第3話 2月

文字数 13,332文字

「おいおーい!こっちの屋台でイカ焼き売っとるに!」
僕たちは人と人との間をスイスイと駆け抜け、心の底から祭りを楽しんでいる。
美味しいものが売っている出店に屋台、大きな神輿、その上での華麗なるショウタイムと言わんがばかりに一芸の披露。僕たちはどこにでも顔を出し、惜しみなく賞賛の拍手を送った。
祭りが始まってしばらく経っているが、どんどん盛り上がる一方。
皆が一芸の披露に歓声を上げ、拍手を送る。
その時トシが大声で笑いながら、
「あっちみろよ!ホラ!」
あっちと言われた方向を見ると、なんと先生が神輿の上で踊っている。
「先生も踊ってるわ!」
アツもソレを見て笑う。充島(みしま)ダービーの立役者の一人が先生であった。
皆で笑っていると、サービス精神なのか神輿の上から僕たちに両指をさす。
それに皆、更に笑う。
「ダッセー!先生!そんなことしないでいいから!」
先生を乗せた神輿が移動を始めると、僕たちも次の神輿を見るのだと移動を始める。
神輿の上で落っこちそうなくらい激しく太鼓を叩く人もいれば、比較的平らな神輿の上で片手で逆立ちしバランスをとる人。先生に限って言えば、舞い踊っていた。風呂敷を纏い、ゆるりゆるりと踊る様が、妙に面白く、頭から離れずに記憶に焼き付く。
先生に言わせれば、アレは舞野小(まいのこ)の伝統的な舞を再現した傑作だという。
我ながらよく思いついたものだ、と。
充島ダービーの勝敗はどちらになるのだろうか。
恐らく、今宵の酒の席で決まるに違いない。
ラッキーなことに、酒を飲む前に披露された活祭の余興を存分に楽しんだ僕たちは、帰路についた。舞野小に行くには2時間に1本のバス。
『まもなく、元充島西(もとみしまにし)、元充島西』
元充島西の乗客が降りていく。
日が落ち、薄暗くなる峠を渡ると、そこは舞野小町、であった。
前々から聞いていた通り、元充島西でゴッソリ乗客は居なくなり、舞野小町では北、南、西、東、や何々前などの名前が付かない停留所で、そこから回送になり、先に続くらしい。
特別な思い出を持ち帰ろうと皆で盛り上がっていると、よく見知った人影が前を通り抜ける。
西田だった。
「お!西田!今日何食った!?」
発言してから気づく。声をかけるタイミングを完全に間違えた。
トシとアツの二人にとってみればいつ激高し、何をしでかすか分からない人間。
とりあえず、バスの通路から皆で降りる。
西田は警戒しているのか、バッグの中を漁っている。
もしかしたらこれが激高に向かうのかと、思わず3人とも身構えた。
「あの、こっここれ」
西田がバッグから3冊の本を取り出した。
僕に、トシに、アツにそれぞれ配る。
「あっ、あげるからよかったららさ、よんでっよ」
トシがまず声を上げる。
「おい!こんなもんもらえるわけねーだろ!」
西田が身構える。
「誰の金で買ったんだ!」
「ぼ、ぼっくのおっか、金で・・・」
どうやらトシはリーダータイプなだけではなく、年齢に似通わず金銭のやり取りや、貸し借りには厳しいらしい。「ごめん、いいすぎたな・・・あー」
三人と一人、まだ寒さを感じる季節、静寂が走る。
トシも僕も、西田も固まったまま。
そんな雰囲気を打ち破ったのは、アツだった。
「いや、俺は貰うよ。これ面白いんだろ?今話題になってるー・・・」
西田が嬉しそうに漫画の説明をする。
僕とトシは固まったままだったが、アツは違った。
本当に欲しかったのか、その場を収めたかっただけなのかは謎だったが、ページを開いて、アツが興味深げにコマを指さし、西田に質問をする。
そんな雰囲気を共有した皆が、せっかく買った漫画を返して来いと言えるわけもない。
何せ、この瞬間からこの漫画は僕たちの共通言語のうちの一つなのだ。
皆で帰りの道を往く、アツが漫画の内容に食い入るように見つめながら歩く。
コマを見ながらアツが質問をすると、西田がそれに答えるが、ギリギリの、興味を惹かれるという程度のネタバレで解説していく。とうとうトシは観念したのか、漫画をカバンに閉まった。
アツの質問に対する解説を聞きながら、トシは半笑いでリアクションを取る。
僕は漫画のネタバレは避けたいので、二人のやり取りを聞くフリだけをした。
フリにかけては天才だ。
西田と、トシとアツと順に別れ、家路についた。
