第3話 学園祭と由岐花

文字数 10,886文字

シコウは東京さくらトラム都電荒川線に乗っていた。
東京都内にまだ残る路面電車は、都内を初めて通行する非自動化運転者には相変わらず恐怖の的であったが、利用する分には便利な交通機関でシコウの日常の脚としては大変使い勝手が良かった。

シコウの目的の場所 夏目漱石山房記念館は荒川線の終点早稲田から、30分ほど歩いた場所にあった。
文豪夏目漱石を顕彰する記念館だが、一階には一般で入れるブックカフェがある。

シコウがカフェで待っていると、慌ててスーツの男が入ってきた。
楽奈健郎(がくなたけろう)30代後半に見えるがシコウとは大学の同期である。

「すまんシコウ遅くなった」
「健郎 俺も忙しいのだが」
「なら、面倒くさいところによびだすな」
「休日をどう過ごそうが勝手だ。正規手順なら業務時間に呼び出せ」
「おまえの業務にかかわらない以上、休日に呼び出すのが妥当だろう」

シコウは舌打ちをした
楽奈は科学技術庁のAI査問委員会のメンバーである。
要は違法なAIを搭載しているロボットを見つけ、差し押さえて作動停止させる権限を持っている人間なのである。

猫とメイドロボ探偵のニュースが拡散されたおかげで、世間にいる正義を大切にする人たちが「あれは違法AIではないか」と通報した結果晴れてAI査問委員会の対象になってしまったのだ。

「ノルテか」
「届け出ではプログラム管理責任者はおまえだ つまり異常行動はおまえの監督下で起こっている」
「異常行動?」
「猫語を翻訳するメイドロボが今までいたか?」

「いいか、健郎 まずはおまえの後ろにある本棚をみろ
 そこには古今東西の夏目漱石の書籍が並べられている。
 当然代表作である『吾輩は猫である』もある さあ一冊取ってみろ
 そして読め 読んでいたなら思い出せ」

楽奈は本を手に取りめくり始めた。

「うむ、大体思い出した」
「どう思った?」
「思いも寄らぬ悲惨な終り方で涙した」
「健郎 そういう感想を求めているのではない」
「苦沙弥先生について語れというのか」
「もっと普通の感想というものがあるだろう」
「明治時代の会話なので、昭和になって時代性を読み解くことで読者にインテリジェンスを求め価値が変化したな」
「文学論ならいくらでも応じてくる学生がこの近くにはゴロゴロといるぞ
 もっと、普通の感想だ」
「おお、猫が喋るというか観察しているところが面白いな。
 おまえのノルテが猫と話せるというのは大変画期的だ」
「そこだ 健郎
 よくきけ
 そもそも猫は人間のような思考形態はしていない 我が輩と名乗る名前のない猫はあくまで夏目漱石の想像上のキャラクターだ」
「それは子供にでも分かっていると思うが」

離れたところで『吾輩は猫である』の絵本を読んでいた子供がびっくりした眼でシコウ達を見ている。

「猫は人間の言葉で思考していないし話そうとも思わない
 猫の脳は容量からして多くを記憶せず、自分の都合の良い状態を得ることしか考えない」
「そうなのか?」
「動物心理学者の城ヶ島トウコの著書がある 読みたまえ」

