第2話
文字数 3,870文字
ひき逃げ事件はまだ解決しなかったが、姉のために、新介も葬儀を行わなくてはならなかった。
最初は親戚だけを集め、ごく小さく済ませるつもりだったが、新聞記事を見た連中から問い合わせが入り始め、内輪というわけにはいかなくなったのだ。
だから会場を借り切っての大掛かりなものになったが、さすがは姉ということだろう。
学校時代の同窓生が全員姿を見せているのではないかと思えるほど賑やかな葬儀になった。
なんと先日の若い刑事の顔まであったほどだ。
「捜査とは直接関係ないのですが、来てしまいました」
と刑事ははにかんだ。
式が始まり、焼香、出棺ととどこおりなく進んだが、新介が驚いたのは、そこで帰ったりせず、骨上げまで居残ろうとする者が親戚以外にも何人かあったことで、全く予想外だった。
考えてみれば、これらは姉に特に近く親しかった人々だろう。ほとんどが中学、高校の同級生たちだ。
午後遅くには骨上げも終わり、葬儀は終了した。
参列者たちとは別れ、帰宅するために新介も駐車場へ向かったのだが、そこで声をかけられた。
「新ちゃん」
振り向くと参列者の一人、姉の親友だった女だ。顔は新介も知っており、名は沢口といった。
沢口はチラリと見まわし、まわりに人がいないことを確かめたようだ。
沢口の後ろを、同じような年齢の女が二人ついて来ている。
「ねえ新ちゃん、私の腕時計、今からでもいいから返してくれないかな?」
と沢口は言った。
「えっ?」
「知ってるでしょう? とぼけないでよ。まだ新品だったのよ。裏ブタに私の名前が彫り付けてあるわ」
金庫の中のあの腕時計のことだと気づき、新介は体がカッと熱くなりかけたが、返事はできなかった。
その前に別の女が口を開いたのだ。
「私もそうよ。あの時は別の大学を受験しなおさなくてはならなかったんだから、せめて受験料を返してほしいわね」
「受験料って?」
「直子の部屋の金庫の中身を見たでしょう? 盗品の山だったはず。大学の受験票があったでしょ? あれが私のよ」
「あれは…」
ここで別の女が口をはさみ、ポケットから取り出した紙きれをヒラヒラさせた。
「これ、数学の教科書を買いなおした時の領収書ね。ちゃんと払ってもらうわよ」
「だけど…」
本当に新介は、どう答えてよいやら分からなかったのだ。
沢口が鼻を鳴らした。
「何言ってんのよ。直子の正体は、学校の女子はみんな知ってたのよ。アホな男子と先生たちが知らなかっただけでね。目が曇ってるにもほどがあるわよ」
「じゃあ、なぜ本人に返還を要求しなかったんだい? 機会はいくらでもあったろうに」
すると女たちは鼻を鳴らし、
「そんなことできるわけないわよ。直子は先生たちのお気に入りで全学のマドンナ。こっちは何もなくて目立たないただの生徒じゃあね。返せ、そんなもの知らないわで、始めから勝ち目なんかありゃしない」
「そもそも金庫のことをどうして知ってるんだい?」
「直子は、私のことを親友と思ってた。私はそんなこと、思ったこともないけどね。
直子はいろいろ話してくれたのよ。中身が何かまでは言わなかったけど、自分の部屋には大切なものを入れる金庫があって、そのキーはいつも肌身離さず持ってるってさ」
「中身は盗品の山だろうと予想したのかい?」
「その通りよ。だけどそれだけではない」
「…」
「直子はこんなことも言ってた。持ち物のうちで特に大事なものは、同じ金庫の中でも特別な場所に入れてあるってさ」
「特別って?」
「それが何なのかは知らないのよ。でも封筒に入れて、金庫の内側、天井部分にセロテープで張り付けてあるそうよ。親友と思ったから話してくれた秘密だけど、約束を守る義理はないしね…」
盗品の返還を約束して、新介は沢口たちとは別れた。
車に乗り、骨壺を手に帰宅したのだ。
だが玄関を入っても骨壺は下駄箱の上に置いたままで、階段を駆け上がっていった。
姉の部屋に入ると、金庫はドアを開けたままになっていた。
新介は、金庫の中身を空にしたと思い込んでいたのだ。
だが内部に手を突っ込むと、確かに天井板には指に当たるものがある。
沢口が言っていたように封筒で、セロテープで張り付けてあるようだ。
新介はすぐに取り出した。
それほど大きなものではないが、開けてみると新聞記事の切り抜きと、メモ用紙らしい白い紙が一枚ずつ入っている。
切り抜きは社会面の記事らしいが、目立つのは余白部分に新介自身の手書き文字でメモ書きがあることで、
『神戸 505 あ 〇〇〇〇』
と自動車のナンバープレートのようだ。
記事は3年前の日付で、近隣の町で起こったひき逃げ事件を扱っていたが、こちらも被害者は姉と同じように死亡していた。
