第3話 水の従者

文字数 2,812文字

 政府関係機関に所属する担当者となれば、厳めしく堅苦しい人を想像する。ところが、現れたのはロックバンドでもやっていそうな若い男性。おまけに手土産のお菓子は購入したものではなく、彼の手作りだと言うのだから、色々意外すぎて理解が追い付かない。

 スポンサーとの顔合わせは、ビジネスの会合というより、お菓子を食べながらのお茶会と化した。くるくる巻かれたその見慣れない焼き菓子は、さくっとした食感でとても美味しい。
 もっとも和気あいあいとは程遠く、来さんも視矢くんもむすりとした顔でお菓子を口に運んでいた。

「北欧のお菓子なんですね。クル……何でしたっけ」
「クルムカカ。気に入った?」
「はい」

 満面の笑顔で返す私に、ソウさんは引き結んだ口元を緩めた。髪の色のせいもあり、一見冷たい印象を受けるが、思いの外優しそうに笑う。
 TFCの本部はノルウェーにあり、勤務で二年間現地に滞在していたとのこと。事務所の後ろ盾が大規模な組織だとは知っていたものの、なぜ遠く離れた北欧のノルウェーが本拠なのか不思議な気がした。

「観月に、俺のことは話してないのか」

 私の方を一瞥して、ソウさんが盛大に溜息を吐く。

「小夜には不要な情報だ」
「仕事は今まで通り、俺と来で片付ける。小夜に手出すんじゃねえ」

 来さんは無愛想に答え、視矢くんも隣に座った私の前に片腕を伸ばしてガードする。

「高神はともかく、司門まで嫉妬するとはな。随分変わったものだ」

 ソウさんはくすりと笑って、長い指で白い前髪を掻き上げた。正真正銘の白髪で、ヘアカラーやブリーチではないと言う。白髪になった理由については、多分私が聞いていいことじゃない。
 人当たり良く接していながら、飄々としたソウさんの振舞いは内面に触れられるのを拒んでいるようにも感じられた。 

「自己紹介から始めるか。俺はTFCの一員で、この度また事務所の担当に戻った。TFCについては、知ってる?」
「あ、はい! 来さんから聞きました」

 何気なく見つめてしまっていたタイミングで目が合い、あたふたする。こちらの動揺をどう受け取ったのか、ソウさんは幾分口調を柔らかくした。

「俺の呼び名は、ソウ。それから、敬語は使わなくていい」
「はあ……」
「ソウ! 小夜にちょっかい出すのはやめろって」

 視矢くんがソファから腰を浮かし、敵対心も露わに突っ掛かる。すると穏やかだったソウさんが凍り付く視線で視矢くんを射抜いた。底の知れない表情の冷たさに私の体にも震えが走る。

「話が進まない。私情を持ち込むな、高神」
「チッ……」

 舌打ちした視矢くんは、面白くないと言わんばかりにソファの背にどかりと身を沈めた。
 視矢くんがソウさんを嫌う理由が、なんとなく分かった。直情的な視矢くんとは馬が合いそうにない。とはいえ視矢くんだけでなく、来さんもソウさんに好意的な感情を持っていないので、性格の不一致だけが原因ではなさそうだ。

「今日の訪問は、挨拶だけではないだろう。あなたが日本に戻った理由と関係しているのか」
「さすが鋭いな、司門は」
「ありがとう」

 無表情にお礼を言う来さんの天然ぶりは、相変わらず。ソウさんはくっくっと喉の奥で笑った後、私に確認を込めて聞いた。

「今朝、水道の水が止まらなくなったろう」
「あ、はい」
「敬語なしで」
「……うん」

 ほぼ命令に近い感じで、敬語なしの受け答えをする。
 
「水の従者が、きみのアパートで悪さをしてた。そのせいだ」

 子供の悪戯を話すように軽い口振りでソウさんは肩を竦めた。
 今日の水のトラブルは従者の仕業。そう聞けば、以前目にした恐ろしい姿が再び脳裏に呼び起される。異臭を放つブヨブヨとした黒い異形は、元は人間だったモノ。
 児童公園でそれを見た私は、命を狙われた。また襲われるかもしれないという不安が心の中に広がっていく。

「大丈夫。きみを殺そうとしてるわけじゃない。従者も、ナイアーラトテップが怖いからな」

 私の顔色を見て、ソウさんが言い足した。おばけ公園の一件は来さんがTFCへ報告を上げているので、事の経緯を調べたに違いない。ナイのおかげで、今も私は従者から守られ普通に生活していられる。

「現在、水の神性が活発になってる。あちこちで従者が目撃された」
「……どうして水の従者が……。クトゥルフが、復活するのか」

 視矢くんは俯いて膝の上で手を組み、温度のない声で尋ねた。普段の明るさと打って変わって、その表情は怒りと憎しみに彩られていた。こんな視矢くんは初めて見る。
 ソウさんは、調査中、と短く告げてお茶を啜った。

「しかし、なぜあなたが動く? わざわざノルウェーから帰国してまで」
「上からの辞令。まあ、栄転とは言い難いが」

 唇を噛み締める視矢くんに代わり、来さんが話を引き継いだ。冗談めかして答えるソウさんに、来さんはありきたりな答えでは納得できないと言いたげに質問を重ねる。

「なら、あなたは私たちに何をさせたい」
「いつも通り、従者の警戒」

 言葉と同時に、ソウさんがテーブルの上に何枚かの写真とファイルを置いた。

「リストアップした警戒箇所だ」
「こんなにあるんかよ」

 勢い込んで視矢くんはファイルを数枚めくり、眉間に皺を寄せた。横から覗き込むと、従者の潜伏場所として警戒が必要な地点は十ヵ所以上。これだけの従者が一度に動くなら、邪神の力が流れ込んでいる可能性が高い。
 現在ほとんどの邪神は幽閉されている。信者が邪神復活を目論んでいるそうだけど、本当に水の邪神クトゥルフの復活の兆しなのか、その点はスポンサーもまだ把握しきれていない。

「ここ、いつも大勢人がいる公園だよ」

 私は警戒場所のリスト上位に挙げられた項目を驚いて指差した。近隣の人気スポットの漆戸良(うるしとら)公園。敷地が広く、緑に囲まれた遊歩道は気分転換に最適で、私もよく行く場所だ。

「夜中に公園をうろつくのは、野外プレイが好きなカップルぐらいじゃないか。寒空の下でできるなら、だけど」

 不意に際どい単語を口にされ、かっと顔に熱が集まる。従者の活動時間帯は、昼間ではなく夜。つまり、昼間なら公園に行っても問題ないという意味。だとしても、もっと違う言い方をしてくれればいいのに。
 赤くなった顔を伏せる私の向かいで、ソウさんは面白がるような笑みを浮かべていた。

「司門には記憶消去を頼みたい。今後も従者の目撃者は増える」
「……了解した」

 来さんは仕方なくといった様子で、申し出を受け入れた。スポンサー直々の依頼だというのに、あからさまに疑念をぶつけている。ソウさんの真意を推し量ろうと、来さんは何度も言い方を変えて質問を投げ掛け、ソウさんはその都度上手くはぐらかす。遠回しな言葉と言葉の応酬に、見ているこちらもなんだか気疲れしてしまう。

「腹の探り合い。頭のいい奴同士ってのは、これだから嫌なんだ」

 私の耳元で視矢くんがこそりと囁く。激しく同意し、私はこくこくと首を縦に振った。
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