第10話 鏡華さんのお部屋は秘密の匂ひ(後)
文字数 1,996文字
鏡華さんの書棚の一廓 には、『捜神記 』、『剪燈新話 』、『聊斎志異 』、『子不語 』といった本が並んでいた。
どれも重々しい装丁で、もちろん原文。
ちょっと開いてみたが、画数の多い漢字がひたすらぎっしり並んでいて眩暈 がした。『少女の友』の中原淳一の描く華やかな表紙絵や『花物語』の繊細で精緻な函入り本との落差がすごい。中国の小説でも、『紅楼夢』、『西遊記』、『水滸伝』などは日本人でも馴染のある作品だけれど、これらは――
(怪異譚じゃない! 鏡華さん、こういうのもお読みになるの?)
それでも、わたしが少なくともタイトルだけは知っていたのは、お父さまの書斎に岡本綺堂 の『中国怪奇小説集』があったからだ。
去年出版された『中国怪奇小説集』を、お父さまは喜々として買いもとめていた。その内容は、今わたしの目の前に並んでいる原典から、岡本綺堂が精選し、日本語訳したものなのだ。お父さまとしては、原典を読むのは大変なので、綺堂先生の抄訳が出たのがありがたかったのに違いない。きっと小説の材料 になさるつもりなのだ。こういう行き当たりばったりのやり方で、わが家の経済が支えられていると思うと不安を禁じ得ないが、でもあの時のお父さまとのおしゃべりは、ちょっと面白かった。
『この本で紹介されているのは、全部志怪 小説と呼ばれるものです。例えば、「子不語」というのは清 の時代の本ですが、面白いタイトルでしょう?』
『本当に。いったいどんな意味ですの?』
『論語の中に、「子 、怪力 乱神 を語らず」という言葉があります。孔子先生は怪異や鬼神について語らなかったというわけですね。で、この本では孔子先生が語らなかった類 の話を集めた――つまり、怪異譚ばかりを集めた本というわけなのです』
『へー、面白い』
わたしが喰いついてきたのが嬉しかったのか、お父さまは少し調子に乗った様子で、『ちょっと読んでみましょう』と頁をぱらぱら捲っていたが、
『おや、こんな話がありますよ』
と聞かせてくれたのは、『子不語』ではなく、『捜神記』の中の「攫猿 」というお話だった。
蜀の西南の山中に、「攫猿」という妖怪が棲 んでいて、道行く婦女を攫 う。男と女の身体の匂いの違いを知っていて、男は決して攫わない。美女は特に狙われる。
『まあ、嫌らしいわ。妖怪猿のくせに』
『佳 人 を好むのは人も妖怪も変わらないと見えますね。問題は、婦女を攫う目的ですが――』
子を産んだものは、母子ともに元の家に帰らせるのだと言う。忌 み嫌 って子を育てないと母もろとも死んでしまうので、仕方がなくその子を養育する。育った後は、普通の人間と何ら変わるところはない。しかも、この攫猿と人間の女性の子は、なぜか皆〈楊 〉姓なのだそうな。※
『急に女性がいなくなってしまうという話は、柳田国男の「遠 野 物語」などに出てくる神隠しの話とも、少し似ているようですね。でも、普通は子供が産まれたら、そこで一緒に暮らしそうなものなのに、逆に母子共に帰らせるというのが面白い。目的は何なのだろう。不思議ですね』
『自分の子孫を増やして、人間界を乗っ取ろうと考えているのかもしれませんわ』
『はは、それは面白い。六朝時代の古い志怪小説が現代の空想科学小説みたいになってきましたね。遠大なる人類征服計画だ』
まさかわたしのその場のでまかせを、お父さま、本当に小説に取り入れるおつもりではないでしょうね、とちょっと心配になったが、お話自体は面白かった。
それにしても、なぜ「攫猿」の子孫の姓は皆、〈楊〉なのだろう? こんなことを書かれて、楊さんたちは困らなかったのだろうか。これが日本なら、「人知れず妖怪の子が人間界に紛れ込んでいるんですよ、何処 の誰かは知りませんが」という感じにぼかして書きそうだ。荒唐無稽な話なのに、細部が妙に具体的で理屈っぽいところが、中国らしいのかもしれない……。
鏡華さんのお部屋で『捜神記』を見た時、ふとお父さまとの他 愛 のない会話を思い出したこと、特に〈神隠し〉という言葉が
これだけでも十分不思議な鏡華さんの書棚だったが、極めつけは『易 経 』だった。
(『易経』って、中国古代の占いの本じゃなかったかしら?)
