四、所員たちの願い

文字数 4,015文字

 何とか姫路と彦根双方に話を付け、椛たちが久遠研究所を訪ねた翌日の夜には、「七分咲き」に彼らが来ることになっていた。カウンターをいそいそと拭き、椛は客人を出迎える準備を整える。店内には他に奥の部屋で作業する苫小牧しかおらず、あとの仲間は皆自宅でテレビ電話越しに話し合いの様子を見ると言っていた。スマートフォンの画面から、早速白神の声がする。
『別に姫路たちが何を言うかは興味ないんだ。ただ、きみが何かやらかすんじゃないかって気になってな』
『わたしも同感です。椛を一人にしておいたら、何が起きるか分かりません』
『俺も富岡さんがうろたえるのを見てみたいね。あの二人もわざわざ店まで来させないで、リモートで済ませれば良かったんじゃない? 向こうにも負担だろうしさ』
 仲間たちは同じようなことを口にして、遠回しに椛へ針を刺してくる。もっと十分な間隔を取れるほどの場所があれば良かったか苫小牧が尋ねたが、画面の向こうでは否定が返ってきた。そして椛も、急な予定を受け入れてくれた女将に感謝する。
「あたし、二人とちゃんと会って話がしたかったんです。リモートじゃなくて顔を合わせて話したほうが、お互いのためにもいいかなとも思って」
『とはいえあの二人が直接会うのは、恐らく久遠研究所にいた時以来でしょう。それに違う意見を持ったまま真正面から語り合うなんて、吉か凶か分からなくなりそう……』
 真木の呟きを聞いた後、椛はスマートフォンをテーブルと調理台とを区切る段差の壁に立て掛けた。四分割された画面のうち三つに他の参加者が、一つに自分の顔が映っている。
 そして約束の十九時より少し早めに、彦根直が現れた。姫路が来るとまだ聞いていない彼は、他の構成員はどこか問うてきた。椛が端末を見せると、彦根は小さい画面に苦戦するように顔を近付けて目を細めた。
「今日はあたしが張り切って仕切るから、どーんと構えていてください!」
 椛が胸を叩いて伝えたが、彦根は理解し切れていないかのように首を傾げていた。そこに店の戸が開き、姫路が先客を見て足を止める。互いの目が合うと、真っ先に彦根が動きだした。彼はいきなり姫路の胸倉を掴んで引き寄せ、隣の店へ届かんばかりの大声を出す。
「どういうつもりだ、姫路! 二条さんの久遠は本当に完成したのか!? これから何をさせる気なんだ!?」
「彦根さん、落ち着いて、落ち着いて!」
 慌てて二人の間へ入り、椛はそれぞれをカウンターの両端に座らせる。そして自分は間の適当な席に腰掛け、スマートフォンから発される真木の指示を受ける。まず呼んだ目的を話すように言われ、椛は背を伸ばして正直に明かす。
「お二人に来てもらったのはずばり、仲直りしてほしいからです! なんかいろいろごたごたしてるみたいだし!」
 来客はしばらく、椛をぽかんとした様子で見つめていた。誰も口を開かず、話し合いは始まりそうにない。ここで何をすべきか椛が迷っていると、画面の奥で真木が切り出した。
『まず、お互いの話から聞きましょうか。彦根さん、姫路さんに対して意見はありますか?』
 姫路が卓上のスマートフォンを凝視する中、彦根は久遠の二条について聞きたいと求めてきた。その製造過程から、起動したばかりの二条が生前と全く違う行いをしていることまで、姫路は詳細に説明していく。椛には慣れない難しそうな言葉も飛び交い、何度も眠りへ落ちそうになった。しかし彦根が事あるごとに大声で反論する度、体がびくりと揺れる。
「そのあんたがスキャンしたっていう記録も、二条さんの全てが書かれているわけじゃないんだろう? だいたい人のものを勝手に使うなんて、どうかしている! 久遠にしたから、あんたの作った二条元家は歪んだんだ! あんたが作ったのは、二条さんなんかじゃない!」
『それなら、この二条って久遠に関する問題も気にしなきゃいいじゃないか』
 今まで黙っていた白神が、ここで物申す。久遠の姿が似ているからといって、そこに生前の本人がいるわけでもないのだ。話からすると性格も二条が持っていたものと違うようだし、もはや別人として捉えても良いのではと彼は語る。
 白神の意見に何も言わず、彦根は姫路へ完成した久遠の写真を見せるよう頼んだ。姫路が相手に渡したスマートフォンを、椛は覗き込もうとして失敗した。久遠の二条が示されているはずの画面に、彦根が顔を近付けて見入っている。やがて彼が、姫路へ端末を突き付けて頷いた。
「確かにこれは、前に写真で見た二条さんの若いころにそっくりだ。なぜこの姿で作った?」
「二条さんの願いを叶えるためだよ」
 白く染まった髪を掻き上げ、姫路は空中へ視線を向ける。二条元家は今年の一月に胃がんが判明し、入院生活を送っていた。まだ感染症も猛威を振るっていない時期に一度だけ姫路は見舞いに行き、そこで師匠の思いを聞いた。せめて姫路や彦根と同じくらいの若いころに、もっと今のような充実した研究をしたかったと。
