第5話 4月

文字数 12,144文字

充島(みしま)中学校までは舞野小(まいのこ)のバス停からバスに乗り、元充島西(もとみしまにし)で降りる。
そこから徒歩で、1時間程の距離。少なくとも、バスで峠を越えてくれるだけでもありがたい。
『中学校が始まるまでなら、小学校の校庭を幾らでも使っていいぞ』との約束を先生と交わし、その恩恵をたっぷり受ける。つまり、春休み中の僕たちは、毎日のように小学校の校庭に来ては遊び倒して帰ってゆくのだった。
ある日、校庭の横にある体育館に、背をべったりと張りつけて、膝を曲げ、両腕を膝に乗せる形で休憩を取っていると、先生がやってくる。
「なあ」
片手を壁に立てかけ、ポケットにもう一方の片手を突っ込んでいる。
全体の下地は青。方から腕まで一本の白いラインの入ったジャージ姿に、前を開けていて中に白いシャツ。ズボンも同じ格好。側部に一本のラインが入った青ジャージ。
いつも通りの格好に、いつもとは違う姿勢なのは、ちょっぴり格好つけているからだろうか。
何やら白い袋を携えている。
「中学校、心配か?」
トシ、アツの声が聞こえてくる。
「西田そこはそう、その調子!」
西田のサッカーの腕が少しだけ、上がっていってるらしい。
先生はそれを見て微笑み、僕の横に座る。
同様に背をべったり壁に張りつけながら、斜めがちに宙を向き、息を吐きだす。
生徒の心に歩み寄るのは、生徒の事を第一に考え、心配する先生らしいものだ。
何かを吐き終えた先生は真っ直ぐ前を見ると、僕と同じようにトシ達を遠巻きに眺める。
片手で人差し指を掴み、一度下を向く。そしてまた前を見る。
恐る恐る、と言った様子だ。
「なあ、中学校心配か?」
改めて聞いてくる。
「いや、どんなところかわからないし・・・心配です」
「敬語か。一緒にいる時間が短くて、あんまり話したことないもんな。」
先生が袋を膝に置き、ガサガサと開く。そこには、それぞれ違う柄のアイスが5個入っている。
「俺の分も、一応買ってきとってな」
先生はちょっと恥ずかしそうに笑うと、トシにアツに西田を呼んだ。皆に配る準備を始める。
息を切らせ、汗をかいて走り寄ってくる3人は、宝物に飛びつくようにアイスを選ぶ。
「えっとっと、じゃっじゃああぼぼっくはこ、これ」
真っ先にアイスを選んだのは西田だった。西田が先陣切って選ぶなんて珍しい。
今まで我というような我、エゴを見せなかったのにな。と思う僕は、いつも遊んでいる友達ではなく、なんとなく遠くにいる赤の他人のよう。今日は冷めていて、いまいちみんなと一緒に盛り上がれず、距離を置いて皆を眺めている。
「僕は余ったのでいいよ」
と言うとトシが、
「そういうのはいかんに!みんなで選んでこそアイスだに!」
意味が分からない。
それに、皆は汗だくなのに僕は汗が冷めちゃったし、などと言えず、アイス選びで対決・・・と思った矢先。「先生はこれだな。西田!一緒に食うか?」
先生がアイスを一つ取り上げる。
『先生ずりー!』とトシにアツは声を合わせる。
西田は上品にアイスを食べ、先生含めた残りの僕らは下品にがっつく。
我ながら下品とは言えども、アイスはがっついて食べるのが美味い。
『ごちそうさまでした!先生!』
の一言を残し、三人は早々に校庭のゴール前へ。
先生と僕は先ほどの姿勢に戻る。
「先生、仕事に戻らなくていいんですか?」
僕は先生に疑問をぶつけると、先生はどこかとぼける様に、探るように。
「仕事は、まあ」
また同じく、二人して無言でゴール前で遊ぶ三人を眺める。
「お前が来てからさ、まあ、皆変わったに。西田なんて俺が幾ら頑張っても友達作らせてやる事すら出来なかったもんでな」
「はあ・・・」
「なんだ、今日はやけに冷めとるな」