「あのさ、それってそんなに面白いの?」
祖母がつぶやく。
「面白い?面白い・・・んー何ていうのかな」
「ちょっと婆ちゃんにもやらせてよ」
「いいけど、婆ちゃんには難しいかもよ?」
「いいのいいの、ホラやらせて」
僕はゲームの仕組みをできる限り分かり易く教え、祖母が画面とコントローラーに向ける眼を何回も往復させ熱中している。ゲーム自体は単純なもので、実のところ、操作さえ覚えれば難しいものではない。単純なパズルゲームだ。消すコマを決め、敵陣地に送り、さきに全部送られた方の負けになる。「よし!婆ちゃん分かってきた!対戦しよ!」
よしわかったと熱を上げる僕らとは対照的に、少し冷めた夕食を控えさせたまま、母さんは換気扇の前に立ち、タバコを吹かす。家族団らんという物をより一層大きく、経験している最中であった。

活祭の賑やかな時は過ぎてゆき、僕たちの学校生活も一通り落ち着いてきた。
教室からボールを借りて、いつも通り、サッカーだ。
今日はパス回しにした。新メンバー、西田が居たからだ。
何度か話に上がっては西田から拒否され、消えて行った西田の参加だが、その話が通ったのが今日と言う訳だ。僕たちのサッカーのメンツが増えた。かのように見えたが、西田は根っからのスポーツ音痴で、ボールを蹴る際に空ぶって転ぶ有様。地面に落とした腰を痛めている姿を見て、3人で即座に連携を取り、ベンチまで運ぶ。肩を貸していた僕から、西田がするりと落ちていき、ベンチに座る。パス回しをどうしようか考えていると、西田が一言。
「ぼっ僕は、だいっじょうぶっぶだから皆サッカーやっっ、っててよ」
西田は自分の事は気にしないでいいと言うが、怪我をしたのかもしれない人間を気にかけないという事はそう簡単なものではない。まず友達が怪我をした、という時点で、事情を無視して自分たちだけが能天気に遊ぶ訳には行かないだろう。皆で困って顔を合わせる。
しかし、何故か西田だけは困った表情を浮かべない。
噂通りに暴れ散らかされるよりましだが、どこか期待を感じさせる眼、そわそわしている様子を西田に見た。どういうことだろう?西田は怪我させられて放っておかれる事が快感な、どマゾなのだろうか。西田に目を向けていたみんなの視線が再び三人に戻る。
少し間が開いた後、西田がバッグを漁りだした。
西田以外の三人の頭上には、はてなマークが浮かぶ。
「ぼぼっく、絵をかくよ。みっみんなの絵。だから普段通りさっサッカーやって」
スケッチブックを取り出した。
絵を描くというが、どのレベルの物だろうかと覗く。
描かれている絵は繊細なタッチで、まるで西田の性格をそのまま見ているかのようだ。
皆、夢中になって西田のスケッチブックを覗く。
あれこれ指をさし、これは何?あー、これはあれか!等、熱くやり取りをする。
とあるページには聖烈伝(せいれつでん)のキャラクターが書いてある。
主人公の零士(れいじ)だった。
「お!西田!聖烈伝のキャラクターを抑えてるなんてやるね!」
というと、
「あの、そのあっあの、せっ聖烈伝打ち切りになって、ごめん。こっこんなこといっいって」
僕は真面目な表情で西田に問う。
「西田。僕が怒ってるように見える?」
「ちょ、ちょっとだけ・・・」
「聖烈伝が打ち切られるなんて予想の範囲内!怒るわけないだろ!」
僕が大声で笑うと、西田は恥ずかしそうにスケッチブックを捲る。
「こっこれ、王」
「なんだ?」
「王って?」
トシとアツは困惑しているが僕にはよく分かる。
「おー!西田上手いな!」
西田は更に捲る。
「うおなにこれ!うめー!」
トシが驚くと、アツと僕もその絵に食いつく。
一目で何かわかる。夕方の教室だった。
赤の上品な使い分け、全体を彩る美しい明るさ、少なくとも僕らの学校にいる、どの生徒よりも絵が上手いように思える。
これほどの絵が、廊下に貼りだされたりせず、なぜ皆の目に付かなかったのか。
それには西田の性格が理由で、
「はずかかっしいんだ。ぼっぼくの絵を見せるの」
というわけで、一緒の時間を過ごした僕ら、言ってみれば仲間に見せるのは大丈夫だという。
贅沢な時間を味わった後、まだ時間が余っていた僕たちはパス回しを再開した。
アツが一言。
「おい西田!俺をかっこよく書いてくれな!」
西田はとても嬉しそうに頷き、絵を一生懸命書いている。

帰りの道、ボソッとアツが呟く。
