第1話 ある美術館にて

文字数 6,155文字

それは静かで爽やかな風が吹く、夏の終わりの出来事
なんという事も無い、誰もが通り過ぎる微睡んだ午後
燦々と照りつける太陽の下に、森に囲まれた美術館がありました


「頭おかしーよね。よくこんな作品描けるよね」
「そうだよね、やっぱ環境なのかな?それとも持った感性が違うからって奴?」
「いやー褒め言葉だよマジで。オレもこんな天才、なってみたかったわー」

荘厳で広い廊下を、来館者がふざけてるのか、はてさて嫌みとでも云うのだろうか
話してる人々に自覚が無いのがまた、タチが悪い
傍らの女子高生は、まるで嫌いな何かを遠ざけるような遠い目をして面倒くさそうにしていた

「・・むっかつく」

まるで、孤高に生きた画家や芸術家の全てを嘲笑された様な酷く嫌な気分になりながら
男はその場を後にする
せっかく来たのに、まさかこんな気分にさせられるなんてな
男は溜め息をつきながら後ろを振り返った

そう、ここはとある地方にある有名な国際美術館
世界のありとあらゆる芸術文化を再現した作品も数多くある
それも国宝級で国が管理してるだけではなく、最近は新しいアミューズメント施設を
増設し展開する為に改装しながら営業しているらしい
奥の方は工事中の為に入れなくなっていた

「見れないなら別な場所いこっ」

「はぁ」 

歩きながら、暗い思考にまた沈んでしまう

男はさっき廊下の先ですれ違った老人や若者達の笑い声がどうにも癪だった
「頭がおかしくなければ芸術家じゃない」そんな口ぶり
およそ齢を重ねてきた老人ともあろう人からは聞きたくなかった
確かに芸術家はどこか狂ってるのかも知れない

だけど・・

後悔、葛藤、その時の時代では生きるのも大変な中、尚、描く事や表現を止めなかった天才達
悲惨な悲劇に見舞われても、作家として表現をやめなかった才人達
そんな作家の作品に溢れた美術館で、年甲斐も無い言葉なんて聞きたくなかった
苦労を重ねた絵(作品)から全てを感じ取れなくても、
せめて美術館に来てまで見る位なら芸術家達へのマナーはあって欲しかったのだ

「まぁ、こんな難しい事しか言わない俺だから売れない・・なんだろうな」

「これも最初、本物かと思ったけど、パンプレット見たら、陶板っていう鑑賞用の複製品
なんだもんな」

「絵・・か。俺は小説家だからあれだけど、複製で再現されたとしても偉大な表現者から見たら
多くの人達に知られるから、むしろ嬉しい事なんかな」

「俺は、なんか寂しい・・苦労して作っても、全て再現された訳じゃないのだけど
似たような物を作られるのは」


言いながら、壁にあったゴッホのひまわりや、ムンクの叫びを見て、なぞる
(もちろん触れて良い作品)

「創作の足しになるかと足を運んでみたけど、不思議だよな。俺の生活なんて
火の車で、まさにムンクの叫びみたく叫びたくなるような酷いもんなのに」

「でも、もしかしたら描いた本人は叫びを表したくて描いたかは、誰にもわかんない」

男は深く思い悩んだ。
誰も好きで頭おかしくなりながら芸術家になりたい訳じゃないけど、現実的には、孤独が傍にいなきゃ生々しい作品なんて作れない
なら・・なら
俺は?何も表現すら出来ない今の俺は、なんなんだろう


「駄目だ駄目だ、暗い気持ちになる為に来た訳じゃない、ん?これ・・」


瞬間、男の目はキラキラした
まるで童心にかえったかの様に急に駆け足で進んでいく
それは普段の男からは想像できないはしゃぎぶりだった

「この先にあるんだ!幻の絵が」
そういってホールを抜けた先の玄関横に
その絵はあった

それは凄く大きくて、美術館の壁側面を埋め尽くす大きさで描かれていた
最初に来た時すぐに絵を見たかったのだが、あまりに混んでて見れなかった
ちょうど良い時間に目的地に来れて正解だったのか、人は疎らだった
男は巨大で真っ黒な絵の前に立って、その絵をじっと見つめた