僕が普段みんなとはしゃいでる姿くらいは知っているのだろう、先生お察しの通り今日は元気がない。その事を心配しているようで、そこに勘付いているのは第六感や超能力の類ではない。
「あの、さあ」
先生が切り込む。
「お母さんさ、病院に運ばれたんだって?」

「母ちゃんが・・・病院に運ばれた?」
祖母が顔を伏せながら、僕の反応を待っている。
若しくはただ、ショックで祖母自身が発言できないのかもしれない。
突然の事だった。
この春休みのある日、家に帰ったら居間の机の上に伏せっぱなしで、動かない祖母がいた。
当然ながら、心配して声をかける。
「婆ちゃん?えと・・・どうしたの?」
微動だにしない。
何があったのか聞こうにも、その重苦しい雰囲気に耐えられず、僕はすぐさま自分の部屋へと向かった。部屋に着いた僕は、早々に漫画を読み出す。
昨日は赤ずきん、そうだな半分くらいまで読んだっけな。
漫画に夢中になり、刻々と時は過ぎる。
そして、読み続けていると夕方を迎える。
依然として漫画を読み続ける僕であったが、もう夕方だ。祖母はどうしたのだろうかと心配になり、一階の居間を目指し降りてゆく。着いた先では、それこそ依然として祖母は机に伏せていた。「婆ちゃん!どうしたんだよ!?急に・・・何があったんだってば!?」
またしても依然、部屋に重圧は居座り、不愉快な緊張感を放ち続ける。
急に起こった祖母の異変にどうしたものかと、僕は炬燵に入り、テレビの電源を入れる。
そういや、今夜はクイズ番組やるのかな?久々に見ようかな。
頬杖を突きながらそんな事を考えていると、伏せたままの祖母が重い口を開いた。
「・・・テレビ消してくれる?」
僕はリモコンでテレビの電源を切る。
「んと、はい。切ったよ」
「冷静に聞いてもらえる?」
「うん、何があったの?」
「今日、母ちゃんの職場から連絡があって・・・」
祖母は大きなため息をつく。
「あの子が急にパニックを起こして・・・その、救急車で病院に運ばれたって」

遠巻きに三人を見ながら、僕は答えた。
「知ってるんですね。先生」
「まあ教師だからな。一応連絡はあったに」
僕と先生、そう、この事を知っているのは僕と先生だけ。今なら話せてしまうのではないか。他の皆は、幸せそうにサッカーをしているではないか。その陰でなら。
少々の緊張が、僕の胸の中に生まれる。
もし先生が僕の話を他の人にまで広めたら?
そうでなくともあの三人には聞こえていたら?
無害で通っていた僕の本性を知ったら?
一つとして漏らさず警戒をした。どの結末も恐ろしい。
「生徒だろうが教師である同僚にだろうが、往々にして他人に言いたくないことってのはあるからな。無理にとは言わんに。ただ先生が見てやれる間は、少しでも聞いてやりたい。どうだ?」
何の事だろうか。
「少し、先生に愚痴ってみないか?」
愚痴と来たか、と先生の気遣いのウマさに感嘆した。少しでも人に話してしまいたい気持ちはある。けれど、人に心配されるということが、怖かった。
心配されるということは、相手に気を遣わせる。それは結局相手にとって、重荷なのではないかと。皮肉な事に、僕の母さんへの気遣いがそれを表していた。
何がどういう事なのか知っていると、そうさせたくは無いという事である。
僕と先生は互いに、そして無言で三人を眺めている。
誰も、僕の心の葛藤など知る由もない。能天気に遊んでいる。腹が立ってきた。
僕の中に渦巻いた闇が、チラリと顔を覗かせた。
「あの」
先生は僕の声に耳を傾ける。
「母ちゃん、僕の前では平気だって言ってたんです」
抱えているものが漏れ出した。
「そもそもこっちに来たのだって、自分の病気が治ってきたからだって」
