第6章「竜宮」(1)

文字数 6,556文字

「やあっ!」
 朝の清浄な空気の下。ミナトの声が響き渡り、ミナトがエスリンに剣の峰を向けて振り下ろした。
「はっ!」
 エスリンは難なくミナトの攻撃をかわし、鋭い爪の生えた足を高く蹴り上げた。爪の先がミナトの顔に直撃した。
「いってエ~~~!!」
 ミナトは頬を押さえて倒れ込んだ。
「ご、ごめんなさい!手加減したつもりだったんだけど…。」
 ミナトはエスリンを相手に修行をしていたのだった。
「ふん。こんなの全然平気!どうってことないよ。」
 ミナトは頬から手を離し、立ち上がったが、頬は血まみれだった。
「強がらなくていいわ。さ、治してあげるから座って。」
「つ、強がってないって!」
 だが、ミナトは痛そうに顔をしかめていた。
「もう…。」
 エスリンは強引にミナトを座らせて、頬の手当てを始めた。エスリンがミナトの頬に手をかざすと、温かい光がミナトの頬に当たり、傷がだんだん小さくなり、消えていった。
「へーえ。あの時もこうやって治したのか?」
「ええ。」
「便利な力を持ってるんだな。エスリンは。俺なんか、王の力を失くしたらまるっきり弱くなっちまって…。ま、元々持ってた神の力が弱かったのかもしれねーけど…。」
「でも、ミナト様は腐っても水の神でしょう。修行を積めば、剣だけでなく、水も自在に操れるようになると思うわ。つまり、今まで修行が足りなかったってことね。遊んでばっかりで。」
 ふふっとエスリンは微笑んだ。
「ち…嫌なこと言うなあ…。でもこれからはどんどん修行して強くなってやる!ヨミトにかなうようになるまで…そして、姉上を助けるために…。」

 既に月の国を出て、海の国の辺境の町に来ていたミナトたちは、煉獄からの追手を警戒して、町の外で野宿していた。しかし、追手の気配はなく、数日が過ぎても何事も起こらなかった。
「町に入っても大丈夫そうだぜ。」
 二人が町に入ると、町民の視線が集中した。人々は、驚いたように立ち止まり、呆然と二人を見ている。ミナトたちの姿は、人間とは明らかに異なり、目立っていた。髪の色や姿だけでなく、全身から放たれているオーラのようなものが、誰の目にも見えていた。
「神様…!」
 誰からともなく、人々は大地にひれ伏し、ミナトたちは平伏した人々に囲まれた。
「な…何だ?」
 ミナトは戸惑った。
「神様ですね?」
「ああ。そうだけど。」
 人々はすがりつくような顔をした。
「ああ!神様!お願いがあります。」
「神様!どうか、怪物を倒して下さい!町の近くの洞窟に、凶暴な怪物がいるんです!最近になって棲みついたようで…。奴がいつこの町を襲うかと思うと、安心して眠ることも出来ません。」
「どうかお願いします!」
 町民は一斉に大地にひれ伏し、頭を地面に擦り付けた。
「よし、分かった!俺が退治してきてやろう。」
 ミナトが、胸を張って言った。
「ミナト様…!」
 不安そうにエスリンが言ったが、ミナトはやる気に満ちていた。
「いいじゃんか。腕試しに丁度いい。どんだけ俺が強くなったか試すいい機会だ。」
 ミナトとエスリンが町を出て行くまで、ずっと町民は平伏したままだった。