ー圧巻だったー

なんていったらいいのかわからない
ただ俺は強烈に心の底から惹かれ、魅せられたんだ その「絵」に


人の深く黒い物言わぬ美しさを称えたような黒いドレスを纏った女性が
目を閉じたまま黒い右手で口元を隠している


そして面白いのは、光の加減でなのだろうか
見上げる位置で、その女性の手が黒だったり、まるで何かを待つ無垢な小鳥のように
じっと綺麗な顔になったり、でも、何故か泣いてるように自分には見えた

なんだろう、まるでそこに人がいるみたいに、胸がドクドクしてきた
絵の力って凄いんだなぁ。

まるで

魂 に 触 れ ら れ て る 様 な 感 覚 を 持 っ た


なぜか目を逸らせないまま、暫く眺めていた時、
陽光が差してきて一瞬目を閉じた

なんでだろう、花粉症?いや、光の刺激が目に強すぎただけなのだろうか
暫く目すら開けられず、大粒の涙や鼻水が流れてくる


「なっ、なんで急にこんな時に・・あわわ、なんか拭くのもってたっけ・・うーぅ」


うめきながらショルダーバッグを床に降ろし、ジッパーを開けて
しどろもどろ中を探る・・が、拭くのもティッシュも入ってなく代わりに色々な
大きい荷物がバッグの中を圧迫していた


次第に目も開けられないまま、今度はジクジクとした強い痛みが瞼を襲う


「くっ・・」

痛くて目も開けられなく困ってしまう その時だった


・・・優しい風が吹いた

しどろもどろになった自分の隣に、ふいに誰かの気配がした


「・・・っぉぇ」


「え?」

声が小さすぎて喧噪に溶けそうだった
まるで今言葉を覚えた雛鳥の様に、可憐な声がようやく聞こえた

「これ、、使って」

そういって、掌に柔らかいハンカチが握らされる
なんだか瞬間的に、どこか懐かしい気持ちになる


「この絵・・怖いのに、そんなに泣きそうな位好きなの?」


「え・・あっうん。あ、ごめん、なんか急に恥ずかしいとこみせて」

俺は慌てながらハンカチで瞳を擦る 
嗅いだ事の無い不思議な花の匂いがした


「そうなんだ・・別にいいよ。そのハンカチ、あげる・・じゃぁね」
そういっておぼろげにしか見えない少女の姿が、美術館の中へ踵を返して吸い込まれていく

「あっ、待ってハンカチ」
言い終える前にはもぅ、少女の姿は視界から消えていた


暫くして、男はようやく涙が収まり、周りを見渡す
だが、さっきハンカチを貸してくれた女の子は、もういない
代わりに掌にあるのは、どこかで見た事がある人気キャラの泣きべそ顔が
あしらわれてるハンカチだけだった

「あの子も好きなのかな・・べそかわ」
そういってハンカチをポケットに入れて、改めて大きな絵を見上げる

ー黒の叫びー
さっき見た瞳を閉じたままの女性の絵
そしてどこまでも魂を鷲づかみにされる様に錯覚させる絵
出来るなら、もっとずっと見ていたい
でも、、もう時間が無い

そうして男は寂しそうにその場を後にして、残り時間を堪能するかの様に
別の各フロアを見て回った
少し早足で絵画やモニュメントなどを見ていく
各階には様々なテーマに沿った、それでいて目を疑う位
素敵で、異様で、不思議で、とかく考えさせられる様々な種類の作品ばかりで
それに酔いしれた

天井にまである壁画が、ゴヤの絵、ゴッホ、モネの睡蓮、
一通り見ては廻るが本当はまだまだ見ていたい程だった

そうして、まだ見ていなかった新館のピカソの絵を見に行った時だった
トロンプルイユのだまし絵が並ぶ白い壁の中央に、一際大きい絵が飾ってある
そう、あれがピカソ作、反戦絵画芸術の一つ、ゲルニカだ

