第十五章 第一節 タカユキの秘密主義
文字数 2,289文字
ケイコは身ごもっていた。
しばらく
男の子やったらええなあ。
長男。
孫ができたから義父母 も喜んでくれるだろう、そうケイコも当然のように思っていた。
――そう、ならなかった。
年末年始で、夫タカユキの実家にケイコも一緒に訪れたとき。年を越す。泊まりである。今度こそ和やかに受け入れられるかと思っていた。なのになぜか、祝うどころかまともな雰囲気すらなくて、中谷家の全員、ピリピリと異様な緊張感がただよっていた。
「コレは息子の子ぉとちゃう! アンタ、浮気したやろッ!」
年末は、そばに夕食に正月料理と忙しい。料理のために台所で女ふたりきりでいるとき、いよいよ義母のカズコが指をさして、ものすごい形相で迫った。もちろん子どもができたことは、判ってすぐに知らせてあったから。
ケイコには全く心当りがない。掃除し忘れならまだしも、よその男と寝るなんて、無意識にしてしまうようなことではない。身に覚えはない。なのに責められた。頭が真っ白になる。パニックになって押し黙る。たぶんほんの少しの間だっただろう、何も言えなかった。その一瞬もケイコには長い時間に感じた。
「そんなことありません」
絶句 を破ってすぐ、懸命に否定した。しかし、
「いや、ゼッタイに息子の子ぉとちゃう! なんせウチの息子はな……」
そしてカズコは、信じられないことを云った。
「子どもができへん病気なんや」
ケイコには、わけがわからない。実際にこうして妊娠したのだから。けど、お義母 さんがウソをついているとは思えない。思いたくない。だとしたら、いったいどんな病気なのだというのだろうか……? かたくなに、断定的に、不倫だと決めつけられて。どうしようもない。
しかしそうしてみると、義父 タカシの冷たい態度も解った。
こうしてケイコは孤立、四面楚歌 だ。それでも頼れるとしたら、すがれるとしたら――夫しかいない。なるだけ、夫のそばにいたい。
けれどそれも、正月の雑煮 やらなんやらをつくったりするのは女の仕事で、男が入ってこない世界だ。おそるおそる。そして、気が気ではない。
さらに年明け、タカユキの姉、正月早々に夫とともに実家に顔を出したユキエの態度も異様な気がした。義姉 もまた同じように、
もうひとつ。
「ケイコもそろそろ入会させたらどうなんや」
正月の食卓を囲む場で、タカシから話が出た。嫁を宗教団体に入 れ、自分らと同じ会員にしようということである。
「いや、まだええやろ」
タカユキは、のらりくらりとかわした。
「その話は今日することやないやろ」
正月祝いの場が興 ざめだということだ。
中谷家の実家には、この団体の機関紙やらなんやらがごく当然のように転がっている。店には政治団体のポスターが貼ってある。そんなことはケイコも最初から知っていたが、この「宗教」のこと自体は、よく知らない。
大変な思いをして、逃げ場もなくて。いままでの人生で一番しんどかったかもしれない。それはこのあとも続くのかもしれない。同じ「宗教」に入ったらラクになるのだろうか? たぶんそうなのだろう。
やっと自宅に帰ってきて、息がつけた。
「私も入ったほうがええのんでしょうか?」
宗教の件を先に問うた。
「いや、おまえは入らんでええ。ええんや」
ピシャッ。タカユキは自分ひとりで結論を出して、ケイコに投げつけた。
しかし宗教のことも問題ではあるがそれより、「子どもができへん病気」のことが気になってしかたがない。実際にはこうして、できているのに。けれどもその話題のほうを出す精神的余裕はなくて。きっと、むずかしい問題で、たぶん、カンタンには話せないことなのだから。そうして、まる一日たった。
このままでは正月休みがなくなってしまう、夫は会社に戻ってしまう。ようやく、意を決して質問した。夫に直接たずねるのも、それに男の人だから、この夫だから、こういうことを訊くと怒られるだろうから、怖ろしいのだけれど、ハラをくくって覚悟して、義母 に云われたことについて話す。
するとタカユキは、思ったとおりキゲンを損ね、ムスッとしている。
「どういうことなんですか?」
なにも夫が悪いことをしたわけではない。だから怒って問い詰められるような立場でもない。あくまでも穏やかに、改めて訊 いた。
しかし、タカユキは頭に血がのぼったようで、
「おまえは知らんでいい!」
バーンっ!
