三、思い通りにならない久遠たち

文字数 3,677文字

 完成から二日が経っても、久遠の二条元家は生前と全く異なる様子を見せるだけだった。言葉は理解して話せるようだが、ほとんど会話を行わない。姫路と会うのも避け、生活用の部屋に隣接する久遠を製造するための部屋――目覚めた場所の奥で籠もり気味だ。何があったのか事情を聞きたくても、関係ないと一蹴される。そして毎日同じ時間に寝起きし、健康のためだという習慣をいくつか実践している。この久遠は、本当に二条元家なのか。少なくとも姫路の知る二条は、積極的にこちらを気遣って話し掛けてくれる人だった。
 アパートの部屋で拵えた書斎の椅子に背を預け、机一面に貼った恩師の写真を眺めながら、姫路は春ごろのことを思い出す。恩人の死後、彼と同じ姿と記憶を持つ久遠を作りたいと言った時、彦根を含む多くの職員に反対された。反発する者の訴えは、だいたい同じだった。生きていた二条の尊厳はどうなるのかと。
 彼の思いを潰しているのは向こうの方だ。姫路は長くそう信じて疑わなかった。二条のためと考えて動くことになぜ批判されなければならないのか、当時は釈然としなかった。このままでは研究を妨害され、二条の願いは叶わなくなる。そうして研究所をやめ、数ヵ月掛けて完成に至った今になって気付く。生前の彼と全く違う久遠がいることは、本当に二条元家という人間への侮辱になってしまうのではと。
 空間を仕切るカーテンの前には、無数の本を並べた棚がある。機械の製造にまつわる書籍など、二条と出会わなければ興味も持たなかっただろう。高校を卒業してプログラマーとなった後、友人に誘われて赴いた大学の講演で二条を知った。初めはロボットに関心などなかったが、まるで人のように動いて社会に馴染むという点に強く惹かれた。配られたパンフレットで二条の率いる「同志(どうし)(かい)」を知ってそこへ加わり、先に入っていた林や彦根と知り合った。深志と出会ったのはいくらか後で、自慢の久遠製造施設を見学するなり怒鳴ってきた彼女には慄いたものだ。
 久遠研究所が「同志の会」から発展して設立された後も、二条は自分たちを見守ってくれた。朗らかな笑顔で話し掛け、時には久遠の未来を真剣に語り合った。誰も発生を予期しなかった感染症さえなければ、今も共に研究を続けられただろう。自分の生み出した二条は、生前と同じように生きられるのだろうか。内蔵されている記憶の元となっている日記や文献、録音に漏れはないはずだ。
「一体、何が足りないのか……」
「二条さんへの思い違いが原因じゃないですか?」
 閉じかけのカーテンが開く音がする。姫路は驚きで崩れかけた体を正面の机に手を突いて支え、振り返った。刑部姫はつかつかと、本棚に囲まれた狭い空間へ入っていく。
「案外あなたの見ている二条さん――久遠の方は、生前とそんなに変わらないんじゃないかなって思うんです。むしろそれが強調されたと言うべきか。『生まれた』ばかりなら、なおさら記憶が鮮明で引きずっているでしょうね」
 刑部姫はフリルの付いた袴の裾を翻し、くるりと回る。この久遠の推測が、姫路には分からない。無口で人と距離を置いて、一人で何かを考え込んでいるのが二条元家だというのか。
 姫路は一度だけ、刑部姫を二条に会わせたことがあった。出来たばかりで名前のなかった久遠に、二条は妖怪から名を拝借して与えた。この時しか顔を見ていないはずの刑部姫が、なぜ生前の彼がどうなどと知ったような口を聞けるのか。姫路の呑み込む疑問など察しない様子で、次の久遠製造はいつになるか助手は尋ねる。早く進めなければ作った久遠に伝統工芸を継がせるのが遅れ、文化に支障が出るなどと急かして。
「次に作る久遠には、講談なんかさせてみてはどうです? しかしせっかく日本から手を付けたいっていうのに、その日本であまり受け入れられていないのはどうしたものでしょうか。久遠を雇ってくれるのなんて、例の生涯学習施設くらいですよ。胡散臭い理事長のいるあそこです」
 踵で軽く床を叩いていた久遠が、気の抜けたように本棚へ寄り掛かる。確かに現状では、久遠を理解して取り入れてくれる場所はわずかだ。どうも異世界との交流を阻む原則とやらがそうしているらしい。だが今の結果だけで行動を止めたくはない。
「いずれ能鉾みたいに、久遠は日本で――いや、世界で一般的になるよ。それにしても刑部、なんで『早二野』の所へ行く時は人形のふりなんてしたの?」
 わざわざ久遠研究所の元同僚を頼り、身を箱に収めて宅配便で配達させるなど、手間が掛かるにも程がある。別に人間として「早二野」懇意の店へ訪ねても良かったではないか。
「あそこは一見さんお断りなんです。それにわたしがあくまで『人形』だってこと、ちゃんと認識させたかったんですから」
 腕をぶらぶらと揺らして、刑部姫は明かす。自らは機械だ人形だと、この久遠は生まれて二年以来言い張ってきた。機械なので疲れを知らない、深夜でも作業は出来るから自分は休んでいろと、隣の研究室を追い出されたこともある。
「刑部、あなたはもっと人間として振る舞って良いんだよ」
 抱えていた思いを、姫路は口にする。言葉のどこかに涙のようなものが混じっているようにも聞こえた。久遠が人として認められなければ、より人間社会へ溶け込めなくなってしまう。そうして久遠の普及も遅れていくのだ。刑部姫は姫路へ背を向け、手を振ってカーテンの外へ出る。
「どこまで行っても、久遠は久遠ですよ」
 機械らしい冷たさや棒読み感のない声で、久遠は穏やかに言い放った。