手元にあった音声ガイドのスイッチを押し、説明を聞き込んだ
意外と第二次世界大戦後に注目をようやく浴びていた事に驚きだった

色彩は白と黒 
なんでもピカソの愛人の写真家から
このゲルニカの悲惨な戦争風景をモノクロの写真で見せられた時に
モノクロの有無を言わせぬ表現色に衝撃を受けてこのタッチにしたらしい
絵には、人類の破壊、絶望の衝動と悲惨さを描いてる様だ
このゲルニカは戦争の中、ある意味軍事力を誇示したいが為の
見せしめに丁度いい場所だった為、数時間の爆撃をされた非業の地ゲルニカを描いた絵だ
爆撃で死んだ子を悲しむ母、悲しむ女子供、画面中央下に描かれた壊れた剣と花
戦争の恐ろしさを忘れて、愚かな名誉に走った時代


「まっ、今も昔とあんま変わってない気するのが嫌だけどさ」
そういって音声ガイドのスイッチを切り、絵画に近づこうとした時だった

「なぁ、さっきから黙ってないで、返事してよぅ。白けるなぁ」
「君すっげー可愛いよね?モデル?ちょっと俺らにこの美術館案内してよーぅ」

「っ・・・」
見るとガラの悪そうな学生二人に絡まれてるらしい
しかも、美術館にそぐわないDQNっぷりで近づきたくない系だ
絡まれてる子は背が低く、怯えてる様に遠目から見えた

「なんかのコスプレ?ここらじゃ見た事ない服だよね」
「おい違げーよ、首とか怪我してね?きっと病弱なお姫様なんだよ」
「誰に怪我させられたん?」
「お兄さん達が変な奴から守ってやるよ。色々教えてあげるからさ
ほら、一緒にいこうぜ」
そういって強引に少女の手を乱暴に引っ張る

「・・キャッ」
少女から、か細い声が上がった瞬間、少女は床に倒れてしまう
くそ・・警備員もいないし、周りは止めないで見過ごしてるだけだ

「あらら、なんか体中よく見たら怪我してますね~ぇ。こりゃ大変だ
おいB君、救護室に運ぼうぜ」
「あ?救護室?んなもんこんな美術館には・・あぁそっか」
二人の男は気持ち悪い笑みを浮かべて、遠目でトイレを見やる
恐怖で足が上手く立たないのだろうか、少女を無理やり、脇の階段から
立ち入り禁止エリアの方へ無理矢理連れて行こうとしていた
それでも、周りは見て見ぬふりだ

「誰も来ないトイレで、、まずは身体検査からだよ~ぅ
大丈夫優しく診察してやっからさ」
そういってガキ供はギャハハと下卑た声をあげる

俺はとうとう耐えかねて

「おい、俺の連れに何してんの?警備員も今呼んだから、大人しくして
その子を離せよ」

そういって男の手首を掴み、睨みつけた時だった


「あ?なに、だっせー奴きた。おまえなんなん?」
「マジだるいわーおまえこそ誰よ?部外者は黙っとけや」
男達は殺気立った目を向けてくる うぅ、ちょっと怖い


「俺の連れ、妹に何してんだっつてんだよ」


「妹だぁ?全然似てねーしびびるわ、しかもこんなか弱そうな
病人みたいな女の子、ひとりっきりにするか~」
「嘘ばればれ~。まっ、どっちにせよ、邪魔した分と、可愛い妹ちゃんを
放置したらどうなるか、ちょっと勉強させてやろうか・・なぁ!!」


その瞬間、ドサッと乱暴に少女を床に落として、
手首を掴んでいた男が拳を突き出してきた
驚きはしたが、想定内なのと手首を掴んでたからか動きが丸わかりで
瞬間的に、男を真鍮製のポールに投げ飛ばした

「てめぇ!」
もう一人の男が懐に手を差し込み、突進してきた
すんでの所で躱したが、鋭利な刃物が髪の毛先を掠め、空中に舞う

「おまえ、そんな事して、犯罪者にでもなりたいのか」
驚きながら声を出す

「はっ知らねーな。別に怖い物なんぞねーし、生意気に邪魔する奴は
ぶっ殺すだけだ。なーに、少年法もあるから、大した罪になんねーよ」
「何より、びびりの大人なんぞに負けるも道理もねぇしな。血まみれ絵画にしてやんよ
かぁ~俺、かっちょぇぇ~」

アホかこいつらは

「・・・確かにね、失う者なんもない奴は怖いし強いわな・・奇遇だな」
「俺も同じだ」


「へ・・ぎゃっ」

目の前の男を躊躇なく前のめりに踏み込んで殴りつけた
手加減した気だが、運が悪かったのか、男は吹っ飛んだ
人間って、ここまで吹っ飛ばせるもんなんだ
やってから、しまったという後悔と、殴った拳の痛みが今頃出てくる