「もう。すぐ調子に乗って!」
「別にいいじゃんか。人助けするんだからさ。」
 ミナトたちは、町の近くの洞窟の入り口に来ていた。
「えーと、町の人の言ってた通りなら、この奥に怪物がいるんだよな。エスリン、援護を頼むぜ。」
「はあ…。」
 エスリンはため息をついた。
 ずんずん奥へ進んで行くミナト。洞窟はほぼ一本道で、迷うことはなかった。灯りになるような物はないが、エスリンの体から発する光が灯りとなって、暗い洞窟の中を進むことが出来た。
 そろそろ休みたいと思った頃、急に開けた場所に着いた。
「ゴオオオオ…。」
 低い大きな唸り声が洞窟中に響き渡った。
「あいつか!」
 広い場所の奥の方に、何かが横たわっていた。大きさは、人間の五倍くらいはありそうだった。全身を鱗で覆われた銀色の体をしており、頭には赤い触角のようなものが長く伸びていて、背中には白い翼が生え、手足には鋭い爪が生えている。美しい白銀の竜だった。
(何だ…お前らは、人間じゃないな…。)
「え!?」
 ミナトたちの頭の中に、若い男の声が聞こえた。どうやらあの怪物が話しているらしい。
(神か。もう一人は精霊…。久しぶりだな。会話の通じる奴に会ったのは…。)
「お前だな!人間を苦しめている怪物ってのは!」
(何か勘違いしてるみたいだな…。まあ確かに怪物って言われても仕方ないけどね。でも人間が勝手に俺を見てびっくりして逃げていったんだ。苦しめているつもりはなかったんだけど…。)
「え?そうだったのか?でも何だってこんな所にいるんだ?お前の住処は他にないのかよ?」
(…あるにはあるけど…もう戻れないんだ。)
「どういうことだ?」
(俺は竜人族なんだ。)
「竜人族って…竜に変身する種族だったよな。普段は俺たちと同じ人型で…。」
(ああ。だけどもう人型には戻れないんだ…。竜の珠を失くしたから。)
「それがないと人型になれないのか?」
(竜の珠は、俺たちにとって大事な物だ。それを使って竜に変身したり、元に戻ったりする。でもそれがなければ、竜に変身することも、人型になることも出来なくなる…。)
「探しても見つからないのか!?」
(兄貴に取られてしまったんだ。取り返すことは出来ないだろうな…。)
「兄貴に!?何で兄貴が…!?」
(お前にそんな話したって無駄だし、話したくない。とにかく、町の人に伝えてくれ。俺は人間を襲う気はない。安心しろって。)
「そこまで聞いて黙っていられるかよ!人間より、お前の方が苦しんでんじゃねーか!訳を聞かせてくれよ!俺が力になるからさ。」
(暑苦しい奴だな…。)
「俺も…兄に泣かされたからさ…そんな話聞いて、無視なんか出来ない!」
(分かったよ…。じゃあ話してやる。俺は竜人族の災いなんだ。だから兄貴が皆を守るために、俺の竜の珠を奪って力を封じ込めたんだ。だから俺は一族を離れてここに来た。そういう訳だ。)
「…災い?」
(俺がいるとよくないことが起こる。だから兄貴は悪くないんだ。皆を思ってやったことだ。)
「ほんとーか?なんか変じゃねーか?何でお前がいるとよくないことが起こるんだよ。それって、兄貴がお前に嫌がらせしてるだけじゃねーのか?」
(…竜人族には、ある言い伝えがあってな。それを兄貴は信じてるんだ。白銀の竜が、災いをもたらすと。)
「他の奴もそれを信じてんのか?」
(いや…。)
「だったら、話は簡単だろ!兄貴をぶっ飛ばして、竜の珠を取り返せばいいじゃんか!」
(そんなことは出来ないよ。兄貴と争うなんて。)
「元の姿に戻りたくないのか!?」
(そりゃあ戻りたいよ。でも兄貴と争うのは…。)
「時には争うことだって必要な時もあるんだ。逃げてばかりじゃ何もならない。俺も一緒に行くからよ!兄貴を説得して、何とか返してもらおうぜ。」
(…俺の名はシーロン。お前は?)
「俺はミナト。こいつはエスリンってんだ。」
(エスリン…。)
 シーロンは、大きな赤い目でエスリンを見つめた。
「じゃあ早速、町の人たちに事情を説明したら、兄貴の所へ行こう!」
 ミナトたちは、大きな竜の姿のシーロンと共に洞窟を抜け出した。

「ひいいい!」
 ミナトたちの後ろにシーロンの姿を見つけた町民は、震え上がった。
「大丈夫!こいつは怪物なんかじゃねーんだ。悪さはしない。それに今からここを出るから、もうここへは戻って来ない。安心してくれ。」
 震えている町民たちを後にして、早々にミナトたちは町を出た。

「で?兄貴のいるとこってのはどこなんだ?」
(海底にある、竜宮だ。そこは俺たち一族の住処。)
「竜宮か…また行ったことない所に行くのか…。」
 ミナトはちょっと楽しそうだった。
(俺の背中に乗れ。)
 ミナトたちはシーロンの背中に乗った。
 シーロンは大きな白い羽を羽ばたかせて空に舞うと、海を目指して飛んで行った。
 眼下に海ばかりが広がる場所へ出ると、シーロンは言った。
(しっかりつかまってろ。)
 そして、体を回転させながら海へと急降下していった。

