第46話 商人魂・職人魂
文字数 2,248文字
清那の家を辞した麗射は病み上がりの身体を叱咤して美蓮のいる工芸科の工房に向かった。夏の休暇でがらんとしているはずの工房は、すでに何本もの木が運び入れられて学生たちが汗だくになりながら成形を行っていた。
「波州産の最上級木材だ。問屋に在庫があったのを買い占めてきた。樹脂が多くて水を吸いにくいのに、まるで羽衣のように軽くて、しなやか。こいつの頭金で瑠貝の金はすっかり使い果たしてしまったぜ」
通常使う事の出来ない高級資材に高揚しているのか、美蓮は上気した顔で麗射を出迎えた。歩くたびに服からぼろぼろと木くずが落ちる。
「大小一つずつ、二艘ほど作る予定だ。三日も徹夜すれば完成にこぎつけるだろう。ところで金の工面はうまくいったのか」
「ああ、何とかなりそうだ」
麗射は浮かない顔でうなずいた。洪水が起こる可能性が高い砂漠に銀の公子を連れていく、その是非を彼はまだ悩み続けていた。
「じゃあ、さっそくだが工面した金でこれを払ってきてくれ」
美蓮はポケットからごそごそと請求書を出すと麗射に渡した。そこには麗射が見たこともない高額な数字が書かれていた。
「瑠貝ができるだけ値切ったんだが、まだその値段だ。あとは任したぞ」
そう言い残すと美蓮は嬉しそうに鼻歌を歌いながら工房の奥に戻っていった。
結局、麗射は銀の公子の厚意に頼らざるをえなかった。
船は美蓮達の至力によって、それから二日半後に出来上がった。出来上がった船は黒光りしており、波州出身で船には少々うるさい麗射が見ても、いかにも波に乗りそうな滑らかな形だった。
「波州の始祖と言われる海からの民が乗ってきたものとされるくりぬき船と、漁で使うある程度人数が乗れる小舟を作ってみたぞ」
美蓮こだわりの船は夜中にこっそり銀嶺の雫に浮かべて乗り心地を試したらしい。
「このくりぬき船は二人乗りで乗り込む部分が狭い。乗り心地は決して良くはないが、良く浮かび沈むことが無い」
両側に水かきのついた長めの櫂を麗射に渡しながら美蓮が言った。麗射は慣れた手つきで櫂の重さを確かめると右左と掻く仕草をした。
「うん、これは良い」麗射は満足げにうなずいた。「しかし、よく湖の警備に見つからなかったな」
「深夜に船を真っ黒に染めて、俺たちも全身真っ黒に塗って行ったんだ」
黒光りする2艘の船を見て、この色はそういう理由だったのかと麗射は苦笑した。
「工房で洗った、土もついていない清浄な船だ。人助けなんだから聖なる泉も許してくれるさ」
よく見ると美蓮の顔も黒ずんでいる。何食わぬ顔をしているが、口をつけて飲むことさえはばかられるオアシスの聖なる泉に船など浮かべたら、下手をすると追放処分になるかもしれない。相当危ない橋を渡ってくれた友に麗射は心から感謝の意を述べた。
「おい、よせよ。これは僕の意地だ。乗りました、はい転覆しました。では末代までの恥だからな」
ほとばしる情熱と知識、譲らないこだわりは職人魂とでもいうのだろうか。友達になってけっこう経つのに、麗射は美蓮のこんな姿を知らなかった。普段はあまり目立たない地味な男だが、やはり荒涼とした砂漠を越えて難関の美術工芸院に来ているだけある。とどまるところなく船の制作秘話を語り続ける美蓮を、麗射は頼もしげにじっと見つめていた。
「あいつらは総勢五人で出かけたようだ。玲斗と仲間四人、あと星見も連れて行ったらしい」
「それでは最短の道筋を取ったと考えて追って行けばいいのか」
