008)【鈍感】

文字数 3,112文字

ゴールデンウィーク明けの暑い日、遥花から、小野木と璃子と夕食へ行くが、山下も行かないかと誘いがあった。
璃子に会わず終いとなっているのは気掛かりだったが、多忙を理由に断っていた。

その二日後、管理部所属の剣崎(けんざき)から、山下の元に電話が入った。

剣崎の仕事は社内調査だ。
主に社員の交友関係について情報を集めている。
『T・T・T』秘密保持のために、本部から強制されているのだが、一般社員で剣崎の存在を知る者はいない。

社員同士の交際の把握と、社員と社外の人間の付き合いを掴むことを目的としている。

「どっちだ?」
山下は挨拶もそこそこで単刀直入に尋ねた。
剣崎から連絡があるのは、情報漏洩が危惧される場合か、誰かと誰かが捨て置けないほど親密になった時だ。

「報告です」
剣崎は情報漏洩の時は告発と言い、交際関連は報告と言う。
「誰と誰だ?」

「アテンダント部の小野木君と、インターンの犀川さんです」
聞かされた名前に衝撃を受けたが、一瞬の内に、山下の頭の中にいろんな可能性が駆け巡った。

「一昨日の夜だったら、久谷さんも一緒だったはずだが」
「確かに最初は三人での食事会でしたが、久谷さんは店を出てから、一人で帰って行きました。その後で、小野木君と犀川さんの二人は、網沢(あみさわ)川へ向かったんです。河川敷に座って、ずっと話し込んでいました。真夜中近くなって、交互に川へ向かって叫んでいたんですが」
川へ叫ぶなんて、まるで青春ドラマじゃないかと、歯ぎしりしそうになっている気持ちを抑えて、山下は続きを待った。

「二人が叫んだ内容もメモしてありますが、聞かれますか?」
電話の声から躊躇いが感じられた。
「聞かせてくれ」

「小野木君は『久谷遥花のバカやろう。人の気も知らないで』、犀川さんのほうは『山下成行のバカ。鈍感。いつか懲らしめてやる』です」
懲らしめられなければならないほどの仕打ちをした覚えは無いがと、山下の思考がグルグルと回転した。

やっぱり日頃の態度に腹を立てていたのか。
それとも、最終日に放置していたのを怒っているのだろうか。

「その後二人は、小野木君の車でホテルへ向かい、一夜を過ごしました」
この辺りのホテルと言えば、寂れたラブホテルが一軒だけだ。
山下は唾を飲み込んだ。

未だかつて経験した覚えのない気持ちが、山下の胸の辺りに沸き起こっていた。

「報告ありがとう」
電話を切ってすぐに、小野木の予定表へアクセスした。
今の時間はトレーニングとなっているのを確認して、急ぎ足でトレーニングルームへ向かう。

トレーニングルーム内を見渡してみたが、小野木の姿は無かった。
そのままロッカールームへ進んだ。
誰も居ないロッカールームに、小野木がちょうど、シャワーを終えて出て来たところだった。

「どうしたんですか。こんな所へ」
下半身にバスタオルを巻いた姿の小野木が、驚いた様子で声を上げた。

小野木の顔を見た瞬間、抑え切れない怒りが爆発した。

「お前、一体どういうつもりだ」
山下はつかつかと歩み寄り、小野木の鍛えられた上半身を勢い良く壁へ押しやった。

「ちょっ、いきなり何なんですか。山下さん」
山下の顔へ、小野木の濡れた髪から水滴が振りかかる。

「お前は久谷さんのことが、好きだったんじゃないのか」
体勢を立て直そうとする小野木を、山下はもう一度押し戻した。
山下の顔が怒りに満ちている。

「どうして、犀川さんに手を出したんだ」
「何で」
小野木の顔に一瞬怯えが見えた。
どうしてバレているのか分からないのだろう。

「遊びだったら、許さない。どうなんだ」
山下は前腕を小野木の首へ押し付け、動きを封じていた。

「待って、ください」
小野木は何とか山下の腕から逃れようともがき、振りほどくと同時に叫んだ。
「手なんて出してません。誤解です」

「えっ」
ゴホゴホと、喉を押さえる小野木と山下の間に距離が出来た。
「ホテルには行ったけど、朝まで飲んで歌って、愚痴聞いて貰ってただけです」

「そんな話を信じろと?」
山下の言葉に、今度は小野木がムッとなった。
「僕を信じられなくても、彼女のことは、信じてあげてください」

「彼女を信じる?」
ぼんやりする山下を見て、小野木は更に苛立ったようだ。
「山下さんのことが好きなんです。気付いてくださいよ」
山下は唖然とした。
「まさか」
スコーンと、何かが頭の横から突き抜けていった感じがした。