「あの人は、残り時間がそれほどないことを知っていた。だから最後に、あんな弱気な態度で願いを零したんだ」
 彦根はカウンターの隅で、じっと姫路の話を聞いている。表情も体も固まり、二条がそうした願いを抱いていたことを信じ難く思っているようだった。そんな彼へ打撃を与えるかのように、治の声が店内に響く。
『それは本当に、二条元家の望んでいたことですか? あまり期待しないで、いくらか諦め気味で言ったというのも考えられますし』
 二条の思いが姫路によって踏みにじられていると感じたのか。彦根は突如立ち上がって、姫路へ向き直った。
「そうだ。勝手に久遠を作っておいて、それが二条さんの意思でなかったらどうするんだ!」
『それなら、そいつは二条じゃないってことで割り切れよ。別人なんだろう? 生前のと久遠のとでは』
 面倒くさそうに話す白神は、画面の中で大きく欠伸をしている。彦根たちが真剣にやり取りをしていることなど、どうでも良さそうだ。彦根がわずかにスマートフォンを睨んで座り、二条の久遠はどう使われるのか姫路に尋ねた。今後、姫路は二条を以前と同じく、久遠研究所の一員として働いてもらうことにしているらしい。そこに彦根はまたも噛み付いた。かつて二条と面識のあった職員たちが戸惑うと。
「あそこにはあんたの計画に反対していた奴もいるんだ。絶対に受け入れられるわけがない。少なくとも、おれは認めないからな!」
 彦根が怒鳴った後、「七分咲き」は一気に静かとなった。来客はそっぽを向き合い、会話が起こりそうな気配もない。何を話せば良いか椛は考え付かず、ただ姫路たちを交互に見るしか出来なかった。それを気にしたか、頼もしい友の声が端末から届く。
『姫路さんは、今後も個人で久遠の製造を続ける予定ですか?』
 真木の問いに、相手はすかさず肯定した。いずれ日本や世界の伝統を守るために使うと、前にも彼の部屋で聞いたようなことを言い切る。
「受け継がれた技術を残していくためには、人間の動きを待ってもいられない。もうわたしの所は手遅れだけど、他の場所ならまだ助けられるかもしれない」
 姫路の実家は国内でも数の少ない、和傘の工房だった。需要がないとして職人たちが次々とやめていくのが気になり、ついに父の死によって弟子たちが争った末、散り散りとなった。やがて実家と共に工房の土地は売られ、跡地は昔の面影もないマンションへと変わり果てていた。
 一つの伝統が失われる様を、姫路は目撃している。今も続く後継者不足に歯止めを掛けるためには、人間と同じ動きの出来る久遠を製造して現場で働かせるよりすぐ出来る手立てはない。そう話す姫路に、彦根は納得しなかった。
「じゃああんたは、人間の仕事を奪う気なんだな!? せっかく職人になりたいっていう若い芽が出てきても潰すんだな!」
 気付かない様子で彦根が肘でコップをカウンターから落とし、砕ける音が響いた。椛がどうにかしようとするが、すぐに苫小牧が手際よく片付ける。
「久遠に貴重な仕事を奪われたら、それこそあんたの求めていた職人の立つ瀬がなくなるだろう! 現代の仕事ですら、将来には人工知能に取られようとしているのに!」
「あれ、二条さんの話は? そっちへ戻し――」
「やっぱり久遠なんて、簡単に扱おうとするべきじゃないんだ! せめて慎重に導入を検討して――いや、今からでも止めるなんてことは……」
 椛の静止も聞かず、彦根はぶつぶつと何かを言い始めた。久遠研究所で働いているはずなのに、この男は久遠を否定的に見ている。それに真木が疑問を告げた。
『彦根さんはなぜ、久遠研究所に入ったのですか? 今の様子ですと、あなたが久遠に良い思いを抱いていないように見えます。なら久遠と関わるのをやめれば良いではないですか』
 少し黙った後、彦根は久遠を知りたかったからだと呟いた。二条にその存在を聞いた時、久遠には期待と脅威の両方を持っていた。一度はやめようと考えたこともあったが二条が止め、今は久遠の普及を慎重に検討して問題に対処する制御部門を設立して動いている。
『久遠を広めようとする組織で制御、ですか? 確かに冷静な対応は大事ですが、所の理念に反することにはなりませんね?』
「本当は所長にも設立を止められました。でもどうしても必要だと押し切って、納得してもらったんです。久遠に人間の立場が奪われては、あなたも喜ばないでしょう?」
 彦根が努めて柔らかい口ぶりで告げた言葉に、真木は容赦なく吐き捨てた。
『立場云々はともかく、久遠が人間社会に関わるのには賛成です。姫路さんの意見も受け入れます。むしろ積極的に取り入れてほしいくらいですね』
 椛は小さく映る真木を二度見し、本当か問おうとして言葉を失う。彦根もこの答えは予想していなかったか、息を呑んで目を見開く。一方で画面の奥で俯いていた白神が顔を上げ、瞼をこすっていた。
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