「うまく星が読めていればな」
青銀砂漠は方位磁針の効かない砂漠として有名である。特に夏の暑い時期には暑さを避けて薄暮から歩き始めることも多く、日が沈んだ後は星を見ながら砂漠を踏破していかなければならなかった。空には方位をきちんと指し示すような不動の星が無く、時間と共にずれていく星ばかりで、方位を知るのは難しい。手練れた星見でも道を失うことが多々あった。
「おお、できたじゃないか」
声と共に入ってきたのは瑠貝だった。
船をポンポンとたたきながら、満足そうにその船べりを撫でる。
「こりゃ、要らなくなっても螺鈿細工を施せば他州の好事家に高値で売れるぞ」
洪水が起きない時の資金回収の方法も考えているらしい。
「ところで麗射、何人で行くつもりだ?」美蓮が尋ねる。
「レドウィンと俺と――」
「僕も行くよ、船の制作責任者だからな」間髪を入れずに美蓮が言う。
「で、もちろんお前も行くんだろ、瑠貝」
「いや、俺は行かないよ」
瑠貝の言葉に美蓮は眉をひそめた。
「怖いのか? 友達甲斐のない奴だな」
「ま、なんとでも言え」
瑠貝は平然として片手にもった帳簿で顔を扇いだ。
「お前たちに何かあったとき、誰が後のしりぬぐいをするんだ。前金ですべてが清算されているわけじゃない、駱駝の代金や、諸々の借金。その後始末をする人間が必要だ。それに――知ったかぶりをして批判する奴らが絶対出てくる、お前たちの正義を証言する者が必要だ」
瑠貝は目を閉じて細い眉毛を大きく上げた。
「行きたいからって、全員が行って良い訳じゃない」
「確かにお前の言うとおりだ、すまなかった」
美蓮は瑠貝に頭を下げた。この守銭奴の意外な視野の広さと、彼が金を稼ぐことだけに気を使っているわけではないのだと驚きながら。
常に周りを見ながら計算して動く、目先の損得以上の何かを得るために。瑠貝の身体には確かに脈々と先祖代々の商人の魂が宿っていた。
「波州産の最上級木材だ。問屋に在庫があったのを買い占めてきた。樹脂が多くて水を吸いにくいのに、まるで羽衣のように軽くて、しなやか。こいつの頭金で瑠貝の金はすっかり使い果たしてしまったぜ」
通常使う事の出来ない高級資材に高揚しているのか、美蓮は上気した顔で麗射を出迎えた。歩くたびに服からぼろぼろと木くずが落ちる。
「大小一つずつ、二艘ほど作る予定だ。三日も徹夜すれば完成にこぎつけるだろう。ところで金の工面はうまくいったのか」
「ああ、何とかなりそうだ」
麗射は浮かない顔でうなずいた。洪水が起こる可能性が高い砂漠に銀の公子を連れていく、その是非を彼はまだ悩み続けていた。
「じゃあ、さっそくだが工面した金でこれを払ってきてくれ」
美蓮はポケットからごそごそと請求書を出すと麗射に渡した。そこには麗射が見たこともない高額な数字が書かれていた。
「瑠貝ができるだけ値切ったんだが、まだその値段だ。あとは任したぞ」
そう言い残すと美蓮は嬉しそうに鼻歌を歌いながら工房の奥に戻っていった。
結局、麗射は銀の公子の厚意に頼らざるをえなかった。
船は美蓮達の至力によって、それから二日半後に出来上がった。出来上がった船は黒光りしており、波州出身で船には少々うるさい麗射が見ても、いかにも波に乗りそうな滑らかな形だった。
「波州の始祖と言われる海からの民が乗ってきたものとされるくりぬき船と、漁で使うある程度人数が乗れる小舟を作ってみたぞ」
美蓮こだわりの船は夜中にこっそり銀嶺の雫に浮かべて乗り心地を試したらしい。
