ウィリアム・フォークナー『エミリーへの薔薇』☆NEW!!☆

文字数 3,468文字

 ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡ジェファーソンの名家に生まれたエミリーは、南北戦争後の再建期(リコンストラクション)に少女時代を過ごす。一八九四年に父親が死んだ時、彼女は三十歳で独身、大きな邸宅には黒人の使用人が一人しかいなかった……。

 作者ウィリアム・フォークナーは、一八九七年にミシシッピ州で生まれ、一九四九年にノーベル文学賞を受賞した、二十世紀のアメリカ文学を代表する作家のひとりである。
 生涯にわたって、故郷である(ディープ)南部(サウス)にこだわった物語を書き続けた彼は、アメリカ南部文学の最も偉大な作家と言われている。
 その「南部」とはいったいどこを指すのだろうか。狭義では、南北戦争時にアメリカ連合国に加盟していた十一州を指すが、連合に属さなかった州でも四つの州が奴隷州だった。(※1)
 フォークナーは、自身が創作した「ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡ジェファーソン」という架空の町を舞台に、南北戦争前(アンテベラム)から南北戦争、敗戦後の復興失敗、奴隷解放後に黒人分離法が施行され連邦全体で黒人差別が正当化された矛盾といった歴史を描き出している。(※2)

 一九三〇年に発表された『エミリーへの薔薇』は、フォークナーの短編のうちで最も有名な作品である。物語は、一八七〇年代様式の優美な邸宅に暮らしていたエミリーの葬儀の場面から始まる。

 ミス・エミリー・グリアソンが死んだとき、わたしたち町じゅうのものはそのお葬式にでかけた。男たちは、いわば倒れた記念碑にたいする敬愛のような気持ちからであったし、女たちはたいていのものが、彼女の家のなかを見ようという好奇心からであって、その家のなかはすくなくとも過去十年間というものは、老僕ひとり――庭師と料理人をかねていた――をのぞいてだれひとり見たものはなかったのである。(※3)

 まず、語り手が「わたしたち」というのが面白い。語り手は「わたし」ではなく、「わたしたち」という一人称複数形を用いて、町の人々の視点からエミリーの生涯を振り返っていく。

 彼女の父親が死んだとき、彼女に残されたのは家屋敷だけだという噂がひろまった。そしてある意味では、人々はそれを喜んだ。これでやっと、ミス・エミリーを憐れんでやることができるようになったのだ。ただひとりきりで残され、貧乏人になったのだから、彼女はやっと人間らしくなったわけだ。(※4)

 エミリーの父親は、乗馬の鞭を握り、両脚を広げて立つ厳格な姿で回想されている。絶対的な存在だった父親が死に、孤独になったエミリーに対する町の人々の集団的冷笑。
 父親の死後、エミリーは髪を短く切り、まるで少女に戻ったかのように見え、教会のステンドグラスに描かれる「天使」にどことなく似た、「澄みきって落ち着いた感じ」があった。
 その頃、町はちょうど歩道の舗装工事が始まり、現場監督として北部人(ヤンキー)の男性が働きに来ていた。エミリーは彼とつき合い始め、二頭の栗毛の馬にひかせた四輪馬車でドライブを楽しむ二人の姿を、町の人々は見かけるようになる。
 町の女性たちは、ほんものの貴婦人が「北部人を、それも日雇い労働者なんか」を本気で相手にするはずがないなどと言い、「かわいそうなエミリー」と噂するようになる。

 彼女はあくまで頭を高くあげていた――彼女はおちぶれたのだとわたしたちが信じるようになってからでさえ、そうだった。それはまるで、グリアソン家最後の人間としての威厳を以前にもまして認めてくれといっているかのようであり、一方では、また、自分の世界以外のものをいっさい受けつけない彼女の頑固さをあらためて強調するには、その程度の俗っぽ味が要るのだというかのようだった。(※5)

 エミリーは町の人々にどう思われているか全く気にする様子もなく、父親の支配から解放されて、初めての自由な恋愛を楽しむ。
 二人の結婚が噂されるようになると、町の女性たちは「町の不名誉」だとか「若い者にとって悪い手本」だと言って、彼女の結婚をなんとか阻止しようとする。やがてエミリーは冷たく傲慢な目をした「灯台守り」のような顔に変わり……。