僕の引っ越しの経緯を皮肉りながら語りだす。
嘲笑うように、バカにするように。ただひたすら、母さんが悪者になるように。
先生はたまに相槌を打ち、それ以外は黙って真剣に聞いてくれている。
教師なのに、自分の親をコケにするような語り口で話していても、怒る素振りすら見せない。
「で、結局病院に運ばれましたって、なんかおかしいよ」
先生は下を向いている。
「それで、婆ちゃんに聞いた日・・・」

机の上で伏せていた祖母が顔を上げる。
憔悴しきった様子で、目が赤く、僕が帰ってくる随分前には大泣きしたのだということが分かる。祖母は両手で顔を覆い、何度か擦る。
「婆ちゃんの・・・せいだ」
祖母がポロっとそんな一言を漏らす。
「そんな事ないよ」
僕に出来る精いっぱいのフォローがこの一言だ。
祖母はその一言を呪われたかように繰り返す。
婆ちゃんのせいだ・・・婆ちゃんのせいだ・・・
その都度、僕は「そんな事ないよ」と返す。
「婆ちゃんの・・・せいだ」
「そんな事ないって!なんでそんな事言うの!?」
祖母は辛くて言える事がそれしかないのだろう。そうだと分かっていても、内心苛立っていた。僕だって辛いのに、というのが正直な所。
急に起こった娘の不幸を嘆き、それを心配する前に、祖母は原因を自分に探している。
自分のせいだって言ったって、何がどう繋がるかも分からない。
実は陰で祖母は母さんを苛め続けていたのだろうか。まったく以て理解ができない。
疑問は大きく膨らむ一方、僕はとうとうぶつける。
「なんで婆ちゃんのせいなの?」
祖母は一瞬、黙る。
そして口を開く。
「婆ちゃんが・・・あの子に心配をかけなければ、こっちに来て病院に運ばれる事も」
言葉を詰まらせ、泣き始める。
普段、元気一杯で、更に人に元気を分け与えるような、はつらつとした祖母の面影は無く、その姿は痛々しい。痛む胸にやがて、僕も僕自身に原因を探り始めた。
泣き止んだ後、婆ちゃんはまた机に伏せると黙り始める。
僕が、もしかして本当に僕が。
張り巡らされる思考、的を射ているような答え。
祖母が黙っている間に到達してしまっていた。
不愉快な緊張感は更に重くなり、僕の両肩に乗り、背中を圧す。
悪魔が僕に囁きかけ、心の中に生まれた闇に引きずり込もうとしている。
背徳感という誘惑に僕は抗えない。
ただ単に、母親が心配だという気持ちはどこかへと消え、周りを恨み始める。
「婆ちゃんが・・・悪いんだ」
そう呟く祖母に、僕は苛立ち、両手で強く机を叩く。
祖母は僕が急に取った行動に驚く。
何せ、普段からそういう事をする性質ではない。
「こっちに来たから悪い?そんなこと別にいいじゃねえか。そもそも僕がいなければこっちにも来てないし」
「いや、それは・・・そんなことは」
「ホラ答えられないだろ?僕が居なければこっちに来てないし、僕が生まれてなければ父さんも死んでないし、母ちゃんだって病気になんてならなかった!!」
腹の底から叫んだ。
「だったら、だったら僕が悪いって事じゃねえか!!ふざけんじゃねえぞっ!!!」
戸をわざと大きく音を立たせ、思い切り開けると、閉めもせず、闇に染まり、部屋へと向かう。

一連の流れを先生に語る。
「うーん、そうねえ」
僕は下を見続けた。
嘲笑い語り続けた母さん。初めて反抗した相手である祖母。
しかし、自分のせいだと気づいてしまった事、本当の道化は僕だったのだ。
「じゃあさ、お前のお母さんと、お婆さん。この二人が親子じゃなければ、お父さんとの結婚が反対される事も無かったわけ?だって、お婆さんがおらんかったら二人で東京には行っとらんわけだら?」
正論を吐かれた。
「だとしたら、お前のせいじゃなくて、お婆さんのせいになるなあ」
本当に祖母のせいだろうか。