「くそがぁ、親にもぶたれた事ないのにぃ!マジコイツ頭おかしいわ」

いや、おまえらに言われたくはないわ

「コラッ!ここで貴方達何やってるの!ここは立ち入り禁止区域!当館ではお静かにねがいます」

凜とした強い女性の声

タートルネックの薄いセーターに黒のスーツを着た、いかにも仕事が
出来そうな冷たい印象のお姉さんがそこに立っていた
まるで図書館の司書員みたいだ
瞳がキリッとしていて、人を寄せ付けない凄みがある

「ここで、何をやってるんです・・あら?あなたは・・」
司書員さんは俺と少女を一瞥(いちべつ)して驚いていた

「ここで何をしようとしてたか知りませんが、当館で騒ぎを起こすなら
警備室に連行し、警察のお世話になりますよ?騒がれたくなければ、すぐにこの場から
離れなさい」

ハキハキと有無を言わせぬ口調で言い、続き耳元のイヤフォンをいじる

「あなた達・・その女の子に何をしたんですか?もしもし、はい。こちら繰麗摩(くれま)
です、えぇ、新館のピカソ展の立ち入り禁止区域で問題が」

「くそっ!おぼえてろ」
よくある捨て台詞だ とりあえず助かった


「・・・ところであなた達、怪我はありませんね?」
少し表情を崩して、少女に優しい笑みを少しだけ見せる・・ほんの少しの笑みだった
少女も俺も、コクンと頷く

「色々聞かなければいけませんね?多分、さっき逃げた方が加害者ですが
もぅ逃げてしまったので事情は聴取出来そうもありませんし」

「で?どういうことですか?そこのあなた・・名前は?」

「えっと、幽っていいます。これ、一応身分証」

「あなたは?」
俺の身分証を一瞥すると、ぶっきらぼうに今度はすぐに少女の方を見た

「そちらのお嬢さん、名前を教えてくれますか?」

「・・・」少女は何故か困った様にもじもじするだけで、答えない

「失礼しました、こちらも名乗るべきでしたね。私はこの美術館の管理を任されている
学芸員の、操麗摩(クレマ)と申します・・お名前は?」

「困りましたね証明する者は何も無いと?すみませんがどうやって入館・・」
少女は急に服の中へ手を入れて、がさごそと時間をかけてから一枚の手帳を
クレマさんに見せた。
すると・・

「これは失礼しました・・改めて確認は取れました。本物のようですね
でも、いったいどうしてここへ?お体の具合は?
療養中と私どもは聞いていますが」

やれやれ、俺は置いてけぼりかよ
なんかしらんが操麗摩と名乗った美術館の管理人?さんは少女に驚き
急に態度を変えている

ぐ~ぅ

そんな時、ひときわ大きな情けない腹の音が響いた
うぅ!そういえばずっとバタバタしててちゃんとした飯を3日位食ってない事に今気付いた

瞬間的にまごまごしながら知らんぷりしようとしたが、
間の抜けた顔をした、クレマさんと少女の顔がこちらを凝視していた
恥ずかしいっ!?

「ああぁあの、もぅそろそろいいですか、閉館時間までまだちょっと時間あるし
これからご飯でも食べて、最後に又せっかく来たんだから貴重な絵画を鑑賞して帰りたいんですけど」
俺は慌てて、リーフレットの地図を見る
確かここ、モネの庭の睡蓮を見ながら、美術館特製の変わったものが食べれるらしい

「出来たら事情聴取は後にするか、パパッと終わってほしいんです。
せっかく遠くから見たかった絵を目に焼き付くまで見てきたいんです」

「あなた、ご職業は?失礼ですがそんなに美術を嗜んでいらっしゃる御方には
見えなかったのですが」


「あっ、えと、小説家、、志望、、です」


「つまりは無職と」


ーグサァッー 容赦ない社会の刃が俺を貫く

「いえ、まぁ、だから。小説資料や参考もあるからこの機会を無駄にしたくないんです」


「そうなんですか・・」


そういってクレマさんは真剣な眼差しで考え込んでから、こう言った


「アナタは、美術はお好きですか?」
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