第16話 やぶからスティック【7】吉田松陰3

文字数 991文字





 土佐の漁民の中浜万次郎が、漂流中をアメリカの船に助けてもらい、長くアメリカに滞在、日本に帰国するという事件があった。万次郎はたいした罪にもならず、かえって幕府に召し出されたといううわさが出た。佐久間象山は、万次郎のように漂流の方法で渡航すれば成功するかもしれないと考えた。機会が来るのを待ちかまえていた吉田松陰は、さっそく実行に移そうとする。
 長崎にロシア船が来ていたので江戸を発つが、長崎に着いたときには出港したあとだった。
 だが、あけて1854年(安政元年)、1月14日、ペリーが軍艦7隻を従え、去年の返事を求め日本へやってきた。幕府はアメリカの要求を聞き入れ、日米和親条約に調印する。
 松陰は江戸で知り合った同郷の金子重輔と支度を整え、佐久間象山や友人たちと別れを告げてから、アメリカ軍艦が停泊している下田へ向かった。

 3月27日。海岸で小舟を見つけ、二人はそれで軍艦にこぎ着けた。アメリカ兵が手まねでペリーの旗艦へ行け、という。二人は再びその船を目指し小舟を漕ぐ。松陰がアメリカ兵とやり取りをして看板まで上がると、日本語の通訳が出てきて話を聞いてくれた。
 だが、返された返答は、
「二人を連れて行くことは出来ない」
 というものだった。
 追い返された二人だったが、ペリーは幕府に対し、
「この青年たちを厳しく罰しないように」
 と、わざわざ申し入れるのであった。

 ちなみに幕府は三代将軍家光が鎖国の掟をつくって200年続いていたのである。

 そういうわけで江戸の獄に繋がれていた二人だったが、幕府から国元へ蟄居命令が出され、萩に送り返されることになる。
 江戸では海外渡航の企てが元で佐久間象山が獄に繋がれた。
 松陰と一緒に渡航をしようとした重輔は江戸の獄で繋がれていたときに重い病気に罹ってしまっていた。
 10月24日、松陰と重輔は萩に着く。武士であった松陰は野山獄へ、身分が低かった重輔は岩倉獄へ繋がれる。病気に罹っていた重輔は安政2年、25才で、入獄のまま亡くなる。

 吉田松陰は、たくさんの本を読もうと決心し、兄や友人に頼んで本を届けてもらい、野山獄にいた1年間で約620冊の本を読むことになる。


 ……と、まあ、読んでいて飽きてきたかもしれないだろうが、この話はもうちょっとだけ続く。むしろ、ここからが「先生」としての吉田松陰のストーリーだ。よろしく頼む! では、次回へ続く。


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登場人物紹介

桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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