「もうそろそろ俺たちも卒業だよな」
そういえばそうだ。今の学校、僕は毎日楽しくてしょうがない。
しかし、中学校はもっと楽しいのだろう。
「いやー、あのさ。このメンバーでいつも過ごすわけじゃなくなるかも知れないだろ?部活とか、他の友達とかさ」
未来の、一つの形をアツが口にすると皆が黙ってしまう。
西田と別れる。
お茶目な一面があるようで、僕たちが見えなくなるまで手を振っている。
そしてトシ、アツに別れる道に差し掛かると、アツが一言。
「今日お前んち遊びに行っていい?」
トシがすぐさま注意する。
「アツ、今日はもう遅いからやめといたほうがいいに」
「なあなあ!いいだろ?まだ遊びに行ったことないしさ」
アツが圧をかける。
決してダジャレではなく、すごい気迫だ。
「わかった。婆ちゃんに聞いてみる」
その場で、電話を掛けると、祖母からの許可が下りた。
「家に来てもいいって、アツ」
トシは軽く溜息を吐くと、「アツ、ほどほどにせんといかんに」といい、じゃあなと僕たちを見送った。帰り道、僕たちは中学校について熱く語っている。
どんな授業が待っているのか、どんな先生がいるのか、どんな生徒がいるのか。
または、彼女ができたりしないか。
どんな部活が待っているのか。
どんな。
僕たちの語りは尽きることないが、家が見えてきたので少しトーンを下げる。
「ん?家?ここに?ここ森じゃん」
森のように見える入り口を通り過ぎると、すぐ前に開けた土地が目前に。
それを見てアツは驚いている。
更に、大きな僕の家を見て驚く。
僕は少し自慢げに笑っていた。
玄関に着き、祖母を呼ぶ。
「ばあちゃーん!友達がきたー!」
廊下を歩く足音が響き、僕の友達を『こんなやつだ!』と祖母に見せびらかす気でいる。
しかし、目の前に現れたのは祖母ではなく、母さんだった。
「あらー、いらっしゃい。どうぞどうぞ上がって行って」
僕らは靴を脱ぎ、向きを整えてから玄関から上がる。
玄関のすぐ横が居間になっていたため、上がればすぐ着くという形で、襖を開くと、婆ちゃんが炬燵に入っていて、ミカンを食べていた。
あのお調子者のアツとは言えども、初めてくる場所にはすぐ馴染めるわけもなく、緊張している。「あの、あれ、俺、はどう?どうすればいいですか?」
祖母が笑う。
「もっとくつろいで!炬燵に入って温まってよ」
遠慮がちにアツは炬燵に入る。
僕も炬燵に入り、ミカンを手に取り、アツに渡す。
炬燵に入りながら食べるミカンは、極上の旨さだ。
アツはミカンを渡されると、
「お、俺も食べていいの?」
と聞いてきたので、祖母と共に頷く。
祖母とアツはテレビを見ながら、不自然に会話するが、自然さを身に付ければ孫だと言っても差し支えないほど上手くしゃべって見せる。
お調子者の祖母とアツには、似た者同士の『何か』があるようだ。
ミカンを一つ食べ終わると、アツは祖母との話に夢中になる。
僕はその様子を微笑ましく見ながら、もうひとつミカンを食べている。
そして僕が幾つものミカンを食べ終えると、もちろん子供のお約束、ゲームの時間。
先日、祖母と共にやっていたパズルゲームで勝負することになった。
まずは操作を覚えるために、コンピューター対戦で練習することに。
「え、むじい、わからん、あ!」
1戦目はなす術もなく、最弱設定のコンピューターに負けてしまう。
2戦目の開始。
僕がアドバイスをするが、アツは失敗を繰り返す。
また負けてしまうと、僕とアツとの間に気まずい空気が流れるが、そんな事を気にしない人が一人。祖母だ。
「練習練習!上手くなったら婆ちゃんと対戦しよう!」
祖母に背中を押され、アツの技術はどんどん上がっていった。
最弱、弱、普通、高難度、最高難度。
ざっくり分けるとこの5個の難易度があるが、難易度毎に改造ができて、普通設定でも少し弱く設定する。などその機能は多岐にわたり、アツを鍛え上げた。
しかし、時間がもう6時半近くに迫っている。
「あ、も、迷惑ですよね。俺もう帰ります」
アツはうんざりしながら立ち上がり、心底面倒くさそうに頭を掻く。
その様子を見ていた母さんがアツに、
「別に気にしなくてもいいよ。篤人君のお母さんさえよければ、家で食べていく?」
すぐさまアツがスマホを取り出すと、家に電話を掛ける。
いや、食べていきたい、そんなに遅くはならないと思う!大丈夫!