怒鳴って食卓を平手でぶん殴る。
殴った相手がケイコでなかったのは、妻に対する暴力を自重したからなのか、それとも、おなかの子がいるからなのか――。ケイコにも判らなかった。
答も返ってこない。それも判らない。どうして「子どもができへん」というのか? 実際にはこうして、できているのに。当の本人が答えるのを拒絶しているものをもう、知るよしもない。きっとこれは、私には知ったらあかんことなんやろうから……。
「……わかりました……」
これは口外厳禁。他言無用だ。実の両親を含め、誰に対しても漏らしてはいけないこと。
――秘密。
それどころか、親類の金銭を横領した中谷 家の「前科」のことも、ケイコには未だに知らされていなかった。犯罪一家の。中谷家の人間として勘定 にも入れられていなかったのである。
ふうぅーっ、と長いため息を吐いて頭が冷却されたころにタカユキは云った。
「心配するな。
しばらく
月のもの
がなくてそういう気分
ではなかったのも、妊娠していたからなのだろう。気分が悪くなっていよいよ、産科医から診断を受けた。だからそれはつまり、つわり
だった。年の瀬もせまったころのことだった。男の子やったらええなあ。
長男。
孫ができたから
――そう、ならなかった。
年末年始で、夫タカユキの実家にケイコも一緒に訪れたとき。年を越す。泊まりである。今度こそ和やかに受け入れられるかと思っていた。なのになぜか、祝うどころかまともな雰囲気すらなくて、中谷家の全員、ピリピリと異様な緊張感がただよっていた。
「コレは息子の子ぉとちゃう! アンタ、浮気したやろッ!」
年末は、そばに夕食に正月料理と忙しい。料理のために台所で女ふたりきりでいるとき、いよいよ義母のカズコが指をさして、ものすごい形相で迫った。もちろん子どもができたことは、判ってすぐに知らせてあったから。
ケイコには全く心当りがない。掃除し忘れならまだしも、よその男と寝るなんて、無意識にしてしまうようなことではない。身に覚えはない。なのに責められた。頭が真っ白になる。パニックになって押し黙る。たぶんほんの少しの間だっただろう、何も言えなかった。その一瞬もケイコには長い時間に感じた。
「そんなことありません」
「いや、ゼッタイに息子の子ぉとちゃう! なんせウチの息子はな……」
そしてカズコは、信じられないことを云った。
「子どもができへん病気なんや」
ケイコには、わけがわからない。実際にこうして妊娠したのだから。けど、お
しかしそうしてみると、
こうしてケイコは孤立、
けれどそれも、正月の
さらに年明け、タカユキの姉、正月早々に夫とともに実家に顔を出したユキエの態度も異様な気がした。
そう
思っているのかもしれない。もうひとつ。
「ケイコもそろそろ入会させたらどうなんや」
正月の食卓を囲む場で、タカシから話が出た。嫁を宗教団体に
「いや、まだええやろ」
タカユキは、のらりくらりとかわした。
「その話は今日することやないやろ」
正月祝いの場が
中谷家の実家には、この団体の機関紙やらなんやらがごく当然のように転がっている。店には政治団体のポスターが貼ってある。そんなことはケイコも最初から知っていたが、この「宗教」のこと自体は、よく知らない。
大変な思いをして、逃げ場もなくて。いままでの人生で一番しんどかったかもしれない。それはこのあとも続くのかもしれない。同じ「宗教」に入ったらラクになるのだろうか? たぶんそうなのだろう。
やっと自宅に帰ってきて、息がつけた。
「私も入ったほうがええのんでしょうか?」
宗教の件を先に問うた。
「いや、おまえは入らんでええ。ええんや」
ピシャッ。タカユキは自分ひとりで結論を出して、ケイコに投げつけた。
しかし宗教のことも問題ではあるがそれより、「子どもができへん病気」のことが気になってしかたがない。実際にはこうして、できているのに。けれどもその話題のほうを出す精神的余裕はなくて。きっと、むずかしい問題で、たぶん、カンタンには話せないことなのだから。そうして、まる一日たった。
このままでは正月休みがなくなってしまう、夫は会社に戻ってしまう。ようやく、意を決して質問した。夫に直接たずねるのも、それに男の人だから、この夫だから、こういうことを訊くと怒られるだろうから、怖ろしいのだけれど、ハラをくくって覚悟して、
するとタカユキは、思ったとおりキゲンを損ね、ムスッとしている。
「どういうことなんですか?」
なにも夫が悪いことをしたわけではない。だから怒って問い詰められるような立場でもない。あくまでも穏やかに、改めて
しかし、タカユキは頭に血がのぼったようで、
「おまえは知らんでいい!」
バーンっ!
怒鳴って食卓を平手でぶん殴る。
殴った相手がケイコでなかったのは、妻に対する暴力を自重したからなのか、それとも、おなかの子がいるからなのか――。ケイコにも判らなかった。
答も返ってこない。それも判らない。どうして「子どもができへん」というのか? 実際にはこうして、できているのに。当の本人が答えるのを拒絶しているものをもう、知るよしもない。きっとこれは、私には知ったらあかんことなんやろうから……。
「……わかりました……」
これは口外厳禁。他言無用だ。実の両親を含め、誰に対しても漏らしてはいけないこと。
――秘密。
それどころか、親類の金銭を横領した
ふうぅーっ、と長いため息を吐いて頭が冷却されたころにタカユキは云った。
「心配するな。
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