プロローグ その1

文字数 3,582文字

 久しぶりに日本の土を踏む。何年ぶりだろうか。五年、か。今までの人生の内の三分の一ほどだ。しかし、今の俺にはその五年が全てだった。
「五十住葵だな。私はサンクティオ社の軍事部門、護衛部部長だ。コードネームは《崩月》で、こちらは私の秘書アンドロイドの白木」
 護衛部? アンドロイド? 聞き慣れない言葉の連続に加え、俺とはあまり関係の無さそうな所に思える。それよりも崩月と名乗った女性は長く綺麗なストレートヘアーを腰まで伸ばしている。きりっとした瞳にはカリスマ性を、立ち姿からは威圧感を感じ隙は一切ない。崩月さんの右手前に不思議な気配を持ったショートカットの女性が立っている。秘書と言うよりは護衛と言う印象を受ける。
 しかし、何故だろう目の前の女性にこう、胸の奥で何かを感じている自分が居る。
「はい。サンクティオ上海支社から日本へ行けと言われて帰国したのですが、差し支えなければ用件を伺ってもよろしいでしょうか?」
 崩月さんは首を横に振った。続くようにショートカットの女性が一歩前に出た。
「崩月様の秘書兼護衛の私、白木文香が車内にてお教えしましょう」
 白木を先頭に崩月さんと並んで後をついていく。
 足横に置いてあった小さな鞄を掴んだ。これから日本に住むのには身軽すぎる。しかし、中国で暮らした五年は寺院での生活だった。そして、それは俗世とは隔絶された様な世界での生活だった。そんな俺でもサンクティオ上海支社との関係は何となく理解していた。
 文明的な世界に足を踏み込むとなんだかそわそわする。
「葵君、山奥に居たからと言ってあまりキョロキョロしない方がいいわ。サンクティオは国内、国外問わず敵が多いのだから。それに貴方はサンクティオ社員という自覚も持ちなさい」
 言われ、ハッとして居住まいを正す。
「細かい話は車で聞いてもらうとして、葵君には高校に通ってもらいたい。あぁ、君が今まで学校に通っていない事は分かっている。文香、予定変更だ。彼には私のオフィスに来てもらう」
 白木は手にしていた何らかの端末を操作しながら返事をした。
 知らない物に知らない事が多い。普段の生活よりも情報量が多いが、不思議と頭痛は起きない。
「学園はどうしましょうか? 今日の夕方にでも?」
「いや、他の一年生と一緒にバスで向かって貰おう。その方がいいかもしれないからな」
 崩月さんは頼れる女性と言う印象を感じさせる。だが、一部の動きに違和感が存在しないことに違和感があった。秘書の白木さんはピリピリとした空気を漂わせ、目が合う度に背筋に電流が走るような気分を味わう。
 空港外に停められていたごつくて黒い車に案内され、言われるままに乗り込む。車内は広く、それでいて非常に落ち着いた色遣いが余計に俺を緊張させる。
「今回入学する生徒の内、サンクティオから派遣される生徒は君を含めて三人だ。学園内でちょっとした臨床試験を行っているから、何か起きた時のバックアップ要員にな。私個人の想いとしては君を含めた三人には学園生活を楽しんでもらいたい。たまに仕事が回ってくるかもしれないが、その時は働いてもらうけどね」
 崩月さんの話が終わると白木さんが端末に目を遣りながら話を続ける。
「今回、貴方にやって頂くことの一つは崩月様が先ほど説明された通りです。もう一つは我が社の新薬の臨床試験を受けてもらいます。分かっているとは思いますが、貴方に拒否権はありません」
 俺にはサンクティオ社に逆らう理由も逆らえる理由も無い。そもそも、逆らおうという気すら起きないのだ。逆らえば生きる事が難しくなる事は考えなくても分かる。飼われているという表現で合っているだろうか?
 向かいに座っている崩月さんの表情が一瞬曇った様に見えた。崩月さんは俺の視線に気が付くと直ぐに表情を元に戻して微笑みかける。
「学園に通っている他の子は女子生徒ですので、紹介する必要は無いと思ったのですが、同僚の顔を知らないと連携が取れないでしょうから、貴方の携帯端末に情報を送っておきます」
 携帯端末?