 ぐるぐる視界が回っている。頭がくらくらする。
 ミナトはぼんやりと倒れ込んでいた。
(大丈夫か。着いたぞ。ここが竜宮。)
 ミナトはゆっくりと立ち上がった。シーロンの横にエスリンが立っていた。
「竜宮…。」
 海底にあるはずなのに、空気があり、下は白い砂、上を見上げると青い半透明の膜のようなものが屋根のように竜宮全体を覆っており、その上を魚が泳いでいた。遠くには、山が見える。
 竜宮の入り口には大きな赤い門があり、入り口を進むとずっと上の方まで緩やかな坂が続いていた。坂の脇には赤や緑の建物が建っており、坂の頂上には城のような立派な白い建物が見える。その後ろには、白い岩肌の露出した断崖絶壁がそびえ、山脈が連なっている。
「シーロン様!」
 一人の竜人が駆け寄って来た。彼は鱗で出来た衣服を着ており、耳の先端は尖っていて、額の上部からは黄色い触角のようなものが長く伸びていた。左右の肩甲骨の上には、小さな突起のようなものが張り出していた。鱗の服と、頭の触角が人型の竜人の大きな特徴らしい。
「竜の珠が見つかったのですか?」
(いや…。)
「そうですか…。私どもも探しているのですが、これといった手がかりもなく…。」
「何言ってんだよ!シーロンの兄貴が持ってんだよ!」
 ミナトが言った。
(おい…余計なことを言うな!)
「え!?この方はもしや…神…?何故神がここへ…?」
「シーロンに協力しに来てやったんだ。兄貴はどこだ!」
「クーロン様を探しているのですか…?しかしクーロン様がシーロン様の竜の珠を持っているとは…。」
 次第に周囲がざわめき、人々が集まって来た。
「シーロン様!一体今までどこへ行っていたんです!」
「竜の珠はどうなりました!?」
 皆、ミナトやエスリンそっちのけで、シーロンにまとわりついていた。
「へー。なんか人望ってゆーか、人気あんだな。結構偉い奴なのかな。」
「シーロン様…。」
 群衆から少し離れた所から、シーロンをじっと見ている竜人の女性がいた。明らかに高貴と分かる服装で、青くて長い髪を腰まで垂らし、触角も青く、目も青い。非常に美しい容姿だった。
 その女性の視線に気付いたシーロンは、目を閉じて一礼した。
「何だ?」
 ミナトはシーロンを見上げた。
(いや…何でもない。行こう…兄貴の所へ。)

 派手な赤と金に装飾の施された建物。ぎらぎらと光り輝いている。
 その毒々しいまでの派手さに、ミナトとエスリンは度肝を抜かれた。
「ここに兄貴が住んでんのか!?」
(ああ…。前は俺も一緒に住んでた。)
「え!?じゃあ、これって誰の趣味??」
(…兄貴だよ。)
 部屋の中に入っても、誰もいなかった。
「留守か。せっかく来たってのに…しかし派手だなあ…。」
 ミナトはきょろきょろと部屋の中を見回していたが、ふと思いついたように、ニヤリとした。
「…これって、チャンスじゃねーか?今のうちに、竜の珠がどっかにないか探せば…。」
(無駄だ。兄貴はこんな分かりやすい所に隠したりしない。)
 仕方なく、ミナトたちはクーロンの家を出た。家の前で待っても、クーロンは来なかった。
(…せっかく竜宮へ来たんだ。竜王様にお会いになるといい。)
「竜王?」
(この竜宮を治める方だ。これでも一応、俺は竜戦士だから、顔がきく。王もお会いして下さるだろう。)
「…でもさ、なんか俺のこと知ってたりしないかな…。」
(何を?)
「いや…悪い噂とか…。」
 ミナトは、煉獄に送られた一連のことを気にしていた。いくら無実とはいえ、それが知られていたら、煉獄に送り返されかねない。
(…安心しろ。竜王様は、噂や見かけで人を判断したりしない。心で判断する。それは竜人族皆が持っている考えだ。俺はお前を信用している。だからこそここへ連れて来た。)
「そっか…。」
 それを聞いて、ミナトは安心した。