「ただな、今の話は仮定ではあるけど、こう考えたときに『じゃあ婆ちゃんが悪い。責任取って』なんて言えんら?」
相変わらず僕は下を見ている。
「言えんよなあ。悪くないもんでな。責められんよな」
分かってはいる事ではあるが、納得も出来ない。
今の僕は、何かのせいにする事でしかこの事実を受け入れられない。
「お前が生まれたことでな、色々な問題は発生したと思うに。でも本当に自分が悪いと思うか?」何も言い返すことはできない。
自分に罪を着せたい気持ちと、否定したい気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じる。
「お前のお母さんな、いいお母さんだと思うに」
そうだろう。入院するような病人でなければ。
「いや、そうじゃない。一度、学校に相談しに来てな。勿論お前のことだに。『うちの子が急に勉強を始めたんです。こんなこと今までなくて、何か学校生活でうちの子がいじめられてたり、変わったことなんかはありませんか?』だって。勉強を始めた事を心配する母親なんて、今まで受け持った生徒の保護者では初めてでな。俺も相談された手前、調べないわけにもいかなくてな」
僕が勉強を始めた理由はぼんやりとしていて、人に伝わりづらい。
故に、まだ誰にも言っていない。
ただ、友達が出来てきて、友達の話を聞き、一緒に過ごす中にヒントがあった。
それだけの事で、いじめなどはない。
「まあそうだろうな。いじめられて勉強を始めるだなんて聞いたことないし、調べてもその気配すらなかったでな。でも、1月と2月までしかほぼ居なかったってのに、問題はどんどん解けるようになっていく、成績は上がり続ける。普通の親なら喜ぶところだに」
僕が勉強を頑張っていたのは親の為ではない。
「でもそんだけ大事にされてるって事だ。どこの親もそう。お前のお母さんみたいな相談はないけど、自分の子は大事なんだ。お前は自分のせいだと思ってるかもしれんけど、お母さんはお前のせいだなんて思ってない。そう思うに」
先生は続ける。
「もしお前のせいだとしたら、お母さんはお前の事をこんなに大切にせんでな」
そういうと先生は立ち上がる。
「さあ、仕事に戻るとするかな」
両手でお尻をはたくと、すこし屈み膝に手をつき、こう言った。
「たまには反抗するのも悪くない。何年も生きてればそんな事は一度や二度じゃなく何度もある」そして、肩を軽く叩く。
「でもそのまんまにするな。必ず立ち上がれ」
先生は校舎に向かって歩き出す。途中、僕に一回振り返り手を振った。
目から頬に伝わる涙が流れる。
鼻水は出てこず、綺麗に、少しだけ流れた。
幸いなことに、三人に気付かれる事もなく。

次の日、祖母とは口を利かず、一人家を出る。
皆に断りを入れ、遊ぶ予定を全部キャンセルする。恐らく他の3人は、いつも通り小学校の校庭で遊ぶのだろう。バス停に到着する。
舞野小のバス停だ。
ベンチに座り、スマホでネットを見ながら適当に時間を過ごす。
そういえば、母さんの入院。その一件があって以来、ハルカちゃんとは連絡を取っていない。
とはいえ、連絡を取ろうという気持ちには今はなれない。この先いつか取るのかも分からない。
一つため息。
今日から続く道を、僕は歩む覚悟を決めた。
バスが到着する。整理券を取ると、一番後ろの席に着き、相変わらずスマホを見ている。
こんな時じゃないと分からなかった、一人で居る時の自分。
意地を張り、見ない振りをしようとした気持ちが溢れ出る。ただ単に、皆が恋しく寂しかったのだ。圧し潰したその気持ちは行き先に困り、暫く僕の中に留まり続けた。
バスが発車する。多分僕はこの時、進んでいくバスと共に、自分というものを置いてきたのだと思う。ドアが閉まる音が、もう戻れないぞという警告音に聞こえる。
