第1話

文字数 2,128文字

 幼女が、だんだん女性へと変わっていく自らに対して、戸惑ったり嫌悪を感じたりする、ということに、気持ちはわかりはしても同意できない自分は、もしかしたら、幼女、つまり男女の性差なしにただの子どもとして存在していたはずの時分から、女性性を所持していたのでは、という考えに行き着いた。私はむしろ、思春期を迎え、授業中ノートをとる際、いつも通りに机の手前に置いた左腕にちょうど自分の胸の部分が当たる、その腕に感じる胸の膨らみが、日に日に厚みを帯びていくことに、気持ちよさを感じていたくらいなのだ。身体が丸みを帯びて、柔らかくなっていくことは楽しかった。やっと中身に外見が追いついてきたかのような実感があった。
 ただしそれは自分の好みの異性に相応しい自分になることへの喜びであって、不特定多数へのセックスアピールを得たことへの感激では決してなかった。お前らのために私は肉付きをよくしていっているのではない、がりがりの骨皮筋子ちゃんから鈍重そうなぽてっとした体躯に変身を遂げた私を取り巻く視線の出所(でどころ)、一つ一つに、説いてまわってやりたかった。
 一番は父親に対してだった。話がひっくり返るようだが、私はただの子ども時代から、父から発せられる性的欲望に基づく私に対する視線に危機感を募らせていた。もちろんそんなもの、つまり性的な諸々の存在など知らぬ当時は予見などできもしなかったのだが、例えばマニキュアを塗る、前髪を伸ばす、身体のラインに添った大人びた洋服を着る、といったことに父は酷く嫌悪を示しては機嫌を悪くし、それに慌てた母が私の爪をシンナーで擦ったり前髪をあり得ないほど短くカットしたりしたのだった。
 このように父は私が女になっていくことに憤怒を隠さなかったため、私はそれによって本来まず真っ先に除外されるはずの父から性的思慕対象となる異性、女のうちの一人と見なされていることを知るのだった。
 ひとつ屋根の下で暮らす身内を端とする生理的危機感は私をひどく消耗させた。私は嫌われたかった。嫌われて、安心して女性性を所持したまま、ありのままの私でいたかった。女であることで危機を覚え、しかしあくまで女でありたい私が嫌われるためには、嫌われるような何かをしなければならない。今に続く私の破壊衝動はこれを一因としているのだと想像する。私は男との間で、関係性を損ない、嫌われるための行動を、脅迫的にくり返した。
 また一方で、一般的な家庭の中で子どもが父親に対して望むのと同様、私は父に愛されたかったのだ。性的対象としてではなく、血の繋がった無垢なひとりの子どもとして。そのような愛を父は持ち得なかったため、私は無いものを求めて苦しむことになる。決して与えられはしないものを父に求め、貰えずに絶望する、を繰り返すうち、私の「私は愛されない子である」という信念は強固なものとなっていく。
 そしてそれは大人になってからも私についてまわり、影を落とした。私は愛される価値がない、との思いはもはやちょっとやそっとではびくとも動かぬほどの私の形成要素の一つにまで成長していた。私はかけがえのない関係をわざと壊し、その証明に躍起になった。男から愛されないという事実を手に入れては自説の正しさに安堵したのだ。
 積み重ねられた現実、つまり去っていったいく人かの男の後ろ姿は、強烈な遺棄体験となって私に残った。幼少期に自ら植え付け、体験によりますます強固にしていった、私は見捨てられるに相応しい人物だとの思いは、あまりにも根深かった。いくら理由を突き止め、ここまで整理し頭でわかっていてもなお、それを正すことができないのは、自分に自信がないからだった。
 親との間でさえ無理だったのだ、私が永続的な愛ある関係を第三者と結ぶことなど、不可能だ。私は愛される価値のない人間だ。どうせ私は捨てられる、捨てられる前に、せめてこちらから先に切ってしまおう。――気づくとやってしまっているのだ。生きていると予想だにしなかったことが発生するが、そうして生活面での乱れが重なり、精神が落ち着いていない時などは特に、発作が起こった。
 いつまで続けるつもりなのだ。今決めろ、と私が私に迫る。二度としない、私は二度としないと今決めて、決めたからには誠心誠意、全力でそれを実行しなければならない。何よりこの仕組みを理解していながらも惰性的にくり返すことによる実害は、誰よりも相手の男が被ることになるのだ。何という我儘、自虐するだけならまだしも、ことごとく私を救済し続けてきた大切な人を無下に扱うなど、正気の沙汰ではない。言い逃れのしようのない最低の行いで、しんで詫びても迷惑を大きくするだけの救いようのない愚行なのだ。
 勇気と、賢明を、私にください。どうか、これ以上、自分を嫌いにならないくらいは、私は大切な人を大切にしたい。過去に実際あった、しぬほどの経験、一度ならず二度でも三度でも何度でも、私はしんでみせよう。大切な人を、大切にできる自分になれるのなら。もう、恩を仇で返すようなことはしんでもしたくないのだ。何もお返しはできなくとも、せめて、相手を思いやれる自分になるためにも、自分という犠牲者を、今後出さぬためにも。
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