 竜宮に高くそびえる竜宮城。
 白く輝く美しい城だった。
(お久しぶりです。竜王様。)
「おお、シーロン。よくぞ来た!」
 竜王は、温かくシーロンたちを出迎えた。
 竜王は、青くて長い髪の毛を後頭部の高い所で一つにまとめて垂らし、目も青く、触角も青い。ミナトが思っていたよりも若く、端正な顔立ちをしていた。堂々とした体格で背が高く、竜の鱗で出来た服の上に白いマントを羽織っていた。
「その者たちは…。」
(水の神・ミナトと精霊・エスリンです。私の友人です。)
「初めまして、竜王様。」
 ミナトとエスリンは深く頭を下げた。
「そうか…君がミナト…。噂は聞いているよ。」
 ミナトはぎくりとなった。
「天界に、大洪水を起こしたそうだね。あははは。面白い子だ!」
 竜王は、楽しそうに笑った。ミナトはほっとしたが、すこしむっとした。
「そういえば、姫には会ったかね。お前がいないと寂しそうだ。是非会ってもらいたい。」
(はい…。)
「…ところで、ミナト殿。我々竜人族は世俗から離れているため、現在の地上の状況をあまり詳しくは知らんのだが…、何でも、地上に太陽が昇らなくなったとか…。」
「はい…俺たちは何とかしてそれを救うつもりなんです。」
 竜王は、ミナトたちの顔を見て、事情をある程度察したようであった。
「…そうか。残念ながら、私には力になれないが…。誰か竜戦士を連れて行けばよいだろう。彼らは頼りになる。」
 竜戦士とは、竜人族でも戦闘能力の高い者たちのことであり、竜宮を魔物などから守っていた。シーロンも竜戦士であった。
「竜王様!」
 突然、バタンと扉を開ける音がして、ミナトたちは皆驚いてその方を見た。
 そこには、赤い髪をした鋭い目つきの青年が立っていた。
「貴様…!シーロン!何故お前がここに!竜王様、こいつは危険人物です!竜王様のお命を狙っているのです!」
 赤い髪の男は、激しい目でシーロンを睨んだ。男の着ている鎧は、金色にびかびかと光っていた。
「何を言うのだ、クーロン。シーロンがそのような心を持っていないことは分かるだろう。何故そのようなことを言うのだ。」
「やっぱりあいつがシーロンの兄貴…!」
 ミナトは男の派手な服を見て頷いた。
「私は誰よりも竜王様のことを思っています。私を信頼して下さい。シーロンは竜王様に取り入って、王の座を狙っているのです!災いの竜なのです!」
「馬鹿なことを。クーロン、目を覚ますのだ。」
 竜王は諭したが、クーロンはシーロンを睨み付け、剣を抜こうとした。
(兄貴…。)
「やめて!!」
 そこへ、先程群衆の片隅でシーロンを見つめていた女性が入って来た。
「姫様…。」
 クーロンは、剣から手を離した。
「どうしてあなたはシーロン様をそんなふうに…。シーロン様はそんな方じゃない…。」
 姫と呼ばれた女性は、その場に泣き崩れた。
「クーロン、下がりなさい。今は、この方たちと話していたのだ。」
 竜王に言われ、渋々クーロンは立ち去った。
「あっ!クーロンを追いかけないと!」
 ミナトは走り出した。その後をエスリンも追いかけて行った。
(では、竜王様、姫様、私はこれで…。)
 シーロンは一礼して、その場を去ろうとした。
「待って!」
 姫が、シーロンに向かって叫んだ。
「またどこへ行くのですか?竜の珠を探しに…?私もついて行きます。」
(姫には関係のないことです…失礼します。)
 シーロンはわざと突き放すように言い、その場から去った。
 泣き崩れる姫を、竜王が慰めるように抱きしめた。

「おい!クーロン!」
 ミナトはクーロンに向かって叫んだ。
「…何だお前は…。」
 クーロンは振り返り、ミナトを睨んだ。
「お前、シーロンの竜の珠を盗んだんだろ!返せよ!」
「何のことだ?」
「とぼけるな!シーロンが困ってんだ!早く返せ!」
「何故赤の他人のお前がそんなことを?」
(こいつらは俺の友人なんだ。)
 後から追いついて来たシーロンが言った。
「ふん。こんな奴らを連れて来てどうなる。絶対に返さないからな。」
「あーやっぱりてめえが持ってんじゃねーか!」
 ミナトは大声を出した。
(ミナト…ここはお城だよ。)
 シーロンがミナトをたしなめている間に、クーロンは走り去って行った。
 その後を、ミナトたちも追いかけて行った。
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