目的地に向かう道すがら、進むたびに、どんどん自分というものが壊れていく音がした。
峠を越えるバスに思いを馳せ、トシとアツに連れられ活祭に行った日を思い出す。
タイヤの音、揺れる車内、まばらにしか居ない客。
活祭に行った事、赤ずきんと三匹の子豚を買いに行った事、活祭の日の帰り、西田に会ったこと。随分前のことのようだ。それに、皆とはまだ繋がっている。
そして、それを捨ててしまおうと思っている。
元充島西に到着するバスに、開いたドアに殺到してくる乗客、すれ違うように僕は降りていく。
僕を置いてバスが次の目的地に向かうと、いよいよ戻れないのだなと、くどく悟る。
一歩足を踏み出すと、止まることなく歩み続ける。
高揚感に、期待感とは無縁で、背徳感に支配されていて、焦燥感もあり、今の自分の頭はきっとネジが一本外れている。兎に角、周りをガッカリさせてやろうという最低な気分だ。
もやもやは晴れず、迷いながら、しかし目的地には真っ直ぐ進むと、理髪店についた。
ここが僕の目的地だ。
予約はいらない店で、入店すると、一人で切り盛りしているのであろうおじさんが声を上げる。
「はーい、いらっしゃい。漫画でも読んで待っててねー」
おじさん一人に対してお客さんは二人。
言われた通り、暫く漫画でも読んで待つ外ない。
たまたま手に取った漫画は、幸せな家族の温かい物語。イライラする。
次の漫画を手に取る。
不良が喧嘩をしている漫画だ。
そうそう、これこれ。こういうのだ。
10分程漫画を読んでいると、一人の客が歩いてくる。
店主が、
「はいどーも、いつもありがとうねー」
と言い、精算をしている。僕の番が来たのだ。
「じゃボク、こっちおいで」
大人にしてみればそんなものかと、子ども扱いに少し赤面する。
上手く言えるだろうか。
用意してきたセリフを、噛むことなくしっかりと言うことが出来た。
「本当にいいの?だって君まだ小学生でしょ?」
「中学生です」
「中学生だって言ったって・・・本当にいいの?」
「ちゃんとお金は払います」
「うーん・・・」
納得がいかない様子で、店主が手を動かし始める。
あっさりとカタが付く。取り出したのはバリカンだ。
頭を刈られながら、目を瞑る。
そして、仕上がり。
「うーん、やっちゃったけど、本当にいいの?」
「大丈夫です」
僕は金髪の坊主頭になっていた。
「いや、お金はそりゃもらうけど、学校で怒られない?」
「さあ・・・」
「無料で黒に染め直してあげるけどどうする?」
「別にいいです」
「そう。気が変わったらまたおいで。無料で黒に染めてあげるから」
「はあ・・・」
素っ気ない態度で、店を後にした。
初めて染めた髪に喜びは無い。自分と同じ、つまらない意地が塗られただけだ。
自分さえ生まれていなければみんな幸せだった、堕ちていくのは当然の仕打ち。
僕はこれから嫌われ者の道を歩む。そして既にもう、自分のことが嫌いだ。
時は待ってくれず、落ち込んでいる暇を与えない。
中学校への入学が近づいている。仲間、家族、学校。全部台無しにする。
それが自分に出来る唯一の贖罪。居てはいけない人間の理由。
嫌悪感を引きずり、帰りのバス停で1時間程待つ。
通り過ぎる人、皆が凝視し、僕との関りを避けようと一生懸命だ。
慣れない目つきで睨みつけ、これがお望みだろと人を遠ざける。
到着するバスに、最低な一歩を踏み出し、乗りあげた。
家に帰ってから祖母に対する言い訳はない、何か言われたら罵倒するだけだ。これは単なる反抗期なのだろうか?それとも、認めることが出来なくなった自分への否定だろうか。
祖母とのあのやり取りで全てが崩れた。ただ、崩したのは自分ではないだろうか?
