第2話、そば好きのこだわりが嫌い

文字数 4,573文字

「近場で良いんじゃない」


 松安先生はロールケーキを手にそう言った。


 私は、取材先の打ち合わせのため、松安先生の自宅にうかがった。松安先生は画家だ。主に食べ物の絵を描いている。松安先生には私がつとめている出版社の雑誌、食財鞄の美人記者と行く食べ歩きの旅の挿絵を描いてもらっている。

 先生は食通ではない。食べ物にたいして、おなかいっぱい食べれればいい。できればおいしい物がいい。といった程度のこだわりしか持っていない。絵に関してはこだわりがあるらしく、見た人がおなかがすくような絵を描きたい。つねづねそう言いながら、行く先々でおなかがすいたおなかがすいたと、ごはんを食べている。それから絵をちょっと描いて寝る。松安先生は満腹感と眠気のわずかな間だけしか仕事をしないという、きわめて効率の悪い画家である。


 両手に、おみやげを持って、私はうきうき気分で歩いた。おみやげは、取材先で見つけたロールケーキ、その店のロールケーキは二種類ある。スポンジが渦巻き状になっていて、中にクリームとフルーツがみっちり詰まっているタイプと、クリームを中心にスポンジがふわっと一回り、中にほんわり柔らかなクリームが入っている筒状タイプの、二種類ある。私はどちらかというと、ぐるぐる巻きの方が好き。ほわっと筒状も、おいしいんだけど、なんか損した気分になる。ほわっとしすぎてて、あっという間に無くなっちゃうし、手抜き感もある。これ、巻いてなければ、うすく平らなスポンジケーキに生クリームをどっさり上にのっけただけのケーキだ。その点、ぐるぐる巻きは、詰まっているから満足感がある。どこを食べてもスポンジとクリームがちょうど良いあんばいで口の中に入る。フルーツの酸味もいい。

 先生はどっちが好きなのだろうか。どっちも好きに違いない。と考え、両方買うことにした。一種類だけ買うと、もう一種類の方も食べたかったなあー。なんて先生は言うに違いないので、ロールケーキを二種類三本ずつ、六本買うことにした。先生二本、私も二本、先生の奥さんチイコさん二本の、計六本購入した。

 先生と私は、黙って二種類二本食べるとして、チイコさん二本は多すぎるかなと思ったものの、チイコさん、意外と食べる方だし、チイコさんの分だけ切ったやつを買うのは、なんだが申し訳ない気がする。余ったらどうせ先生が食べるのだから、チイコさんにも二種類二本買っていくことにした。

 支払いの時、店員さんが、疑いのまなざしで私を見るので、一人で食べるんじゃないですよ。三人です! と焦って言い訳をした。それでも多いぞという目で見られた。


 今度の取材先は信州の山奥に行かなくてはならない。先生は、あまり遠くの方に取材をしに行きたがらない。特に山が嫌いだ。私も山は嫌いだが、取材となれば仕方ない、誰かに変わってもらうか、タクシーで行くか、いろいろ我慢する。信州の山奥にある、おそば屋さんの取材にいこうと思うのだが、先生、食べ物は選ばないが、取材場所は選びたがる。それを説得するのが私の腕の見せ所で、そのためのロールケーキだ。



 先生の家は、広い敷地に池なんかあったりして、少し角張った洋館風の家、なんでも、松安先生の亡くなられた親戚の人が、ちょっとした資産家だったそうで、この家をなぜか松安先生に譲ったそうだ。松安先生には似合わないと言ったら失礼だが、なかなか格式の高い立派な家である。


 私は先生の家のチャイムを押した。


「佐奈恵ちゃん、いらっしゃい」


 玄関から顔を覗かせ、笑顔なのは松安先生の奥さん、チイコさんだ。とってもきれいで、先生より二十も年下で、背筋がぴんと伸びて、ピシッとしてる。私の憧れの女性である。だからちょっと残念でもある。なんで、松安先生なの?