どうしてこんな本があるのだろう。
本をよく見ようと屈 みこんだ拍 子 に――
「あら」
わたしは思わず声を上げた。
『易経』が入っている書棚の傍らに、袋に入った細長いものが立て掛けられているのに気づいたのだ。
一瞬笛かと思ったが、笛よりも太いし、長い。袋の口から朱色の房が垂れている。
(これは、何かしら?)
「お待たせしてごめんなさい」
はっと振り返ると、二人分の体操服を抱えた鏡華さんが戸口に立っていた。
※ 「攫猿」の内容については、岡本綺堂『中国怪奇小説集』(光文社、2006年、P26~P27)を参照した。
どれも重々しい装丁で、もちろん原文。
ちょっと開いてみたが、画数の多い漢字がひたすらぎっしり並んでいて
(怪異譚じゃない! 鏡華さん、こういうのもお読みになるの?)
それでも、わたしが少なくともタイトルだけは知っていたのは、お父さまの書斎に岡本
去年出版された『中国怪奇小説集』を、お父さまは喜々として買いもとめていた。その内容は、今わたしの目の前に並んでいる原典から、岡本綺堂が精選し、日本語訳したものなのだ。お父さまとしては、原典を読むのは大変なので、綺堂先生の抄訳が出たのがありがたかったのに違いない。きっと小説の
『この本で紹介されているのは、全部
『本当に。いったいどんな意味ですの?』
『論語の中に、「
『へー、面白い』
わたしが喰いついてきたのが嬉しかったのか、お父さまは少し調子に乗った様子で、『ちょっと読んでみましょう』と頁をぱらぱら捲っていたが、
『おや、こんな話がありますよ』
と聞かせてくれたのは、『子不語』ではなく、『捜神記』の中の「
蜀の西南の山中に、「攫猿」という妖怪が
『まあ、嫌らしいわ。妖怪猿のくせに』
『
子を産んだものは、母子ともに元の家に帰らせるのだと言う。
『急に女性がいなくなってしまうという話は、柳田国男の「
『自分の子孫を増やして、人間界を乗っ取ろうと考えているのかもしれませんわ』
『はは、それは面白い。六朝時代の古い志怪小説が現代の空想科学小説みたいになってきましたね。遠大なる人類征服計画だ』
まさかわたしのその場のでまかせを、お父さま、本当に小説に取り入れるおつもりではないでしょうね、とちょっと心配になったが、お話自体は面白かった。
それにしても、なぜ「攫猿」の子孫の姓は皆、〈楊〉なのだろう? こんなことを書かれて、楊さんたちは困らなかったのだろうか。これが日本なら、「人知れず妖怪の子が人間界に紛れ込んでいるんですよ、
鏡華さんのお部屋で『捜神記』を見た時、ふとお父さまとの
後で大きな意味を持ってくる
なんて、その時のわたしはもちろん、まったく気づいていなかった。これだけでも十分不思議な鏡華さんの書棚だったが、極めつけは『
(『易経』って、中国古代の占いの本じゃなかったかしら?)
どうしてこんな本があるのだろう。
本をよく見ようと
「あら」
わたしは思わず声を上げた。
『易経』が入っている書棚の傍らに、袋に入った細長いものが立て掛けられているのに気づいたのだ。
一瞬笛かと思ったが、笛よりも太いし、長い。袋の口から朱色の房が垂れている。
(これは、何かしら?)
「お待たせしてごめんなさい」
はっと振り返ると、二人分の体操服を抱えた鏡華さんが戸口に立っていた。
※ 「攫猿」の内容については、岡本綺堂『中国怪奇小説集』(光文社、2006年、P26~P27)を参照した。