「まさかと思うが、えれフォンも知らないのか?」
 崩月さんがやや困ったような表情を浮かべる。
「すいません。俺、電化製品とか使った事ないんですよ。でも、もしかしたら幼い時には触った事があるのかもしれませんが」
 崩月さんの目に優し気な色が浮かぶ。
「問題は無いわ。使い方も教えるし、操作は直感的に出来る様になっているからね。でも、幼い時にとはどういう事なのか聞いてもいいかな?」
 聞かれて困る事でも無いが、上から聞かれた事には答えなければと何処からかそんな声が聞こえる気がしている。
「いいですよ。俺、中国に渡る前の記憶が無いんですよ。でも、寺院での生活はそれが良かったのか、不安も不平も抱かなかったんですけど。でも、可笑しいですよね? 物心着く前ならまだしも、十歳の頃の記憶も無いなんて」
 崩月さんが眉根に指を乗せる。
「すまない。他人である私が聞いていい話じゃなかったわね」
 スモークの掛かったガラスから見える景色に変化が起きていく。町の中心に向かっているのかビル群、鏡の様な窓ガラスの建物が増えていく。
「汚くてごみごみした町だ。表面的には綺麗だが、その内側は醜くおぞましい。まぁ、私もそれを担っている一人だがな」
 崩月さんの伸ばした手が一瞬透けて見えた。
「超能力者、魔物、サイボーグにアンドロイド。後者二つは何年ほど前からだったか? しかし、前者二つはここ五年ほど前から出て来た。これらは世界の有り様を変えてしまった。サンクティオはこれらの能力を持つ者、それからそれらに№を与え、飼っている」
 スモークガラスを通して窓の外を見る瞳は少し寂しそうだった。けど、そう思うのはきっと失礼な事だろう。
「崩月様、少し話し過ぎでは?」
 白木さんは崩月さんに意見をしたが、苦笑いで応える程度で聞く耳を持たない。
「彼は私の下に入る。それに組織からは出る事はしないでしょう」
 白木さんは少し困った様な表情を浮かべ、直ぐに俺を睨み据える。
「君は知っているか? 夢の世界実験と言う物を。多くの者は知らないがな。私の身内がその時にやらかしてな。こうして、組織の一員として馬車馬の如く働かされているというわけだ」
 白木さんは崩月さんの発言に目を白黒させている。それが少しおかしくも可愛らしいと思えた。
「五十住、私の顔におかしい物でも?」
 殺意の籠った何かが俺を貫いたような気がした。まるで本物の人間だが、しかし、違和感が付いて離れない。
「あや、止めなさい。貴女が本気を出したら相手にならないでしょう? それに彼にはまだ可能性が残されているわ。そんな彼に危害を加えたら私では貴女を庇う事が出来ないわ」
 白木さんが怒られた犬の様に丸くなる。
「もう少しで支社に着くわ。話が終わったら貴方の部屋も案内しましょう。欲しい物があったら何でも言ってね。貴方は俗世から離れていたそうだから色々と分からない事も多いでしょうし」
 一つ疑問に思うことがあったので手を挙げる。
「あら、葵君。何か?」
「関係の無い事ですが、崩月さんの足はもしかして義足ですか?」
 少し驚いた表情を崩月さんは見せた。
「良く分かったわね。確かに私の足は両足ともに義足よ。でも、別に事故だとかそんな事じゃないの。男だらけの中で更に戦いで結果を残すのってこういう覚悟がいるのよ。力じゃ勝てないから技術を磨く。けど、それにだって限界はあるの。だったら、こうでもするしか無いのよ。私の力を無くすことなくサイボーグ化するのはちょっと大変だったけど」
 白木さんが嫌な顔を見せた。嫉妬の様な物だろうか。
「崩月様、いくら何でも話し過ぎでは?」
 崩月さんは首を横に振る。
「私の身の上話はついでよ。強制されているとは雖もこの世界に入る事への覚悟を説いているの。今や治安の良い国なんて無いわ。表面上はそう見えていてもサンクティオが口止めしている事件も多いわ。巷では切り裂き魔なんてのも出ているし、超能力者や違法サイボーグ化手術を受けた者による事件も増えているわ。お隣の上海支社では九龍城との抗争だってやっている」
 九龍城(クーロンチァン)は中国の寺で暮らしていた時に時々聞く名前だった。サンクティオ上海支社は中国マフィアと何を争っているか分からなかったが、今ならば少し分かる気がする。
「魔都上海なんて聞きましたね。俺は山奥の寺で生活してたから実感としては殆ど無いけど」
「そうか。あの寺も上海からそう遠くは無かったからな。私も一月ほど中国の寺に世話になったな。直ぐにやる事が無くなってしまったが」
 崩月さんは何かを思い出すように目を細めている。
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