「チイコさんお久しぶりです。松安先生いらっしゃいますか?」


「ええ、呼んできますから、応接間で待っていてちょうだい」


 私は「おじゃましまーす」と、中に入り、「あっ、これ、おみやげです」とロールケーキ六本をチイコさんに渡した。

「まぁ、こんなに、ありがとう、でも、ちょっと多すぎない?」


「でも、二種類あるんです」


「えっ、ああ、二種類、これってロールケーキよね。ていうことは、二本ずつ? いっぺんに、そ、そうなの、ええ、わかってますよ。そういうこともあるでしょうね」

チイコさんはため息をつきつつ、キッチンの方へ歩いた。








「おそばだったら、駅前のそば屋があるよ。近場で良いんじゃない」


 これである。私と先生は、応接間で机とロールケーキを、はさんで向かいあい。先生に取材先の説明をしていた。


「近けりゃ良いってもんじゃありません。先生の家の近くのそば屋の特集なんて、誰が興味を持ちます。だいたいあそこのそば屋、たいしたこと無いって先生もおっしゃってたじゃないですか」


「そりゃ、別においしいってわけでもないけど、代金分ぐらいはおなかがふくらむよ。そんな遠くに行くぐらいなら、近い方が、ぐっと良いよ。そんな信州の山奥のそば屋なんて、普通の人はいかないよ。あそこならいつでもいける」


「先生はでしょ。普通の人がいけないような、ところだから良いんじゃないですか。引きがあるんです」


「でも、見たって、行けないようなところのおそばを描いてもねぇ」


 言いながら、先生は、ナイフでお皿にのったロールケーキを切り分け、手で掴んで食べた。巻いている方のロールケーキだ。先生は幸せそうに、ふふうんと笑った。


「食べたくないんですか! おいしいおそばですよ。本場信州、十割そば、つなぎなんて使っていません。無農薬有機国産のそばのうまみだけでできているんですよ。おいしいんですよう」


 私は食べ物で釣る作戦に出た。まずはロールケーキで、引きつけ、そばで釣る。ロールケーキは、まき餌のようなものだ。


「十割そばねぇ。別につなぎが入っていてもおいしい物はおいしいよ。あの、なんだね、十割自慢。そば粉を十割使ったからって何さ。作るのが難しいと言っても、味とはまた別でしょ。いくらそば粉十割だって、天ぷら食べたら、おそばと天ぷらの衣の小麦が口ん中で混ざって、七三ぐらいになっちゃうでしょ。そもそも、こだわりのそばってあんまり好きじゃないんだよね。なんか真剣勝負でしょ。取材だなんていったら、お前に、このそばの味がわかるのかって、勢いでせいろ出してくるよ。通にしかわからない味の料理なんて、たいしたこと無いと思わない? 万人受けするのがおいしい料理でしょ。僕は並ばなきゃ食べられない店と、店主がうるさい店は大嫌いなんだ。あと、そういうところに集まってくる人も嫌いなんだよ。ほら、あの、そばを水付けて食べたり、わさびをそばにちょこんとのせて、つゆに全部つけないとか、めんどくさいことする人いるでしょ。そば好きの人のこだわりって、嫌いだなぁ。そばの香りが鼻の中いっぱいに入ったからってなんだって言うのさ。香りだったら、焼き肉の方が、良い匂いだしてるよ。別にどんなこだわった食べ方してもいいんだよ。問題はさ、連中、食べ方をやんわり押しつけてくるんだなぁ。これが正しい食べ方だとか、これがそばを一番おいしく食べるやり方だとか、親切そうに言うんだよ。迷惑なんだよね。僕は薬味一通り全部入れて、つゆに、かきあげひたしながら、じゃぶじゃぶ、つゆにそばを付けて食べるのが好きなんだよ。そばだけ味わったって、おなかが満足しないよ。そばは栄養が薄いからね。おかずがいるよ。やせがまんだよ、そば好きは」


 先生は不機嫌そうな顔をしたが、ロールケーキを食べるとまた、ふふうんと幸せそうに笑った。先生の言うとおり、そば好きの人のこだわりは、理解しがたい面もある。


「先生の嫌いなタイプの、おそば屋じゃないですって、中年の夫婦がやっているほっこりとしたおそば屋さんです。かきあげだってありますよ。ああ、それから、信州牛の取材も入ってます」