あの時、あのように返答していなければこうはならなかった?祖母が落ち込んでいなければ?結局、人のせいだ。どんどん自分が嫌いになっていく。
やってやったという気持ちは無い、ただ壊れただけだ。
不快感と一緒に、バスは舞野小まで僕を運び届ける。
徒歩で帰る。突然襲ってきた強い孤独感で涙が頬を伝う。
涙を拭き、すぐに泣き止むと森に見える、家の入口に差し掛かった。
すると足が止まる。
このままここに足を踏み入れたら、中学高校だけでなく、その先もずっと戻れない気がする。
迷いはとめどなく、混乱した頭で入口を越え、家に入った。
玄関を開け、靴を脱いでいると祖母がやってくる。
「おかえ・・・」
こうなる事は分かっていたが、言葉に詰まる祖母。
そして胸が痛む自分。
「あんた何その頭!どうしたのよ!そんな色で入学式いけないでしょ!?」
「うるす・・・」
中々反抗的なセリフが言えない、『うるせえババア』の一言。
「婆ちゃんがそめてあげるから!ね!?黒にしよう!?」
「うるせーんだよババア!黙れ!」
「あんた!そんな事言って学校に行けなくなったらどうするの!?」
予想外に祖母は狼狽えない。
どうしたものか、と考えるとやはり無言がベストだった。
祖母の横を通り過ぎ、自分の部屋へと向かった。
とはいえ、今は勉強も漫画もどうでもいい。
どうだっていいから、寝て全てを忘れたい。
僕はそのまま眠りについた。

迎えた中学校の入学式当日。
皆との待ち合わせ場所に一応顔を出す。
何を言われるのかと思うと緊張して足が震えたが、これは武者震いではない。
ただ単に怖い。これから皆と会って、決別する。捨ててしまう。
3か月で生まれ育み、3か月で生まれた強い絆を、春休み中のたった一つの出来事で。
たった3か月で親友が出来た。少なくとも僕はそう思っている。
なのに、全てをリセットする。必要なのは勇気ではなく、皆をがっかりさせる嫌悪感。
まずはトシとアツに合流する。
トシが開口一番、
「お前なんだよその頭!」
激怒だ。
リーダーらしい反応、僕の胸は痛む。
「っせえな・・・」
精一杯の反撃を食らわす。
全てを捨てる。するとアツが仲裁に入る。
「まあ、まあさ、こいつなりの事情があるんだよ。多分な。だからトシ落ち着けって」
まさか3人の内で誰かが味方をしてくれるとは思わず、僕の心臓は強く脈打ち、ドクンドクンと音を立てる。既に後悔の念で満たされている。
トシはなおも続ける。
「お前な!?何があったのか知らんけど、遊びにも顔出さんし、皆に相談すらせんし、かと思ったらそんな髪色にしてくるし」
僕の眉間に皴が寄る。分かり切った話だ。
言われて当然の事。その思いを隠すため、厳しい表情に反抗的な態度で取り繕う。
「俺もアツも西田も心配しとったんだに!?」
一番言われたら辛い事だった。
何も言い返せない僕は、無言を貫く。
皆何も喋らず、西田との合流地点に差し掛かると、
「もう知らんわ。馬鹿野郎。付き合ってられん」
と、口にし、早足で僕たちを置き去りにし、先の地点にいた西田を連れていき、バス停へと向かった。結局の所、バスを待つ間に僕らは一緒になるのだが、少しでも一緒に居たくないと言う事なのだろう。アツと共に、トボトボと歩き続ける。
下を向いたまま歩くが、時折、アツが心配そうに僕を見るのが分かる。
トシ、アツ、西田。全員僕の友達だったが、一緒に過ごした時間が一番長いのがアツだ。
『何もせず、一緒に居るだけでいい』だったか。
こんなに安心できるものだとは思わなかった。
一緒に歩いてるだけで、僕の汚れた心は救われた。
「な、なあ」
バス停に着く少し前、アツが僕に語り掛ける。
「大丈夫だよ。なんか知らんけど。また一緒に遊ぼうな」
激怒しているトシに合流すると、先ほど連れて行った西田もそこにいる。
バス停。はしゃぐ他の新入生が無言になる。僕の頭の色のせいだろう。
皆の登校を邪魔している気分だ。
すると西田が、
「ど、どうししったのそのあった、頭。何かっかあったの?」
するとトシがすぐさま口を挟む。
「放っとけ、そんなやつ」
「はあ!?そんな奴だぁ!?」
僕とトシの取っ組み合いの喧嘩が始まった。
