第8話、料理のおいしい喫茶店

文字数 3,346文字

「しかし君、それは少しずるいんじゃないの」


 松安先生がうらやましそうな顔で私を見つめた。

 今日は取材ではない。打ち合わせで松安先生と料理がおいしいと評判の喫茶店に来ている。私はハヤシライスとオムライスとサンドイッチを注文した。先生は、ハンバーグセットとオムライスとホットケーキとチョコレートパフェを注文した。


「いったい何のことを言っているんです?」


「それだよそれ。さっきから、オムライスにハヤシライスのルーをちょびちょびかけてるでしょ。それおいしそうだよね」


 ここの店のオムライスにはケチャップがかかっている。少し酸味が強い。市販のケチャップに何か足して作ったものなのかもしれないが、私の口には少し合わない。卵はとろとろの半熟、中のご飯もべたついて無く、具材も問題ない。肉は、鶏肉ではなく、豚肉を使っている。鶏肉の場合は、皮が気持ち悪いときがあるので、胡椒のきいた豚肉の方がいいかもしれない。ケチャップ以外は満足なので、ためしにハヤシライスのルーをかけて食べてみたのだが、これがなかなか合う。少なくともこのケチャップをかけて食べるよりはおいしい。でも、あまりかけ過ぎるとハヤシライスのルーが無くなってしまって、ご飯だけが残ってしまう。ルーのおかわりなんてできるのだろうかと少し考えていた。


「ええ、おいしいですよ。ずるいって何ですか? 別にどう食べようが私の勝手じゃないですか」


「そうだけどさぁ。ほら、見てよ。僕のハンバーグセットのハンバーグ、これにも、オムライスと同じケチャップがかかっているんだよ。せめて、デミグラスソースにしてくれてたら、オムライスにかけるって手を使えたのにさぁ。そう考えると、なんだか、君がうらやましく思えたんだよ」


 どうやら、松安先生も、オムライスのケチャップがお気に召さないようだ。先生は、細い目をのばし開き、私を見つめた。


「あげませんよ」


 私は冷たくあしらった。


「言うと思ってたよ。まぁ、これはこれでおいしいからいいけどさ」


 そういいながら、松安先生はハンバーグを切り分けた。上に乗った目玉焼きはすでにつぶされ、黄身とケチャップが混じっている。先生は切り分けたハンバーグにケチャップと黄身を絡ませ口に運んだ。私は残ったハンバーグの断面をのぞき込んだ。肉汁が断面からこぼれ、ふわりとした食感とお肉のうまみを想像させられた。ああ。


「やわらかそうですね」


「うん、やわらかいよ。でも、僕はハンバーグの表面の焦げ目とソースが好きなんだよね。柔らかいのって別に興味ないよ。肉汁が好きな人っているけど、肉汁って何なんだろうね。お肉の脂なのかな。僕は肉汁ってそんなに貴重なものとは思えないけどさ、なんだろうね」


「お肉のうまみじゃないですか。肉汁がなかったらかすかすのハンバーグになりますよ」


「それは困るね。でも、ありがたいものでもないでしょ。映画館とかでさ、肉まん食べると例の肉汁が口から落ちて、困るんだよ。肉汁がそんなに貴重なら、たれないようにした方が良いと思わない。ハンバーグを切った瞬間、どばーと出てるでしょ。ケーキ切った瞬間、生クリームが流れ出たら困るでしょ」


「ケーキと肉汁一緒にしないでくださいよ。あふれ出るぐらい肉汁が出てると、おいしそうに見えるんです。欲張りな感じが良いんです。あと、映画館で臭いのきついもの食べないでください」