 私はさりげなく、牛をささやいた。先生の眉間がぴくりと動く、餌に食いついたな。


「信州牛、どこにでもブランド牛っているもんだねぇ。僕はブランドに引っかかるような人間じゃないよ。牛だったら何でもいい人間だからね。で、何食べるの」


 先生はロールケーキを止めて、ぐっと私を見つめた。


「厚切りのステーキ」


「ほう、基本だね」


「牛タンシチュー」


「おっ、ぬくもるね」


「ビフカツ」


「そう来たか、意外とやってないとこ多いよね。タレは何だろう。とろっとした甘い奴かな、あっさり大根おろし、和風だしも良いよ。カレーをかけちゃったりして、御飯と一緒に、ぐふ。行こう、信州へ」


 成功した。








 青空が広がっていた。


「僕はねぇ。作る側のこだわりは、否定しないよ。むしろ大歓迎だ。でも、食べる側のこだわりは、いらないよ。なんか迷惑なんだよ。なんかね。空気がまずくなるんだよ!」


 先生は怒りをぶちまけた。

 取材先の信州のおそば屋さんで、先生が嫌いな、そば好きのおじさんがいたのだ。別に私たちにああだこうだ言ってくるわけではない。一緒に来た部下らしき二十代の新入社員っぽい男性に、そばの食べ方をああだこうだレクチャーしていたのだ。


「ああ、違うね。こうだよこう、ずずっと空気と一緒にすするんだよ。おいおい、薬味入れすぎだろ。そばの味殺す気か? 香りが逃げるだろ。企画書だってそうだろ。ああだこうだ枝葉の話書くんじゃなくて、まずは一本びしっと、大事なことを書かなくちゃいけないだろ。そばもそうなんだよ。余分なものはいらない。なるだけつゆを汚さずにだな、こう、ああ、なってないなってない。こうだ、こう。やれやれ、きみがそばの味をわかるようになるまで、まだまだかかりそうだねぇ」


 などと言いながらも、そば好きのおじさんは、姿勢良く、ずすっとすすって、目をつぶりそばの香りを鼻の奥で楽しんだ。その席の近くで私たちは、かき揚げと、かやく御飯と、あら汁と、日本酒と、ざるそばを食べていた。


「食べ物ってのは、おいしけりゃ良いってもんじゃない! そんなごちゃごちゃうるさい人の前で、何食べたっておいしくなるわけ無いだろ! せっかくのおそばが台無しだ! 刑務所で看守に監視されながら、あれ食べろこれ食べろって食べ物を食べるようなもんだよ。食通ぶった奴に、上から命令されながら食べたっておいしいわけあるものか! せっかくのおいしい、おそばが台無しだ!」


 先生は拳を振り上げ怒鳴り散らした。確かに私もそう思う。先生の言っていることは超正しい。でもなんで。


「なんでそのことを私に言うんです。あのおじさんに言えばよかったじゃないですか」


 そう、ここは道ばただ。青空の下、信州の山奥、山の中の山道、私たち以外、人っ子一人いない。先生は、おそばと余計なものをたらふく食べて、絵を描き、お店を出た後、しばらくしてから、かんしゃくを起こした。当然先生の近くには私しかいない。


「そんなことしたら、けんかになるじゃないか。客同士が料理をめぐってけんかする店なんて、最悪だよ。せっかくの料理をほったらかして、がみがみ言い合うなんて、最低のマナー違反だ。みんな好きに食えばいいんだ!」


「だから、私に言われても困りますよー」


 秋の風は涼しく、田んぼの稲はそよぎ、歩いているにもかかわらず、不思議と汗一つかかなかった。
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登場人物紹介

松安先生


松安先生


松安先生


梅浜佐奈恵

梅浜佐奈恵

梅浜佐奈恵


梅浜佐奈恵


チイコさん

松安先生の奥さん

加山さん

加山さん

滝山富雄

佐奈恵の彼氏

ちいこさん


梅浜佐奈恵

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