と、必死に説得するが、悲しいかな説得が終わることはない。
アツが手間取っている。すると、母さんが手を差し出した。
「あの!ちょっと代わるから!」
母さんが電話を受け取り、襖を開け、玄関に移動する。
緊張の為か、アツは再び炬燵に入ることが出来ずに、両膝を地に着き太ももの上に手を置いて、ただただ待っている。
母さんが玄関から戻ってくると、報告。
「7時半までに家に着けばいいって言ってたから、家で食べていきな。帰りはあたしが送るから」
僕はアツの肩を強くと叩くと二人と一人、祖母に僕にアツは3人で競い合い、時には対戦もして盛り上がった。他二人が初心者相手であるが故に、常に僕が一番だったのも気持ちがいい。
気になったのは、アツが家に帰りたがらない理由だった。
しかし、触れられたくない、口にもしたくない何かがあるという訳だろう。
少なくとも、聞いてみるのは今このタイミングではない。
7時半頃に差し掛かると、祖母が一言。
「今日は篤人くんと遊べて楽しかったわ。またいらっしゃい」
アツはいつになく、嬉しそうな笑顔を祖母に向けた。
ここでできた初めての友達を紹介できた特別な日、アツへの見送りが終わって、僕は西田に貰った漫画を読んでいた。
『赤ずきんと3匹の子豚』というラブコメで、聖列伝のような戦いがあるわけではないが、中々夢中になれる。内容としては、ヒロインに従順な3人の男がスリリングな恋愛で対決していく。
続きが気になるところで、ちょうど1巻終わり。
なるほどなと思った、道理でアニメ化もされるわけだと納得がいく。
7巻ほど既に出ていて、続きが気になった僕は、次のお小遣いの行き先をそこに見つけた。

2月下旬のとある日、帰りに僕の家に寄って帰るのがアツの習慣になっていた。
本人曰く、ただ単にDDをやりたいと言う訳ではなく、祖母とのお喋りが楽しいのだという。
僕と祖母は出会って間もないが、共通の友人を得ることになった。
人生がトントン拍子に上手くいっていることに一抹の不安は残るが、今は気にしないようにしようと決める。何にしろ決めようが決めまいが、いつ大きな間違いが起こるかはわからない。
アツと祖母は、再放送されているテレビドラマに夢中。
祖母もアツも引き込まれてるのかと思うが、そうではない。
「アツ、この俳優の子どう思う?」
アツが顔をしかめる。
「うーん、演技が下手?な気がする」
「そうなのよ!婆ちゃんもそう思う!表情が硬いよね」
僕はみかんを食べながら、二人のやり取りを微笑ましく見守る。
見守りながら時計を見ると、もう夕方の6時半を指していた。
「もう6時半か、あー・・・ここの家の子供になりたい」
「今日は母ちゃんいないから婆ちゃんがご飯作らないといけない。だから台所に行ってくるね。アツはこの子とDDでもなんでもやってて」
祖母は既に篤人君、ではなくアツと呼んでいた。
僕は祖母をそっと呼び止め、ランチョンミートはまだ余ってないか聞いてみる。
幸運なことに余りがあり、使いどころに困っているとのことだ。
「婆ちゃん、今日は僕が料理作るよ」
「あんたが!?できるの!?本当に!?」
誇らしげに言ってやった。
「東京ではよく料理してたんだ~」
僕の得意げな表情に、口を閉じる事ができない様子でこちらを見る二人の顔。
最高のシチュエーションだった。
肉を焼いて調理してる間、アツと祖母は話し込み、大いに盛り上がっている。
それは嫉妬を感じさせるものではなく、単純にその画が微笑ましく映り、尚且つ、自分の家族が自分の友達を笑顔にさせているということが何よりも嬉しかった。
僕と祖母と、それにアツ、トシ、西田。
越してきてから、すぐに出会い、またすぐ友達になった。かけがいのない仲間だ。
そんな事を考えていると、肉が焼きあがった。
調理といっても肉を上手に焼いて乗せるだけ。
この程度なら、東京でその手腕を発揮していた、ちびっこシェフには朝飯前だ。
どんぶりに白米をよそい、醤油をかけ、肉を乗せると『とりにきてー!』と呼ぶ。
二人が取りに来ると、アツが一言。
「ん!?これなんて言う肉!?いい匂いがする!」
これはランチョンミートと言って、と僕は祖母から説明された知識を得意げに披露したのだった。
『どんな味がするの?』
説明に困る独特の味だ。
「ちょっと塩辛いのかな?でも美味しいよ」
