第16話 〈霧社事件〉ってご存知?
文字数 2,114文字
お話が終わって、なんとなく、お車の方まで鏡華さんと戻りかけた時、鏡華さんが急に「いけないわ」と笑った。
「これじゃ、きりがないわ。『今度はわたしがそこまでこず枝さんをお送りするわ』ってなって、次はこず枝さんが『やっぱりお車のところまで一緒に行くわ』ってなっちゃうのよ」
「そうかもね」
わたしたちは、ひとしきり笑った。鏡華さんと一緒に笑うのが、たまらなく快かった。
本当に今日はいろいろなことがあった。ひとつひとつ思い出してみると、全部同じ日に起きたとは信じられないくらいだ。昼休みに房子さまが現れたのなんか、まるで一週間も前の出来事みたい。
「では、ここで」
別れがたさを振り切るように、わたしは言った。
「ごきげんよう。また明日ね」
「ごきげんよう。明日、学校でね」
ところが、鏡華さんはふと思い出したように、
「彼女――」
お車がある方へ、ちらと視線を走らせて言った。「夏子さんと言うのだけれど、ちょっと愛想がないように見えてもお気になさらないでね」
「ううん、そんなことないわ。ただ、西洋人みたいにきれいな方だと思っただけ。夏子さんって仰るの? それは――」
「そう、日本名よ。実は、彼女は霧 社 の出身なの。とても利発な子供だったので、彼女だけ家族のもとを離れて日本人小学校の高等科に進んだの。そして、霧社事件が起こった。こず枝さん、霧社事件ってご存知? 昭和五年、台湾で起こった大事件よ」
昭和五年と言えば、わたしはまだ七歳。
「ごめんなさい。わたし、知らないわ」
「わたしもこっちで育ったからあまり詳しくないのだけれど、夏子さんのご家族は、その事件に巻き込まれて全員亡くなられたの。夏子さんには妹がいてね、もし生きていたらわたしたちと同い年なんですって……」
わたしはきっと、棒を呑んだような顔をしただろうと思う。
「ねえ、お父さま。台湾の霧社事件って、いったいどんな事件でしたの?」
「霧社事件か。確かあれは、昭和五年だったかな……」
「はい。そう聞きました」
「もう六年も前になるのか。あれは、かなりショッキングな事件でしたね」
「ショッキング?」
「霧社というのは台湾中部の地名です。山深いところだそうですが、そこで起こった高砂族 による抗日武装蜂起事件です。莫那 ・魯道 という男が高砂族の部落を統合し、千数百人規模の人数で霧社の駐在所や学校など、日本人がいる場所を一斉襲撃したんです。130人以上の日本人が殺害されるという空前絶後の大事件でした。高砂族は戦闘の時、敵の首を斬るんです。こうばっさばっさと――」
「きゃっ!」
お父さまがまるで山刀でも振り回すように、わたしの前でぶんぶん腕を振るので、わたしは思わず悲鳴を上げてしまった。
「あ、これは失礼」
熱演のあまりずれてしまった眼鏡のつるを直しながら、お父さまは空咳をひとつして続けた。「一番被害が大きかったのは、折から運動会を行っていた霧社公学校 だったと言われています」
「公学校?」
耳馴れない言葉だった。
「ちょっと説明した方がいいですね。明治28年の日清戦争終結時、清は台湾と澎湖諸島を日本に割譲 しました。以来、日本の行政機関である台湾総督府による統治が行われ、日本語教育が『国語教育』という名の下に実施されています。ただ、内地人が通う小学校に対し、本島人や高砂族の子弟が通う初等教育機関は公学校と称され、区別――いや、差別されているんです」
お父さまの眼鏡の奥の眼が、急に曇った。わたしも、胃のあたりがずんと重くなるのを感じた。
「霧社事件は、最後どうなったんですか」
わたしは、ごくりと唾を呑んで尋ねた。
「日本側は軍隊を出し、大砲、飛行機による爆撃や毒ガスまで使って鎮圧したそうです。あまりに強硬なやり方です。他の方法はなかったのでしょうか。突然命を奪われた日本人は、確かに傷ましい。同じ日本人の一人として、心から哀悼の念を表します。でも、そこまで大規模な蜂起の背景には、複雑な問題が潜んでいるはずです。それを一切無視し、ただ圧倒的な武力で捻じ伏せる。それが果たして正しいことなのか、わたしは正直疑問なのです。
最終的に投降した高砂族は500人程度だったと言われています。つまり、半数以上が死んだのです。戦闘によって命を落とした人よりも、縊死によって自ら命を断った人の方がずっと多かったと新聞報道で見ました。生きて虜囚 の辱 めを受けず。彼らの行動倫理には、日本の武士道に通じるものがあるような気がします。だから、余計に身もだえしたいような気持ちになるのです。日本人は何故そこまで彼らを追い詰めてしまったのかと。……あ、そうだ!」