ただ記事の終わり方が奇妙で、事故の状況から見て、その瞬間を目撃した者が少なくとも1名はいたに違いないと思われるものの、いまだに警察に名乗り出る者はなく、
「目撃者はぜひ名乗り出てほしい」
と記者は記事の最後を結んでいた。
もう一枚の紙は正真正銘のメモ用紙で、こちらにも走り書きがあるが、新介の知らない書き手によるもの。
『すべておっしゃるとおりにいたします。毎年クリスマスに100万円を郵便小包にて』
「ふうん」
そういえば新介には思い当たるフシがあった。
クリスマス近くのある日、姉が留守をしている家に小包が届き、新介が代わりに受け取ったことがあるのだ。
差出人の名など覚えてはいないし、どうせ偽名だったろうが、あれがそうだったのだろう。
「紙幣で100万円といえば、あのくらいの大きさなのか」
そういえば、過去2回ほど同じことがあったような気がする。
「あれっ?」
不意に気がついて、新介は急いで自分の部屋へと向かった。
姉の部屋と同じように2階にあるが、こちらもよく片付けられているとは言い難い。
自分の部屋だから、立ち入るのに何の遠慮もない。
独身男らしい殺風景さだが、その中で一つだけ、額に入れられた風景画が壁に目立つ。
なんということのない風景画だが、もちろん新介が自分の意志で置いたのではなく、あまりの殺風景さに母親がどこかから持ってきて、勝手に飾ったのだ。
新介には何の関心もなかったが、外してしまうことさえ面倒に感じられ、そのままになっていたた。
その風景画を壁から取り外し、新介は裏返した。留め金をゆるめ、裏ブタを外したのだが、
「やはりないな」
先ほどの新聞記事は、新介がここに入れて隠しておいたものなのだ。
つまり姉は、新介の留守を狙って、家探しまでしていたことになる。
だがおかげで、新介は納得することができた。
3年前、ひき逃げを目撃したのは新介自身なのだが、なんだか面倒くさい気がして、ナンバーを警察に届けたりはしなかった。
怪獣カードが消えて以来、新介はそれほど人との関わりを避ける性格へと変わっていたのだ。
それでもひき逃げの記事を新聞に見つけた時、記憶していたナンバーだけメモ書きして、そのまま忘れることにしたのだ。
それを風景画の裏に隠したことさえ、今日この瞬間まで思い出すことはなかった。
それを姉は盗み出した。きっとまた、弟の人生を左右するネタを求めてのことだったろう。
しかしあの新聞記事には、もっと別の使い道がある。そのことに姉は気づいた。
ナンバープレートだけを手掛かりに、警察官でもない姉が、どうやってひき逃げ犯と連絡を取ることができたのかは分からないが、興信所をひそかに雇うことだって可能かもしれない。
金庫の中にあった品々を見てもわかる通り、いつの間にか姉は、他者の運命を操り、人生を支配することに喜びを感じるようになっていたのだろう。
ひき逃げ犯も、そのワナの中に落ち込んでしまったのだ。
しかし全てが姉の思い通りに運ぶわけではない。
ひき逃げ犯はついに、姉に反旗をひるがえす気になったのだろう。
毎年毎年、100万円という金を吸い上げられることが我慢できなくなったのか。
ならば、どうやって姉を黙らせたらいい?
皮肉にも3年前と同じ方法を用いることにしたのだろう。
3年前は純粋に交通事故だったのが、今回は事前に準備し、足のつきにくい盗難車を用いた、というところか。
「これは警察に届けないわけにはいかないよなあ」
もちろん新介には、姉のカタキを討ちたいという気持ちなどなかった。
怪獣カードのこと一つとってもわかるように、新介にとって姉は敵でしかない。
「しかし、すでに2人も死んでいる以上は…」
他人の運命を支配するという遊びが、最後には姉自身の命を奪ってしまったのだ。
気は進まなかったが、新介は警察へ出かける気になった。
まあいいさ。あの若い刑事をつかまえて、面倒なことはすべて押し付けてしまえばいい。
事情を知った時に若い刑事がどんな顔をするのか、それだけは新介も楽しみだった。
後日、ひき逃げ犯はあっけなく逮捕されてしまった。
ナンバープレートが分かっているのだから、難しい捜査ではなかったのかもしれない。
裁判にかけられ、当然のごとく有罪判決を得たが、それがどういう人物であるかということにさえ、もはや新介は興味がなかったのだ。
ただ新介があきれ、同時に運命も感じたのは、ひき逃げ犯の正体が、新介や姉と同じ学校の卒業生だったことだ。同級生だったのだ。
学校時代の姉のこともよく知り、あこがれを感じてもいたそうだ。
「あこがれの元マドンナから脅迫を受けたら、犯人もさぞかしビックリしたろうよ」
それが、この事件について新介が持った唯一の感想だった。
(終)