アツと祖母、この二人の微笑ましい関係を一通り説明する。
友達が身内と親しくなり、それを妬みやっかみで受け取ることはない。しかし、自分より美しい関係性を築きあげている事に、多少の寂しさはあるのかもしれない。
すると、ハルカちゃんは言う。
『大丈夫だよ。ハルカだって友達でしょ』
「僕のほうから言ったのに、言われて思い出すなんて何かダサいね」
『そういうところも好きなんだけどなあ』
心臓がバクバク脈打ち、振動が骨を伝い耳に繋がる。
最高の気分だった。
報われた。
今まで生きててよかった。
思わずスマホを片手にガッツポーズ。

2月の下旬も通り過ぎようというところ、3月を目前にして一つ事件が起こった。
西田が学校で暴れ散らかした。
僕は偶然その場には居なかったが、周りに理由を聞いてみると、トシが他の子と揉めた事で、悪口を一方的にトシにぶつけていた。その時、悪口の内容が西田の耳に入り、「トシ君はそんな奴じゃねえええええええええええ!」と暴れ出し、椅子や机が飛び交う地獄絵図と化したそうだ。
トシも相手の子も、西田にも怪我はなかったが、トシは言い合いをすぐさま止めた後、西田をくいとめ、なだめていたそうで、その反対ではクラスメイトは怯えており、言い合いの相手に至っては余程恐ろしかったのか、泣いている。
「まあ喧嘩両成敗だ」
先生が言う。そして続けて、
「今日のところは、お前と西田とトシは家に帰れ。ちょっと頭を冷やさんといかん」
トシは反論する気も無いのか、すぐその条件を呑み込むが、悪口相手は引く気がないのようで、泣きながら「こいつが暴れたのがいけないんでしょ!なんで俺が!」としつこく食い下がっている。その姿を見て無様だなとは思ってしまったが、それを実際に口にするほどの勇気を持ち合わせていない。兎にも角にも、三人は早退させるという先生の決定は揺らぐことなく、西田もトシも下校していった。
「心配せんでいいに。西田の事は任せとけ」
トシの残した言葉に、少し頭を悩ませるような、言葉にし難い漠然とした気持ちが胸に残る。
次の授業の時間、僕は勉強に頭を悩ませていた。
算数の授業、僕にはまだまだ難しく、黒板の内容を一生懸命ノートに書き写している。
そこで、思いもよらぬ出来事が起こる。
「んー、そうだな。お前!たまには黒板の問題解いてみるか?」
僕をご指名だ。
全身に鳥肌が立ち、一瞬にして不安が胸を駆け巡る。
出来るわけない。勉強なんて最近やり始めたばかりで、何年もして来なかったのだから。
ただ、あのハルカちゃんの言葉が頭をよぎる。
『ノートを見返すだけでも勉強になると思うよ』
『ノートを写すことで少しずつ分かっていってるのかもね』
僕は起立すると一言。
「やってみます」
先生が手招きをしている。
黒板に近づく、自分の席からの黒板の距離、こんなに長く感じるものなのかと違和感を感じる。
そして先生にチョークを手渡され、黒板の問題に取り掛かる。
「式も書いてな、肝心なそこが間違ってるといかんでな」
頭をフル回転、まず式に取り掛かる。
ノートには確か、この問題の解き方、その構造は書いてあった。
式を完成させる間も、異常な長さを感じる。
ひやひやとするスリルが、僕の骨髄を伝い脳天を貫く。
決して気持ちの良いものではないが、一概に不愉快とも言えない、不思議な感覚。
式を完成させて、問題を解く。
「こ、これでいいのかな・・・」
と先生に漏らす。その瞬間からの先生の反応も極めて遅く感じられる。
本来なら、「黒板に答え書いてみるか」そして「はい」書き終えたら「正解!」か若しくは「不正解!」のどっちかで、僕が感じるほどのテンポの悪さはない筈だが、僕の精神的な緊張が時空を歪ませ、そうさせているような感じがする。そして遂に先生が口を開く。
「あーちょっと、間違ってるな」
僕は素早く頭を掻いた。なぜだか、そうせざるを得なかった。
「ここがこうなってるら?そしたら、次はこうくるのよ。でも途中まではあってたに」
恥ずかしかったが、先生からの指導に一つヒントを得て、自分の算数の問題を解くための幅が加わった気がし、間違っていても誇らしかった。そして先生は言う、
「こういうミスを恐れる事はない。ここが味噌で、ここを修正できれば別の問題も解ける。応用ってやつだな」
間違えはしたが、結局のところ自分にとって自信に繋がる実りのある間違いだった。