 語り手は「わたしたち」と表現することで、特定の誰かの意見ではなく、「町じゅうのもの」が言っている一般論なのだと、巧妙に読者に思わせようとしている。
 エミリーの恋愛をめぐる町の人々の騒動には、南部と北部の歴史的葛藤がある。南部人である町の人々は、旧南部社会を象徴するエミリーの没落を冷笑しながら、相変わらず南部の伝統と格式を重んじている。
 北部の建設会社が町の公共工事を請け負い、北部資本によって近代化しつつあっても、町の人々は心の中で北部人を軽蔑し続けている。町の人々がエミリーと北部人男性との結婚に反発したのは、北部への劣等感の裏返しではないか。

 深南部の没落した名家に生まれた女性を主人公にした物語と言えば、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』がある。ヴィヴィアン・リー主演の映画の成功によって、『風と共に去りぬ』は世界で最も知られている南部文学となった。
 じつは『エミリーへの薔薇』が発表されてから六年後に、『風と共に去りぬ』は出版されている。ウィリアム・フォークナーとマーガレット・ミッチェルは両者とも深南部出身で、同じ時代に生きた作家なのだ。(※6)
『風と共に去りぬ』のスカーレットは、没落しても気位が高く、男性たちを振りまわしながら、実業家として成り上がっていく。エミリーとスカーレット、境遇が似ていてる両者の生き方は、驚くほど対照的だ。

 没落した名家の女性がどう生きるかというテーマでは、太宰治が第二次世界大戦後の日本を舞台に『斜陽』を書いている。
 エミリーの父親が鞭を握っている姿で回想されているように、旧南部社会は父権主義がきわめて強かった。ジェンダー的には、かつての日本社会と重なるところがあるため、『斜陽』のかず子とエミリーの恋の結末を読み比べてみるのも、面白いだろう。

『エミリーへの薔薇』("A Rose for Emily")というタイトルだが、不思議なことに、作中にはエミリーがバラを受けとる場面は描かれていない。彼女の恋人から愛の証しに贈られるべきものだったのか、彼女の葬儀に際して町の人々から献花されたものなのか……。
 町の人々の声を代弁する語り手は、エミリーのことを「ミス・エミリー」("Miss Emily")か、「かわいそうなエミリー」("Poor Emily")と呼んでいる。冠をつけず、単に「エミリー」と呼ばれるのは、タイトルの中だけだ。
「貴婦人」でも「かわいそう」でもない、ひとりのエミリーの人生に対して、作者から捧げられたバラの花なのかもしれない。



※1 アメリカ連合国(南部連合)は、サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州の七つの州によって創設された。南北戦争が始まると、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州の四つの州が加盟した。デラウェア州、メリーランド州、ケンタッキー州、ミズーリ州は奴隷州だったが、連合に加わらず中立の立場をとった。
現代では南部連合を創設した七つの州のうち、フロリダ州とテキサス州を除外した五つの州が深南部(ディープサウス)と呼ばれている。

※2 「ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡ジェファーソン」とは、作者の故郷であるミシシッピ州ラファイエット郡オックスフォードをモデルとした架空の町である。作者の全作品のうち、三作を除いて、長短合わせて五十以上の作品がこの町を舞台としており、「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれている。

※3 ウィリアム・フォークナー「エミリーへの薔薇」林信行訳、『フォークナー全集8 これら十三篇』冨山房より、149頁
※4 同書、155頁
※5 同書、157頁

※6 『エミリーへの薔薇』は1930年4月に「フォーラム誌」に発表され、1931年に短編集『これら十三篇』("These 13")に収録されて出版された。
『風と共に去りぬ』は1936年に出版され、1939年に映画が公開された。マーガレット・ミッチェル(1900年-1949年)はジョージア州アトランタに生まれ育ち、『風と共に去りぬ』は作者の故郷を舞台にしている。両作家はほぼ同世代だが、マーガレット・ミッチェルは48歳で死去し、フォークナーは64歳で死去しているため、フォークナーの方が活動期間が長い。
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