに任せますよ」

 私は忙しいですし、っと清は続ける。

「なるほどそりゃそうだ。じゃあ適当に任されました。キヨちゃんもお仕事はほどほどにね」

 はーいっと返事が聞こえ、ダンッと地面を蹴った音が聞こえると、扉の向こうは静寂に包まれた。

 尾方はふぅっと一息つくと部屋の奥に戻る。

 そこで待っていた加治医師は、尾方を見るなり言う。

「お前、随分変わった知り合いが居るんだな」

 尾方は、両手のひらを上にしておどける。

「老舗旅館の若女将だよ。羨ましい?」

「堅苦しそうだ。ごめんこうむる」

 加治医師は真面目に答える気がなさそうな尾方から、興味の対象を青年に移す。

「しかし実際のところ、この男をどうしたものか。起きる度にあの調子じゃこいつ自身がもたないぞ」

 尾方もどさくさに紛れて温めていた肉じゃがを摘みながら言う。

「僕だって毎回あんな殺意向けられて襲われたんじゃたまったもんじゃないよ。麻酔とかないの?」

「簡単に言うな。そんなどこかに転がってるようなものじゃない。病院に戻らないことには投薬は不可能だ」

「ま、そりゃそうだ」

 と尾方は青年の隣に座り、顔を覗き込む。

「あーあ、こりゃ酷い」

 その体は、どこも包帯が何重にも巻かれ、目で素肌を確認するのが困難なほどだった。

 しかし、顔の包帯の隙間、頬の辺りに古傷が見受けられた。

 それを見て尾方が反応する。

「この傷の位置...どこかで...」

 尾方は、深く考えるように手を顎に当てる。

 そしてハッと自分の手を見た後に青年の古傷を見る。

「天使じゃない...」

「尾方...?」

「彼は、天使じゃない。悪魔側最大勢力が一つ悪海組、その若頭 國門 忠堅(くにかど ただかた)だ」

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