そして、帰りの時間が過ぎ、放課後。
「なんだか西田暴れちゃったみたいだな。今日はまた二人に逆戻りかー。」
アツが心配そうに口にする。
「でもトシがいるから平気でしょ。でもアツ、二人じゃ仮想コートのサッカーできないし、パス回しも1対1じゃ味気ないよ」
僕がそこを指摘すると、アツは何かを閃いたらしい。
僕に聞く。
「お前さ、お小遣い月幾ら?」
「1000円。アツは?」
「俺は500円」
「なんでお小遣いの事を聞いてきたの?」
「俺さ、お小遣いの使い道無いから貯めてんのよ。充島横町(みしまよこちょう)に行かない?バス代足りないなら奢るからさ」
「いや、僕も少し貯めてるから交通費はあるけど何しに行くの?」
「赤ずきんと三匹の子豚、続きを買いに行こうぜ!」
「それいいね!一旦、家に帰ったらまた集合しようか」
「それだな!一回まず家帰るか!」
帰りの道で、トシの話になる。
大人びているリーダータイプで、西田の事を止められるほど信頼が厚いのか、どうか。
西田が暴れ出した理由は、トシの悪口を聞いたからだ。
そもそも、何故トシは揉めたのか。
など、二人で語り合った。
「トシが言い合いなあ。滅多にないと思うんだよね」
アツがそう指摘するが、理由は言い合いだけでは無いのかもしれないし、何せ僕はその場に居なかったのだから、情報が不足していた。確かにトシは揉めるタイプではない。どちらかというと、揉め事をたしなめて和解を促すタイプ。火の粉を振り払い、鎮火させる。そういった役割が主だろう。真相はわからず、一旦アツと別れ、家に帰る。
リーダータイプ。重圧に耐えきれなかったのかな。
皆からの、厚い信頼。それはトシにとっては嬉しかったのか、嫌だったのか。
トシについて考えている。
言い合い、言い合いか。何かきっかけがあるはず。
でも、僕にはそれがわからない。
トシが言い合いになるきっかけか。
そんな事を考えていると、家に近づき、例により森に見える家の入口を入っていく。
家に着き、祖母が僕を出迎える。
「あら、今日はアツいないのね」
今日はアツと町へ出かけるのだと伝え、寂しそうな祖母に、また別の日にアツは来るだろうから平気でしょ。と、一言二言さらに三言、言葉を交わし、貯めてあるお小遣いを手に取り、財布に収める。
「じゃ、婆ちゃん。行ってくるから、もし母ちゃんが早く帰ってきたら、元充島に行ってるって伝えておいて」
任せておけといわんばかりの祖母の態度に、信頼は厚くなる一方だ。
2時間に1本のバス。
アツとは会話が弾み、バス停にきて30分余りでバスが到着する。
何時にバスが着くかは、事前に調べてある。
意気揚々と二人で乗り込むと、いざ行かんと元充島へバスは進む。
前にも実感したが、元充島西のバス停に着くと、人が一気に乗り込んで来る。
一気に騒々しくもあり、反面どこか落ち着くような、車内がそれぞれの人たちの会話で盛り上がる。僕たちが降りるのは、充島横町のすぐ近く、充島市役所前(みしましやくしょまえ)だ。
「なあ、どんくらい持ってきた?」
と、アツが聞いてくる。
「交通費を引くと2500円くらい」
すると、アツが誇らしげに言う。
「俺は2800円!俺が勝ったな!」
そんなやり取りで盛り上がる。子供特有の物だろう。
充島市役所前に着くと、二人で降りる。
アツは漫画を買うということは、余りないのだと言う。精々買うものは駄菓子くらいらしい。
僕は漫画を買うことがお小遣いの使い道で、漫画を買うのはいつもの事だ。
とはいえ、こっちに来てからは元充島に行く機会もなく、久々に漫画の購入。と、いうことでアツと同じく興奮を抑えきれない。
充島横町、つまり繁華街。
書店に向かう道すがら、西田に貰った赤ずきんと三匹の子豚1巻の話を二人でおさらいしている。
あの場面はどうだったか、この描き方は何処へ繋がるのか。
少し歩いた距離にある繁華街に着くと、迷わず本屋へと向かう。
大きな本屋ではないが決して小さくもない、ちょうどいい塩梅の広さを持つ本屋で、東京の下町にある小さな本屋しか行ったことがない僕には、ちょっとした憧れを抱かせ、どこか喜びを孕んだ独特の感情にしばし浸る。
「おい、漫画コーナー行ってみようぜ」
僕たちは漫画コーナーを探し出す、すると直ぐに見つかった。
場所が近かったから?分かりやすかったから?案外この本屋は狭いから?