 二日前の夜に「早二野」を迎え入れた研究室へ入ると、二条元家は相変わらず定位置から動いていなかった。まだ午前中だが窓が北向きである故に光の届かない部屋の電気を付け、刑部姫は奥へ足を進める。製造用の部品や機械、何らかの本などが机や床に置かれたここは、やはり乱雑だ。部屋の角に積まれた段ボールの脇に体育座りをして、二条はどこか諦めたような表情で遠くを見ている。その姿が、最後に会った時とどこか重なった。
「あなた、これから『二条元家』として昔のように生きていくつもりですか?」
 久遠のそばへ近寄り、刑部姫はいくらか姿勢を前傾させて問う。返事は言葉でも態度でも明かされない。最後にやりたいと思っていたこと、そもそも昔からやりたいことはなかったか聞いても、期待通りにはいかなかった。機械で作られた肺へ空気を取り込み、それを吐き出して刑部姫は大げさな溜息を表現した。
「わたしは久遠なので、そこまで怖がらなくていいですよ? 糾弾もしないし馬鹿にもしません。自分の思いを一人で抱え込むのはしんどいでしょうから、少しでもここで楽になってください」
 そう促しても、二条は動かない。このまま黙り続けるかと思った久遠は、刑部姫がふと顔を逸らした時に口を開いた。
「……姫路くんは、日記を見ていた?」
 日記といえば、創造主がこの久遠の元になると言って内容を取り込んでいたものだ。特に中は見ず、ただ開いて機械にスキャンしていただけだと教える。姫路は人のプライベートを覗いてはいけないと思ったのか、それとも二条が抱えている心を知りたくなかったのか。自分への批判が書かれていることを恐れていた可能性もある。そうして二条に正面から向き合ってこなかったのが悪いのだと、刑部姫は小さく悪態をついた。
「……それで良いんだ。わたしのことは誰にも知られなくて良い。ただもう一度、皆と研究がしたかっただけなんだ。あの子たちに弱いところは見せたくない……」
「――その言葉、二条元家に『言わされて』ません?」
 刑部姫が怪訝に問うと、久遠はまた何も言わなくなった。呆然とする二条の見た目は、刑部姫が会った時の姿よりずっと若い。髪には白髪一つなく、黒いそれが悩んでいる久遠を余計に重苦しく見せている。
「いくら容姿や名前が同じだからって、あなたは『二条元家』とは違う存在です。わたしだって妖怪の名前を付けられましたが、そのモチーフに囚われずに動いてますよ」
 だから生前の在り方にこだわる必要はないのだと、刑部姫は念押しする。毎日血圧を測っていてもどうしようもない。そもそも久遠には、左胸に動力部こそあれ、鼓動も血液もないのだから。それから自分の名前も「刑部姫」でなく「刑部彦」でも良かった。いや、そしたら男としての面が強調されるかなどぶつぶつ言い続けていた。
 懐に入れていた連絡用の端末が震える。誰からの電話かと思って確かめると、富岡椛によるものだった。翌日に「七分咲き」へ姫路を連れて来てくれと、慌てた様子で求められる。彼にも用事があると伝えたが、どうしても大事なことだと押し切られてしまった。通話を終わらせた後、これから彼女のやらんとすることが刑部姫に何となく想像できた。いくら手を打ったところで、どこまでも平行線のような気はするが。
 誰と話していたのか、二条がか細い声で尋ねる。刑部姫はわずかに逡巡し、適切な言葉を見つけ出す。
「愉快な人ですよ。あなたがちょっと気遅れしてしまうようなね……」
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