第二章 秩父夜祭の謎

文字数 2,284文字

 秩父神社を調べていくと、春に、近くにある秩父今宮神社の神池に湧く武甲山の湧き水で竜を呼び、秩父神社の田植え神事が始まり、収穫が終わる冬12月に秩父神社のお旅所から武甲山へお帰りいただくという祭祀があるという。

(写真:秩父夜祭 出展 秩父観光なび)

 秩父夜祭は荘厳な祭祀として多くの支持者や観光客を呼んでいる地元の一大イベントであろう。国指定の文化財としての価値も高い。今後とも続く秩父の歴史の生き証人である。
 が、田の収穫に感謝する祭りなら秋の刈入れの後ではないだろうか。更に、秩父神社の本殿は以前は南北が逆だったという。以前は武甲山の遥拝殿であったのが妙見信仰の時代に北斗の北を拝する向きになったという。時代の変遷によるとはいえ、そこまで大胆な改造が必要だったのだろうか。といった疑問が湧いてきたので、早速あちこち、あれこれ調べてみることにした。

秩父今宮神社HPより
 「龍神祭」は毎年4月4日の午前中、「水分神事」は同日の午後に執り行われる。水分(みくまり)神事は、秩父神社でおこなわれる御田植神事に先立ち、武甲山からの水源をなす龍神池の水神を迎え、授与する神事。
 秩父神社から神職、伶人、神部(農民の代表者)たちからなる御神幸行列が当社を訪れ、「水乞い」を行う。当社の宮司から秩父神社の神職に、当社の龍神の御分霊を宿した『水麻(みずぬさ)』(八大龍王神の御神徳)として授ける。御神幸行列は、この水麻を奉斎して秩父神社に持ち帰る。
 秩父神社では授与された水麻を、田の水口をかたどる「藁の龍神」の頭部に立てる。すると、境内の敷石に龍神の御神霊が行き渡り、そこは一面の水田と見立てられ、神部らによって御田植神事が執り行われる。
 この「藁の龍神」は、毎年12月3日に斎行される秩父神社例大祭(秩父夜祭)の際、大真榊を立てる榊樽に巻き付けられ、神輿・笠鉾・屋台の行列とともにお旅所へ供奉される。
 武甲山に鎮まる山の神が、春に里へ下って人々に豊かな稔りをもたらしたあと、冬のはじめに再び山に帰ることを象徴するもの。

秩父神社HPより
 中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。
 秩父夜祭は、ご祭神である妙見様にちなんだ祭礼であり、かつては旧暦11月3日に行われていたものが、明治の改暦によって12月3日となり、現在に至っています。ご神幸行列の先頭は大榊に巻きつけられた藁づくりの竜神です。この竜神は、毎年、春4月4日に行われる特殊神事「御田植祭」(埼玉県無形民俗文化財)において、市内に鎮座する秩父今宮神社境内の竜神池から迎える水神様のご神体に他なりません。しかも、この竜神池の湧き水は、秩父神社に対面して聳える武甲山の伏流水であり、盆地をうるおす大切な水源なのです。秋の収穫を終えての夜祭の神幸祭には、春先に招迎した武甲山の竜神を初冬に歓送するという太古以来の壮大な風土の神祭りを読み解くことができるのです。

秩父地方に伝わる妙見 ・武士団の興り―その変遷と現状―
      小村 純江 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科 博士後期課程
 妙見の祭祀等に係る人々は、現在、秩父市内で農業や商業、加工業等主に生産業に携わっている人々であり、生活への身近な願いを妙見へ託し、その願いは秩父神社の「御田植祭」や、かつて「お蚕祭り」といわれた「秩父夜祭」という形で伝えられている。その歴史は
 ① 10 世紀中頃、平良文が上野国群馬郡花園村から妙見を勧請した。良文は下総国に居を移したが、子孫は土着し武士団「秩父平氏」を形成、武神として妙見菩薩を篤く信仰した。
 ② 妙見宮は最初、宮崎山の丘陵地(字峰沢の前山、秩父市大野原)に祀られた。
 ③ 妙見宮は、次に音窪(秩父市下宮地)に祀られた。音窪は、伝承によると廣見寺の南側にある旧 県立秩父東高校東側丘陵の窪地といわれる。
 ④ 1235年、落雷のため秩父神社が炎上。秩父神社再建にあたり妙見宮を合祀することとなる。
 ⑤ 妙見は「妙見七ツ井戸」(上宮地・中宮地・下宮地)を渡り秩父神社へ向かう。秩父神社へ渡っ て行く途中に 10 年ほど「妙見塚」(秩父市中宮地)に留まる。
 ⑥ 1320 年頃、秩父神社社殿が再建され妙見菩薩が秩父神社に奉斎される。
 ⑦ 明治の神仏分離により、妙見菩薩と習合していた天之御中主神に祭神を改め、社名も「秩父神社」と旧に復し現在に至る。天之御中主神について、秩父神社では「宇宙創造神、俗に北斗七星の神として妙見様といわれる」と位置付け、地域で身近な妙見様として敬われ親しまれている。

オサキの首傾げ
 秩父夜祭が田の神祭祀の締めくくりなら、なぜ収穫に感謝する秋ではなく、冬の12月3日なのかという疑問には、秩父神社のHPに、もともとは旧暦の11月3日だったと書かれていることで、やや納得した。また、秩父夜祭は地元を守護する妙見様の祭りだとも書かれている。北に位置する北斗星と南に位置する武甲山がともに秩父の守護神ということだろうか。もともとの竜神の田の神祭祀であった祭祀に、妙見様の夜祭祭祀をかぶせたような印象も受ける。4月4日の秩父今宮神社の「龍神祭」と「水分神事」からスタートする神事が、何故秩父神社の祭祀に変わるのか。最後に竜神を秩父神社のお旅所で武甲山へお送りするより、秩父今宮神社の神の池に戻り、武甲山の棲み処に帰っていただくのが自然ではないか。依然として小さな謎が残る…

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