どれも違う。
「こっこのさ、聖烈伝ってまっ漫画あの子っも好きなんだ」
「そうなの?どんな漫画?」
「うー、ん、バトル系?」
聞き覚えのある吃音が混じったしゃべり声、リーダー肌のあいつの声。
漫画コーナーには西田とトシが来ていた。
「お!トシと西田じゃん!何してんの?」
トシは何故だか恥ずかしそうだ。
すると、直ぐにこちらをけん制するかの如く、早口で捲し立てる。
「あー、あのさ。赤ずきんと三匹の子豚?悪くないよ?悪くないんだけど、もっと面白いものがないかと思って、西田にお勧め聞いててさ、あれも悪くないんだけどさ。な?なー、西田」
西田はクスクスと笑っている。
釣られて、僕とアツもクスクス。
「わーったよ!わかった!面白かったよ、赤ずきんと三匹の子豚!続きを買いに来たのよ」
アツが大声で笑い、僕は微笑み、西田は変わらずクスクス。
「それよりさ、トシと西田さ、早退させられた件は大丈夫なの?」
僕が尋ねると、トシと西田が二人で顔を合わす。
ここでは話しづらいから場所を変えようか、と提案された。
驚いた事に、西田からだった。
そこでアツが突っ込んだ。
「赤ずきん買ってからな」
噴水、それを丸で囲うかのようにベンチ。
十字の4方向は人が行き来できる通路になっている。取り敢えず、皆で腰かけた。漫画を購入し、4人は漫画の入った袋を携えている。
未だに、吐く息は白く染まる。
「ぼ、ぼっくのわる、わるぐちを言ってた、たんだ。最初」
トシは硬い表情だ。
アツもいつになく真剣な顔をしている。
僕は困っている。
「ご、ごめん、そんっな事きっきたくないよね」
僕はそうではない、きちんと聞けるものなら聞きたいと、話す事を促した。
どうやらあの日の朝、漫画を読んでいた西田に興味本位で近づいた奴がいた。
その時読んでいた漫画が、例の『赤ずきんと三匹の子豚』だ。
この作品は少年漫画ではあるが、作者が女性で、且つジャンルはラブコメ。
いじり易そうな奴を見つけたと言わんばかりに、朝からチクチク嫌味や悪口を言っていたという。西田がいくら嫌がっても、助けてくれる人がいなかった。そこに、登校してきたトシと僕をみた『そいつ』は逃げ、何も悪いことなんか言ってないかのように振舞った。
トシは皆からの信頼が厚く、悪口を言っていたことがバレたら、周りから大顰蹙を買う。それを、恐れたのだろう。しかし、見て見ぬふりをしていた人間も幾人か居た訳だ。
その日の朝、僕とトシは「アツもあそこに居たら?三人で活祭で見た先生の舞について感想を教えてくれん?」との事で、昼の時間、僕とトシはアツを連れて職員室に行こうとするも、トシが何かを察知し、僕にアツを連れて先に行っててくれと頼んだ。
僕は何も違和感を感じずにアツを誘い、職員室に向かった。
「おいおい、なんだその女々しい本なんて読んでお前」
西田は縮こまり、SOSのサインを発する。
皆は気づかぬふりをする。
それを、バッチリと受け取ったのがトシだと言う訳だ。
西田曰く、僕の事は何を言われてもいいけど、トシ君に何か言うのは違うと思ったのだとか。
そこで小競り合いになった相手の「リーダー面がうぜえんだよお前。そもそも学校で漫画なんて持ち込み禁止だろ?それをいじって何が悪いんだよ」
に続き、
「いい人を気取って人気者のつもりかよお前、裏ではすげー嫌われてるからな?」
の一言に、西田がブチギレてしまったのだという。
「なっなにでっで怒るかわからないっいってぼっぼくは漫画を持ち込むのを、とっ特例で許されてるんだ」
それを自分で言いながら、西田は萎縮していく。
何で怒るかわからない人間で、触れてはいけない爆弾のような腫物。
