第3話  「聖域」 篠田節子 作

文字数 1,294文字

 篠田節子さん、第二弾。

 ここの所、ずっと篠田節子さんの本を読み返しています。
 大体本を読むのは通勤電車の中。それとか旅行中。それに一人で外食の時。移動中は罪悪感無しに小説が読めます。家ではスキルアップの勉強をしようとか、それよりも家事をやらなくちゃ。とか。何でこんなに時間を惜しむ様になったのか。年を取ったせいですかね。子供の頃はうんざりするほど時間があったのに。小学校二年の時に、後4年間も小学校へ通うのを想像してうんざりした記憶があります。読書は今でも好きです。それも電子書籍ではなくて単行本。紙の本が好きです。

 さて、余談はこの程度にして。「聖域」です。「聖域」もサスペンスと言うかホラー。関わった者達を破滅へ導くという未完の原稿「聖域」を巡ってのホラー。主人公の編集者、実藤はどうしても「聖域」を完成させたい。それで作者である水名川泉を執念深く探し出し、続きを書かせようとする。

 彼と彼が淡い恋心を抱いていた女性(千鶴)の話が切ない。優しい男なのだから幸せになって欲しい。けれども作者はそんな甘くは有りません。

「聖域」の中の主人公「慈明」は叡山で修業をした優れた僧です。彼は蝦夷地に入って仏の道を蝦夷に説こうとします。だが、その地は彼を受け入れなかった。慈明には理解できない「巫女」がいたのです。「巫女」は正に地母神的な恐ろしい存在でした。「慈明」はある意味分化を果たした理論的な先進文明を象徴し「巫女」は未分化な原始の混沌を象徴しています。「慈明」は村人達が自分を受け入れない事を理解できない。それは所謂「文明人」が覆そうとしても覆らない。強力で根強いモノです。

 このテーマは篠田さんの他の本にも繰り返し何度か現われて来ます。最近読んだ「インドクリスタル」もそうです。果たして民主主義社会は『是』なのか。オールマイティーなのか。

 怖い場所と言うのは実際にあるのでしょうね。地理的に。何らかの理由で。例えば磐座。例えば池や湖。山。鬱蒼とした森に囲まれている。それは彼岸と此岸が交わる場所です。正に「聖域」です。そこに人は足を踏み入れてはならない。それは「禁異」なのです。それは大多数の人が知っているような場所では無くて、無名でひっそりとしており、忘れ去られた様な場所なのだけれど、その場所の危うさや意味を知っていた古代の人々がそこを「聖域」とした。私達はそういうモノを感知する能力が随分劣ってしまったと思います。けれども時々感じます。「この神社ヤバくね?」とか「この場所、空気が違う」って。それって何でしょうね。
 そんなものはただのまやかしとか気の迷いだと片付けてしまうか、畏れて近寄らない様にするか、それとも「いや、何でだろうか」と考えるか。地理的な特徴とは「ゼロ磁場」だろうかとか。それとも地形なのか。それは五行的なモノで判別出来るものなのか。


 話がずれずれですが、怖い場面は幾つか出てきます。私はこの本、二度目ですが一度目で脳裏に焼き付いた場面があります。「聖域」と言うとそのシーンが浮かびます。とても印象的です。是非、皆さんもそのシーンを共有して欲しいと思います。(笑)




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