「でも、肉まんってテンションあがるよね」


「そうですね。中が見えないのが良いんですよ。あと、ぼってりとした重さも、割った瞬間ほわっと、お肉と、いい色したタマネギが詰まっているんですよね」


 松安先生は何度もうなずいた。


「合体してるよね。タマネギと豚ミンチ、それが肉まんの柔らかい生地にしみてるんだよ。ハンバーグって一体感が足りない感じがするね。牛肉が強いのかな」


「香辛料の所為じゃないですかね。肉の臭みを取って肉のうまみをうまく引き出してるんじゃないですか」


「なるほど。でも、このケチャップはやっぱりだめだよ」


 そういいながらも、松安先生はおいしそうに食べた。

 私は、そんな松安先生に負けじと、サンドイッチをほおばった。喫茶店といえばサンドイッチだろう。そう決めうちして頼んだサンドイッチ、切り方は斜め切り、長方形ではなく、具を挟んだ食パンを対角線上に切り、三角形にしている。パンの耳は落としてある。指でつまむと少しひんやりとしたパン生地。サンドイッチの温度は結構重要だ。サンドイッチは、乾いたパンで、水気のある具材を挟むことになる。当然パンは具材の水気を吸う。それを計算して具材とパンを用意しなければならない。焼きたてのパンでは、熱でマヨネーズが溶けて、パンにしみこんでしまう。かといって、時間をおいて、ぱさぱさのパンではおいしくない。ある程度のしっとり感のあるパンでなければだめだ。一口かんでみる。ほんわり感としっとり感を残したパン、しゃっきりとしたレタスに塩味のベーコン、マスタードにマヨネーズ、胡椒がきいた卵焼き、うまみが挟み込まれている。

「ふむ」 


 なかなかおいしい。喫茶店のサンドイッチとして、これは合格点だ。小腹が空いたときにちょうど良い。しかし、個人的には、カツサンドを置いていただきたかった。ベーコンレタスもうまいが、カツサンドの、揚げ物をパンで挟むという庶民的贅沢感、これは是非いただきたかった。冷えたカツサンドも良いが、揚げたても良い。一口食べた後、香ばしい揚げたての衣と肉の弾力に、思わず笑ってしまう。パンという炭水化物で、肉と油を、はさんみこんでいて、これはもう逃げられない。

 私を見つめる松安先生と目があった。いや、少しそれている。目線はサンドイッチに、うらやましそうに私が食べてるサンドイッチを見ている。きっと味を想像してるんだ。私は、さもうまいという顔で食べてやった。

 先生がハンバーグとオムライスを食べ終わった頃をみはらかって、店員さんがホットケーキとチョコレートパフェを持ってきた。店員さんは少し迷ったような表情を見せた。


「あっ、二つとも僕だよ」


 先生が言った。

 テーブルに置かれたホットケーキを見て驚いた。分厚い。三枚重ねとかじゃなくて、一枚でこの分厚さ、シフォンケーキみたいだ。家でホットケーキを作ると、薄っぺらくなってしまう。熱したフライパンを、いったん外し、ふきんの上に置いて少し熱を冷まし、ホットケーキミックスをといたものをフライパンにたらす。後は我慢の連続だ。弱火で、生地がふつふつとなるまで待って、ひっくり返してふたをして待って、我慢できなくて強火で焦がすか、生焼けのまま食べてしまう。そんなホットケーキが、この分厚さで出てくる。一体どうやったらこんな分厚いホットケーキを作れるのだろうか。先生は軽くナイフとフォークを鳴らし、ホットケーキに切り込んだ。溶けかかったバターに蜂蜜が絡み、それが切り分けられたホットケーキに流れ落ちる。中の生地もしっかり焼き上がっている。松安先生、それをフォークで、はむり。


「ほほ」


 松安先生は満足げに笑った。おいしいんだー。まさか、ホットケーキにこれほど惹かれるとは、うかつだった。


「どうですか」


 私は身を乗り出して聞いた。机のきしむ音がする。


「おいしいよ。ふんわりとしててね、少しもちもち感があるよ。蜂蜜とバターが混ざって、甘ほんわりしてるよ」


 それから先生は、チョコレートパフェをスプーンでついばんだ。三角錐の細長い透明なグラスから、アイスとチョコが複雑に入り交じって見える。上に乗っかった生クリームと一緒に、長いスプーンでそれを、掘り出しながら食べる。冷えたアイスにチョコレートが固まり、さぞパリッとしているであろう。松安先生はホットケーキとチョコレートパフェを交互に食べた。好きなものを同時に食べるって、いいですよねぇ。


「先生、そろそろ、仕事の打ち合わせをしましょう」


 私は本来の目的を果たすことにした。


「いいよ」


「次の取材ですけど、どうしましょうか」


「どこでもいいよ、君にお任せするよ」


「そうですか。じゃあ、仕事の話は終わりにして、追加注文をしますか?」


「いいねぇ、僕はハヤシライスが食べたいね」


「じゃあ、私はホットケーキを生クリーム乗せで」
 頼んだ。
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登場人物紹介

松安先生


松安先生


松安先生


梅浜佐奈恵

梅浜佐奈恵

梅浜佐奈恵


梅浜佐奈恵


チイコさん

松安先生の奥さん

加山さん

加山さん

滝山富雄

佐奈恵の彼氏

ちいこさん


梅浜佐奈恵

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