「このくりぬき船は二人乗りで乗り込む部分が狭い。乗り心地は決して良くはないが、良く浮かび沈むことが無い」
両側に水かきのついた長めの櫂を麗射に渡しながら美蓮が言った。麗射は慣れた手つきで櫂の重さを確かめると右左と掻く仕草をした。
「うん、これは良い」麗射は満足げにうなずいた。「しかし、よく湖の警備に見つからなかったな」
「深夜に船を真っ黒に染めて、俺たちも全身真っ黒に塗って行ったんだ」
黒光りする2艘の船を見て、この色はそういう理由だったのかと麗射は苦笑した。
「工房で洗った、土もついていない清浄な船だ。人助けなんだから聖なる泉も許してくれるさ」
よく見ると美蓮の顔も黒ずんでいる。何食わぬ顔をしているが、口をつけて飲むことさえはばかられるオアシスの聖なる泉に船など浮かべたら、下手をすると追放処分になるかもしれない。相当危ない橋を渡ってくれた友に麗射は心から感謝の意を述べた。
「おい、よせよ。これは僕の意地だ。乗りました、はい転覆しました。では末代までの恥だからな」
ほとばしる情熱と知識、譲らないこだわりは職人魂とでもいうのだろうか。友達になってけっこう経つのに、麗射は美蓮のこんな姿を知らなかった。普段はあまり目立たない地味な男だが、やはり荒涼とした砂漠を越えて難関の美術工芸院に来ているだけある。とどまるところなく船の制作秘話を語り続ける美蓮を、麗射は頼もしげにじっと見つめていた。
「あいつらは総勢五人で出かけたようだ。玲斗と仲間四人、あと星見も連れて行ったらしい」
「それでは最短の道筋を取ったと考えて追って行けばいいのか」
「うまく星が読めていればな」
青銀砂漠は方位磁針の効かない砂漠として有名である。特に夏の暑い時期には暑さを避けて薄暮から歩き始めることも多く、日が沈んだ後は星を見ながら砂漠を踏破していかなければならなかった。空には方位をきちんと指し示すような不動の星が無く、時間と共にずれていく星ばかりで、方位を知るのは難しい。手練れた星見でも道を失うことが多々あった。
「おお、できたじゃないか」
声と共に入ってきたのは瑠貝だった。
船をポンポンとたたきながら、満足そうにその船べりを撫でる。
「こりゃ、要らなくなっても螺鈿細工を施せば他州の好事家に高値で売れるぞ」
洪水が起きない時の資金回収の方法も考えているらしい。
「ところで麗射、何人で行くつもりだ?」美蓮が尋ねる。
「レドウィンと俺と――」
「僕も行くよ、船の制作責任者だからな」間髪を入れずに美蓮が言う。
「で、もちろんお前も行くんだろ、瑠貝」
「いや、俺は行かないよ」
瑠貝の言葉に美蓮は眉をひそめた。
「怖いのか? 友達甲斐のない奴だな」
「ま、なんとでも言え」
瑠貝は平然として片手にもった帳簿で顔を扇いだ。
「お前たちに何かあったとき、誰が後のしりぬぐいをするんだ。前金ですべてが清算されているわけじゃない、駱駝の代金や、諸々の借金。その後始末をする人間が必要だ。それに――知ったかぶりをして批判する奴らが絶対出てくる、お前たちの正義を証言する者が必要だ」
瑠貝は目を閉じて細い眉毛を大きく上げた。
「行きたいからって、全員が行って良い訳じゃない」
「確かにお前の言うとおりだ、すまなかった」
美蓮は瑠貝に頭を下げた。この守銭奴の意外な視野の広さと、彼が金を稼ぐことだけに気を使っているわけではないのだと驚きながら。
常に周りを見ながら計算して動く、目先の損得以上の何かを得るために。瑠貝の身体には確かに脈々と先祖代々の商人の魂が宿っていた。