その本性をトシに見せてしまったと。
4人で固まるが、僕には疑問が残る。
「あのさ西田。暴れたのはいけない事かもしれないけど、トシを助けたかったんでしょ?」
すぐさま西田が反応する。
「たすっけ助ける、な、なんて僕はそんな」
暴れまわるのは悪いことだ。
椅子、机が飛び交うような暴れ方なら猶更。負傷者を出してしまってもおかしくはない。
だが、動機は間違ってはないように思えて仕方がない。
トシが硬い表情を解き、安心したかのように言った。
「まあ、あの、あれ、助かったよ」
ひょろいトシが喧嘩で勝てるわけもなく、尚且つ、言われた悪口はここだけは言われたくないというような物で、正直な話、困っていたという。
アツは「間違ってないけど、教室中を巻き込んで暴れるのはよくないな」と口にする。
「そういう時は俺に言えよ。そいつだけボッコボコにしてやるからさ」
そう言うと、アツは冗談交じりだよとの意味を含む高笑いをしたが、トシは、
「お前ならやりかねんから恐ろしいわ」
と、引いている。
西田はどうかと目を配ると、とても嬉しそうに笑っていた。
アツの一言で賑やかな雰囲気に包まれた僕たちは、皆で帰路についた。

僕は今日あった事を母さんと祖母に伝える。
「んー、何が原因で切れるか分からない子ねえ。あたしの同級生では居なかったけど一つ上の学年には居たね」
母さんが続ける。
「母ちゃんはそういう子ほど繊細な内面を持ってると思うのよ」
「そうなんだよ。その西田ってやつ、絵がめちゃくちゃ上手いんだよ」
祖母は頷いている。
「じゃあ僕そろそろ宿題してくる」
母さんと祖母が声を合わせ、
「ハァ!?あんたが!?」
そうだろうビックリするだろうと、僕はある種の優越感に浸る。
実際には勉強机に戻ってから、赤ずきんと三匹の子豚を読んでいたが、読み終わると、大真面目に宿題に取り掛かった。勉強の仕方はまだ完全には分かっていなかったが、先生の言葉が頭をよぎる。『こういうミスを恐れる事はない』恐らく、宿題の問題を全て間違えていても、輝きを失わない、僕にとっては頭から離れることがない言葉だ。
挑戦を恐れてはならないという教訓。
僕はその言葉に背中を押されながら何とか、宿題を終わらせた。
その時、母さんが一階から僕に声をかける。
「ねーあんた、クイズ番組録画しておいたから見るなら明日見なさいよ。元充島への遠出で疲れたでしょ」
宿題が終わったから、クイズ番組を観たいと申し出る。
「ハァ!?あんたどうしちゃったの?」
「僕にも色々あるんだよ」
「でも、今日はもう遅いからまずお風呂に入りなさい」
「わかった、机の上を片づけてからお風呂に入るよ」
「あとあんた、お風呂から出たら今日はもう寝なさい」
あーはいはい。親の要らぬおせっかい。
クイズ番組の観覧は明日に持ち越された。
なんといっても、明日は土曜日。
宿題がない分、思い切り録画済みのクイズ番組を観れる。
尚且つ、母さんも休みである為、一緒に観ることができる。
色々あったけど、久しぶりに落ち着いて過ごせる日がやってくることに、僕は安堵感を得て、そして、通り過ぎていったいざこざに別れを告げた。
21時を過ぎており、ハルカちゃんとメッセージでやり取りしようにも、お風呂から出てきた時間には、もう寝ているだろう。僕も体を休めて、ゆっくり過ごせる明日に備えた。

友人や家族との固い結束と、自分の中での意識の変化、それらを混ぜ合わせた不思議な気持ちに浸れる2月だった。
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