何も知らないくせに、言いたい放題言いやがる。でも、単なる逆切れだということも分かっている。本気で殴ることができないのも当然。なんせ僕は喧嘩なんかしたことがない。胸倉をつかんで悪口を言う事、これが限界だった。トシも同じである様子で、『やんのかテメエ!』『やってみろよコラ!』と言いながら何もせず、お互い胸倉をつかみ揺らすだけだった。突然の展開に呆気にとられ、見ていただけだったアツと西田が僕とトシを止める。西田がトシに張り付き、アツが僕の両腕を締め付け、お互いに何も出来なくなった僕たちは深い溝だけを残し、睨み合う。
そこにバスが到着。
トシは西田を引っ張って先にバスに乗っていく。
やってしまった事は仕方がない、であるにしても頭の整理がつかない僕は立ち尽くし、皆が乗り込んで行くのを呆然と見つめ、とうとう最後尾に並ぶ。
こんな状況に陥ってもアツは僕の傍にいる。
「な、なあ。取り敢えずさ、学校には行く、よな?バスに乗ろう」
僕が乗るのに続いて、後ろからアツも乗る。空いている席を見つけ座ると、近くにアツも座る。
バスは発進したが、トシと僕との仲違いによる喧嘩でみんな絶句しているのか、誰も喋らない。
捨てようと思った関係を捨てた筈だった。
なのに、アツが近くに居ること、トシが僕を心配していてくれたこと、西田がトシを止めてくれた事。どれもが心に暖かく響く。後悔はしても、とても追いつかなかった。
自分がどんどん壊れていった道筋を辿り、元充島西に到着する。
あと1時間歩けば不良デビューだ。

席に座り、詰まらぬ挨拶を聞き流す。
中々眠れなかった昨晩の名残が、今この瞬間に訪れる。
大きく欠伸をし、目の下に涙が少し溜まり、適当に人差し指で払う。
お待ちかねの瞬間がやってきた。
「なあ、あのさ。後で話さん?」
新入生、茶髪の同級生が僕に声をかける。
訛りから察するに、地元で生まれ育った人間だろう。
なんてことない退屈な入学式、壇上をただ睨む。
終わりの挨拶を聞くと、皆揃い、ぞろぞろと教室に戻る。
教室に戻ると、担任が待っている。
大した事なさそうな人間だ。生徒の事など気にも掛けてないであろう程、適当そうな話を続けている。この大人の冗談に皆が笑うが、僕は全く笑えない。端的に言うと友達を全部捨てたのち、学校というものに対する未練がないと思っている。不良の同級生に目をつけられたが、殴り飛ばされるのか友達になるのか。はたまた、先輩に目を付けられぶっ飛ばされるのが先か。
余計、学校というものが遠く感じられる。
さっきの茶髪の子は違うクラスのようだ。
クラス数は4、舞野小とは比べ物にならないとは言え、マンモス校ではない。
担任の教科である教科書が配られる。国語。
不覚を取ったのは、その分厚い教科書に対する興味、好奇心だった。
パラパラとめくり、興味のないふりをする、しかし、読みたくて仕方がない。
未練がないとは形だけで、興味がないふりをしていたのだろう。期待感を抑え、帰りの時間を迎える。トシは最早、姿すら見せなかった。
でもアツだけは現れた。そして僕にこう言う。
「なあ、一緒に帰ろう。アネゴも婆ちゃんも待ってるだろ?」
一瞬で怒りが沸点に達した僕は叫んだ。
「うるせえ!どっかいけよ!」
『アネゴ』は入院。『婆ちゃん』には合わせる顔がない。
そんな事をアツは知らないし、アツに悪気はない。
ただ僕にも整理がつかない事で、動揺を隠せず、怒りへと結びついたのだろう。自分勝手に怒鳴りつけた。
アツは悲しそうな顔をしていて、僕は我に返る。目をひん剥いたまま、アツの前で凍り付く。
怒鳴ってしまった相手にかける、精一杯の言葉を探す。
「ごめん。そんなつもりじゃなくて・・・」
アツは一瞬、僕に対して顔を伏せ、斜め下を眺め、また僕を真っ直ぐ見つめると、
「ごめん・・・だって」
半笑いだ。流石に呆れたのだろう。
「ごめんだってさ。やっぱ似合ってねーよ。お前ってそんな事で謝れるやつじゃん。これからもずっと話しかけるから。嫌がられてもな」
胸が締め付けられる。
「じゃあ、先に帰るから」
僕だけなのか。
アツも大切な何かを今ここに捨てたのではなかろうか。
本当にもう、捨てきれたのか?
