第7話

文字数 2,265文字

 暗闇だ。いや、実際はまだ時間が早いので薄暗闇だ。しかしこれから夜が訪れるまでに電気が復活しなければ、完全にこの部屋は闇に浸かってしまう。カーテンを開けようか、と思ったところに突風が吹いて、ドン、と窓に鈍い衝撃が走る。振動はしばらく残る。
 やはり危険だ。窓は開けるべきではない。台風のまぶたは薄暗闇をどうにかやり過ごすことに決めた。すぐに復旧するでしょ、と半ばやけくそではあったが。
 停電したということは冷蔵庫も当然機能しなくなっている。電気が消えて二、三十分は冷気が残っているだろう、と高をくくっていたが、エアコンの止まった部屋は一気に蒸し暑さを取りもどした。台風のまぶたはあわてて、クーラーボックスに冷蔵庫の中身を移しかえた。まだ凍っている保冷材をすべてぶちこむ。昨年の光景が繰りかえされている。昨年よりも部屋は暑いが。台風のまぶたはため息を何度も漏らした。
 ひと息ついたところで、ラジオからたどたどしく台風の情報を伝える声が聞こえてくる。そこで台風のまぶたははっとする。
 そうか、停電してもラジオは無事なのか。
 L字対応と土野小波が鬱陶しかったテレビさえも、実は恋しくなっていたところだ。誰かの声が聴こえるというのは、安心感がある。台風のまぶたは初めてラジオに感謝した。
『……強風警報と大雨警報が発令しているみたいですね。今、というかだいぶ前? 現場が混乱していて大変申し訳ございません』
 前言撤回。台風のまぶたは再び怒りの炎を宿した。こんなときに! こんな非常時に! 大事な情報が遅れるとは! 気のゆるみがひどすぎる! ちんたら休憩でもしていたんだろうか。のんきにコーヒーブレイクでもしていたのではあるまいか! おまえらはすぐに対応できるようにトイレも我慢しておけ!
 と、台風のまぶたは訴えるべく、携帯の履歴から放送局へ発信しようとして――やめた。残りの充電が貴重であることに気がついたのだ。この非常時に外との連絡手段を失ってしまうのはまずい。携帯は精神的な支柱にもなる。こんなつまらない番組のために、こんなくだらないラジオのために、わざわざ貴重なバッテリーを減らしてやる義務はない。
 台風のまぶたは一人うなずき、洗面所で顔を洗おうと思った。気分をさっぱりとリセットさせたかった。蛇口をひねる。両手を捧げる。顔に持っていこうとして――水がない。
 台風のまぶたは目を見開き、蛇口をぐいぐいと全開にした。しかし、まるでアートオブジェのように知らん顔をしている。たたいても、なでてみても、水は一滴もこぼれおちない。
 水も止まった。台風のまぶたは絶望した。が、昨年の教訓を生かしたのだ。風呂に水は張ってあるし、ペットボトルも蓄えている。すぐに底をつくことはない。台風のまぶたは己の備えを心から称賛した。この転ばぬ先の杖イズム、ラジオにも学んでほしいものだ。
 しかし、いよいよ時間をつぶす方法はラジオを聴くことしかなくなった。台風のまぶたは部屋の隅っこで体育座りをして、おとなしくやり過ごすことにした。長丁場になるかもしれない。無駄な体力は使わないにかぎる。
『天の川幸子の絶対開運講座。受講生募集中! 来てくれないと、呪うわよ』
『健康は一日にして成らず。どどどどくだみ茶~どどど毒じゃない~毎日飲んで健康どくだみ!』
『とーーーってもながーーーい。とーーーってもかるーーーい。長くて便利、軽くて楽ちんの物干し竿・ハイパーロングポール好評発売中』
『どうも~ゾッコン少年で~す。ついについに僕たちの全国ツアーが始まりま~す。皆はお客さんじゃないよ。皆、僕たちのハニーです。だから、デートの待ち合わせ場所は各会場ね。ゾッコン少年待望のファーストコンサート・速攻彼女ツアー! チケット絶賛発売中!』
 我慢しようと思った矢先に、どうしてこうもツッコみどころ満載のCMばかり流れるのだろう。特に最後のゾッコン少年というチャラい雰囲気の若者たち。なにを言っているのかさっぱりわからない。果たして今のは日本語だったのだろうか。頭のねじが平気で五、六本ゆるんでいるんじゃないだろうか。放送していいレベルなのだろうか。
 台風のまぶたの脳裏に、スーパーの店員の顔が浮かぶ。明るい茶髪、眠そうなまぶた、覇気のない態度の若者。どうせゾッコン少年とかいうやつらも変わらないんだろう。最近はどいつもこいつも似たような風体をしていて区別がつかない。しゃべり方がふぬけているところまで一緒だ。あの天井の黴……あのスーパーはもうだめだろう。ありえない状態だ。だいたいあんな若者を雇っている時点で……
『お待たせしました。本日のゲストはレインスティック奏者の梶木さんです! どうもこんにちは!』
『は、ここっ、こんにちは』
『台風情報でお待たせしてしまってすみませんでした。緊張されてます?』
『はい、いいえ、そそそんなことは』
『リラックスしていきましょう。レインスティックとは聞きなれない楽器ですが、どういうものなんですか?』
『ちゅ、中南米の楽器です。あめ、雨乞いの儀式に使われていたものでして、と、とてもですね、美しい雨音を奏でらるっ……られます』
『ははあ。めずらしいですね。では、さっそくその音色を聞かせていただきましょう。梶木さん、よろしくお願いします!』
『はいっ』
 カララララララ、シャララララララ、ザザザザザザザザ。
 台風のまぶたは携帯を取った。履歴から発信。
『はい。視聴者センターです』
「ありえないでしょ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み