お父さまはいきなり押入れを開けると、そこに首を突っ込んで何かを探し始めた。
「ありました。これを読んでみるといいと思います」
父が引っ張り出したのは、だいぶ変色した古い雑誌――『改造』だった。
「この雑誌に、佐藤先生の『霧社』という作品が載っています。先生が台湾旅行をされたのは大正九年だから、霧社事件が起こる十年も前ですが、でも、事件の予兆のようなものが描かれています。山 雨 来 らんと欲 して風 楼 に満 つ。先生は正にその『風』を描き留めたのですね、さすがだと思います」
「これじゃ、きりがないわ。『今度はわたしがそこまでこず枝さんをお送りするわ』ってなって、次はこず枝さんが『やっぱりお車のところまで一緒に行くわ』ってなっちゃうのよ」
「そうかもね」
わたしたちは、ひとしきり笑った。鏡華さんと一緒に笑うのが、たまらなく快かった。
本当に今日はいろいろなことがあった。ひとつひとつ思い出してみると、全部同じ日に起きたとは信じられないくらいだ。昼休みに房子さまが現れたのなんか、まるで一週間も前の出来事みたい。
「では、ここで」
別れがたさを振り切るように、わたしは言った。
「ごきげんよう。また明日ね」
「ごきげんよう。明日、学校でね」
ところが、鏡華さんはふと思い出したように、
「彼女――」
お車がある方へ、ちらと視線を走らせて言った。「夏子さんと言うのだけれど、ちょっと愛想がないように見えてもお気になさらないでね」
「ううん、そんなことないわ。ただ、西洋人みたいにきれいな方だと思っただけ。夏子さんって仰るの? それは――」
「そう、日本名よ。実は、彼女は
昭和五年と言えば、わたしはまだ七歳。
「ごめんなさい。わたし、知らないわ」
「わたしもこっちで育ったからあまり詳しくないのだけれど、夏子さんのご家族は、その事件に巻き込まれて全員亡くなられたの。夏子さんには妹がいてね、もし生きていたらわたしたちと同い年なんですって……」
わたしはきっと、棒を呑んだような顔をしただろうと思う。
「ねえ、お父さま。台湾の霧社事件って、いったいどんな事件でしたの?」
「霧社事件か。確かあれは、昭和五年だったかな……」
「はい。そう聞きました」
「もう六年も前になるのか。あれは、かなりショッキングな事件でしたね」
「ショッキング?」
「霧社というのは台湾中部の地名です。山深いところだそうですが、そこで起こった
「きゃっ!」
お父さまがまるで山刀でも振り回すように、わたしの前でぶんぶん腕を振るので、わたしは思わず悲鳴を上げてしまった。
「あ、これは失礼」
熱演のあまりずれてしまった眼鏡のつるを直しながら、お父さまは空咳をひとつして続けた。「一番被害が大きかったのは、折から運動会を行っていた霧社
「公学校?」
耳馴れない言葉だった。
「ちょっと説明した方がいいですね。明治28年の日清戦争終結時、清は台湾と澎湖諸島を日本に
お父さまの眼鏡の奥の眼が、急に曇った。わたしも、胃のあたりがずんと重くなるのを感じた。
「霧社事件は、最後どうなったんですか」
わたしは、ごくりと唾を呑んで尋ねた。
「日本側は軍隊を出し、大砲、飛行機による爆撃や毒ガスまで使って鎮圧したそうです。あまりに強硬なやり方です。他の方法はなかったのでしょうか。突然命を奪われた日本人は、確かに傷ましい。同じ日本人の一人として、心から哀悼の念を表します。でも、そこまで大規模な蜂起の背景には、複雑な問題が潜んでいるはずです。それを一切無視し、ただ圧倒的な武力で捻じ伏せる。それが果たして正しいことなのか、わたしは正直疑問なのです。
最終的に投降した高砂族は500人程度だったと言われています。つまり、半数以上が死んだのです。戦闘によって命を落とした人よりも、縊死によって自ら命を断った人の方がずっと多かったと新聞報道で見ました。生きて
お父さまはいきなり押入れを開けると、そこに首を突っ込んで何かを探し始めた。
「ありました。これを読んでみるといいと思います」
父が引っ張り出したのは、だいぶ変色した古い雑誌――『改造』だった。
「この雑誌に、佐藤先生の『霧社』という作品が載っています。先生が台湾旅行をされたのは大正九年だから、霧社事件が起こる十年も前ですが、でも、事件の予兆のようなものが描かれています。