「よお、やるな。あんな強そうなやつ怒鳴りつけるなんて」
先ほどの茶髪の彼が僕に話しかける。
「なあ、来いよ。先輩が待ってるでな」
「先輩?」
「ホネのありそうなヤツ集めてんのよ」
校舎は三階建てで構成される。屋上には行けないが、その手前のいい溜まり場があるのだという。僕はただついていく。その途中で疑問をぶつける。
「ねえ、あの、名前は何ていうの?」
「俺?俺は橋本翔太(はしもとしょうた)。お前は?」
自己紹介を一通り終えると、溜まり場に着いた。
翔太が声を上げる。
「リョウちゃん!すげーの連れてきた!」
「はあ?そいつヒョロヒョロじゃねーか」
「いや!それがな!豊永怒鳴りつけてたんだに!」
「豊永?豊永篤人?」
「そうそう、その豊永だに!」
胡坐をかいていたその男は即座に立ち上がり、僕を迎える。
体格がよく、アツと同じくらいだろうか。
「お前やるな。ちょっとこっち来いよ」
アツの知り合いである僕はぶっ飛ばされるのだろうか。
不良人生が始まり、間もなく一発でここに終了か。
ところが、迎えられ、座らせられると、自己紹介を促される。
「うん、そうか。俺は2年の本田良太(ほんだりょうた)。リョウちゃんでいいでな」
不良が二人しかいないのは、この学校が平和だからだろうか。
とりあえず、うんこ座りを覚えた僕は、皆の冗談や、喧嘩話、不良エピソードを聞き、心躍らせた。自分が今まで覗いたことがない、新しい世界。
「んでなあ、あの豊永ってのは厄介者でな。俺が舞野小に殴り込みに行ったときに、やられちまってな。まあ舐めてかかった俺の不覚ではあるんだに?」
僕の知らなかったアツの一面。
腕っぷしが強そう、ではなく、喧嘩の腕がめちゃくちゃ立つのだ。
ただのお調子者ではない。
たっぷり不良の世界を堪能した僕は帰路に就いた。
翔太も、リョウちゃんも元充島在住らしく、僕とは反対方向に向かって帰っていく。
帰りのバスの車内、強烈な不安が僕を襲う。
アツが狙われている。
僕にできることはないか?
僕にできることは何もない。
捨てたのだから。

玄関で靴を脱ぐ、家に着いている。
ととと、廊下を歩く足音、祖母が近くに寄ってくる。
「ねね、どうだった?入学式?」
「別に」
祖母に対する暴言は吐かなくなっていた。
何せ祖母は何を言われても動じず、いつも通りに接するようつとめ、声をかけてくる。
反抗する気力はあれど、暴言を吐く気力はなかった。
こちらが惨めな思いをするだけだ。

夜になり、僕は机の上に突っ伏し、右の側頭部をべたりとつけ物思いにふける。
4月に入ってから少しも経っていないが、漫画は徐々に読まなくなっており、ただ椅子に座るだけで夜を過ごした。クイズも見る気が起きない、ゲームも祖母の居るところまで行くのが嫌なため、避けている。ふと思い立ち、バッグから国語の教科書を取り出す。
どんな事を勉強するのか、その好奇心が抑えきれない。
不良ぶっても、成績が上がり続けた勉強に気をよくしていた頃の、あの時の気持ちを忘れることが出来ていない。夢中になって教科書を読みふける。
はっと我に返り、教科書を閉じると、再度机に突っ伏し続けた。
自分の心に問いかける。すべて捨てて学校にも未練がないか?
嘘だ。

不良ぶり、孤独感と憤り、自分勝手を誰にも言わず隠し続けた。
そして、そのまま四月は終わりを迎えた。
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