「俺は、彼女の親のほうに近い年齢なんだぞ」
「それが何なんですか。何か問題ですか?人を好きになるのに、年齢で、心に規制かけろって言うんですか」
小野木は叩き付けるように言い放った。

「こんな風に、僕に怒るってことは。山下さんだって、璃子ちゃんを大切に思ってるんでしょ?」
そう言われて我に返った山下は、小野木から一歩離れた。
「これは、保護者的な衝動だ。すまなかった」

立ち去ろうとする山下の肩を、小野木が乱暴に掴んだ。
「格好つけないでください。ちゃんと、彼女の気持ちと向き合ってください」
山下は無表情で小野木の手をほどくと、すまなかったともう一度謝り、その場を去って行った。



数日後、遥花が山下の所へやって来た。
「山下さんと小野木のことが、噂になってるわよ。小野木が山下さんに告白したって」
「どうなったら、そんなことになるんだ」
言いながら、山下には思い当たるセリフがあった。

小野木が璃子の気持ちを代弁したところだけを抜き出せば、そんな風に聞こえたかもしれない。
回りには誰もいないと思っていたが、誰かに聞かれていたのか。
盗み聞きした奴は、面白いところだけを切り取って広めているに違いない。
山下は苦々しく思った。

「ロッカールームで襲うなんて、これからは止めたほうがいいわ」
遥花は堪えきれないといった感じで笑っている。
噂にはきっと、あること無いこと尾ひれが付いているのだろう。
「忠告を、どうも」

「山下さんが、昔は格闘術のトレーナーも兼務してたって、小野木に言ったら。驚いてたけど、納得してた」
山下は弁解も出来ず、ただ黙っていた。

「小野木から、璃子ちゃんのこと聞いたわよ。璃子ちゃんがここで働くって聞いた時から、何となくそうなる気がしてた。あの子、ファザコンでしょう」
「そうだな」

自分への気持ちも、父親との埋められない溝を、代償させているだけに過ぎないと山下は考えていた。

「どうするの?」
「どうするとは?」
「璃子ちゃんの扱い」
「別に、何も」
「そう言うと思った」
遥花は呆れ顔で続けた。

「山下さんにとって、自分を好きになる女性は、降って湧いてくるようなものなんだろうけど」
「そんなこと、微塵も思って無い」

「いつまでも、そんなんじゃ。幸せになるタイミングを逃がすわよ」
「どういう意味だ」

「今迄の女性との付き合いも、うわべだけじゃない」
「そんなことは無い。久谷さんに何が分かるんだ」
ムキになってしまったのは、図星を指されたからかもしれない。

「分かるわよ。友達だもの。山下さんは、人と深く関わることを恐れてる。自分からは、そのブロックを外せないと諦めてる。私は、山下さんの殻を破ってくれる人が現れてくれないかって、ずっと思ってた」

人と深く関わらなくても、生きてはいける。
楽なほうを選んでいるのは、山下も自分で分かっていた。

「この先も一人でいいなんて、決め付けてしまわないで」
正直、遥花がそこまで、自分のことを心配してくれているとは思っていなかった。

「小娘が、何言ってるって思ってる?」
「少し」
「私ぐらいしか、山下さんに意見してあげられる人がいないじゃない」
「そうだな。これでも、久谷さんには感謝してるんだ」
山下が本心から言うと、遥花は満足気に微笑んだ。

「いっそ、じゃじゃ馬に襲われちゃえばいいのに」
「怖いことを言わないでくれ」
二人は軽く笑い合った。
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