②  テイラーの生命中心主義への反論とその評価

文字数 1,482文字

 テイラーの生命中心主義への反論とその評価

 テイラーの生命中心主義への反論と評価を述べることによって、その理解を深める。
 Taylorの1981年の“The Ethics of Respect for Nature”(Taylor[75])が発表されると大きな反響があり、そのうち特に目立ったのが「人間は他の生命を犠牲にしなければ生きられず、この理論を実践することは不可能ではないか」という疑問であった。これに対して、Taylor は1986年の“Respect for Nature, A Theory of Environmental Ethics” (Taylor[76])で明確に回答している。それは、生物は他の生物の犠牲の上に生きているのであり、そのことに対しては疑問の余地はない。しかし、他の生物の犠牲は最小にしなければならない(最小悪の原理)。また、開発にともなって生物を犠牲にしてしまった場合には、そのことに対して補償しなければならない(回復的正義の原理)。これによって、明確に反論されている。

「生命中心主義は現実の問題の解決に役に立たない」(伊勢田[30])という指摘については、確かに今まではそのようなところがある。これに対して実践的な指針を提供することが当論文の試みである。
 具体的には、人間にとっての利益の大小の観点から自然保護や動物保護の有効性を比較することが不適切な場合、生命中心主義理論を土台にその有効性を比較可能にする手法を開発することで、生命中心主義によって現実の問題を解決する指針を提供することである。
 
『Warwick Fox およびBryan G. Nortonによると、「絶滅危惧種の命と、ありふれた動物の命の価値が同じというのは同意できない」』(Keller[38])と反論されている。この意見は生命中心主義に対する誤解に根ざしている。
絶滅危惧種もありふれた動物も人間によって道徳的配慮をうけるべき存在である。ただし、絶滅危惧種は人間の行為によって絶滅が危惧されるのであれば、回復的正義の原理によって人間は絶滅を回避させる義務がある。更に、人間の行為によって絶滅危惧種になったのではないとしても、人間は「自然の尊重」の態度をもって接しなければならないのであるから、やはり絶滅を回避させるべきである。当然、ありふれた動物であっても、人間は「自然の尊重」の態度をもって接しなければならないのである。
「生命中心主義は個体主義であるので、すべての生命を重要視すると、生物同士の競争、
死、進化といった生態系の安定性や健全性と両立しない」(Keller[38])という反論もあ
る。これも、テイラーの生命中心主義に対する誤解に根ざしている。「自然の尊重」の態度
は「人間」が「他の生物」に対して取るべき態度であり、「他の生物」対「他の生物」でも
なければ「他の生物」から「人間」への態度でもない。生態系の中で行われる様々な捕食・
被捕食活動も含めた生物の行動は何ら行動の制約などをうけるべきことがらではない。
テイラーは自然への介入には反対であり、もし行うとすれば最小悪、回復的正義が必要になるとの主張であり、このこと自体には矛盾はないのであるが、自然への介入をすることが生物多様性の回復においても、絶滅危惧種の回復においてもあらゆる面で人為的に介入が積極的に行われており、これについてどのように考えるべきかは大きな課題と言える。

従って、これについては第 2 章第 3 節以降で詳細に検討する18。
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