シコウはタブレットに城ヶ島トウコ『動物のおはなし』を表示した。
カメラに撮るとクレジット決済の画面に移行して、楽奈は承認した。

「猫語を理解し、行方不明の猫を発見したアートドロイドということで、ノルテは計らずとも有名になってしまったが、ここに期待されるようなことはない。
オウサマは事細かに人間の会話をログしないし、碁打ちしている人間を活写しようとはしない ナー、ニャー、フシャー、ゴロゴロ 餌orノット餌 狩れるか否かの組み立てで思考しているのを、ノルテがわかりやすく人間言語化しているだけだ」
「そういうものか」
「ノルテは、舌を失ったり言語中枢に支障が出たりと 言葉を発せない対象者に対するプロトコルを使っただけで、これは単に俺が猫の世話に特化させた 条件変更に過ぎない」
「そこが、査問委員会として引っかかるところだが」
「違法ではない」
「違法でないものも審査するのがAI査問委員会だ」
「ノルテと同じ条件下で介護プロトコルを猫に振り向ければどこでも、同じ結果が得られるということだ いや 犬も キリンも もしかしたらコオロギも話すかもしれない」
「コオロギに論評されるのか」
「人間が邪魔だ ぐらいまでは脳のないコオロギでも考えているだろう」
「シコウ 考えているという言葉を使ってくれるな 
 なにをして思考ロジックとするかは我々の悩みの種だ」
「そうか、それはすまん
 つまりだ、俺もノルテも初の現象を引き起こしただけで、正常であると言いたい
 なにも特異はないものを諮問する必要は無い」

うむ、と思案する楽奈

オープンスペースで激論している男二人を注意しようかどうか悩んでいる、館の職員がほっとした顔でカウンターから覗いている。

「正直に言うとノルテのブレインボックス提出はやむを得ないと思っているが、代替となるブレインボックスを調達し同じ現象を引き起こさないように最初からプログラムするのが大層めんどくさい
ご近所のみなさんも、突然顔を忘れられるとがっかりするだろう」
「志功、残念だが、ロボットの想定外挙動はインシデントとして扱い 要因が分かるまで封印するのがAI査問委員会の仕事だ 旧知の仲とは言えそれは覆せない」
「そうか」
「だが、介護プロトコル上にある行為はインシデントではなく、好ましい発見として報告すれば委員会は説得できると思う」
「そうしてもらえると助かる」
「期待はするな」
「猫語を解するロボに時間を割くより、個人の悩みをロボットで解決しようとする連中から救ってやってほしいものだ」

「うん むやみに王子駅のノルテを取り上げたとあっては、風当たりが強くなるだろうしな」

王子駅 ノルテの画像検索でシコウのノルテ105型Aの写真が大量に出回っていた。


数日後
楽奈健郎の尽力により、ノルテのブレインボックスは取り上げられずにすんだ。
その代わり、メーカー製ではない自律AI使用の監視対象として登録されることになったため、定期審査を受けることになったが、ロボットの前で面白行動を取ることがないシコウにはさしたる影響は無かった。


10月の終わり
シコウのマンションの部屋に、制服の女子高生がインターフォンも鳴らさずに飛び込んできた。

「シイ兄いる?」
「はい、由岐花さま 作業部屋にいらっしゃいます
 お呼びしましょう」

ノルテが対応する。
衣良田由岐花(いらたゆきか)はシコウの一番目の姉、メリエの娘で17歳である。
選択姓で母親の名字を名乗っているが父親と仲が悪いわけではない。
シコウは叔父に当たるが、シイ兄と読んでいるのは昔からシコウに懐いているので、周囲に誤解されないようにという判断からである。

由岐花は迷わずに冷蔵庫を開けて、シコウの糖分補給用のスイーツを奪う。

「くそ、先に喰われたか 楽しみにしていたのに」

2階の自室からシコウが降りてくる。

「安いでしょ マネージメント料」

ノルテが有名になってしまったため、シコウの二番目の姉であるヤイカの紹介で、マネージメント事務所の所属になっている。 由岐花は無給の担当マネージャーで冷蔵庫にあるもの食べ放題がギャランティとなっているのだ。

オウサマが由岐花を遠巻きに見ている。
オウサマにとっては”ときどきネコチューをくれる動くもの”でしかない。
ネコチューをもらえなさそうだと判断すると、猫ベッドに戻ってスヤスヤと寝てしまった。

「シコウお兄様に相談です」

シコウのとっておき甘味に満足した由岐花は本題に入った。

「家ではオニイサマ言うな」
「じゃ、おじさまに相談です」
「なんだ」
「ノルテ 貸して 私用で」
「駄目に決まっておろうが」
「即答っ!」
「事務所には聴いたのか」
「シイ兄がOKならノーギャラでも良いって」
「担当マネージャーが私用でキャスティングというのは有りなのか 何のための事務所だ」
「事務所的にも適度な露出は話題になるじゃん?」
「露出?」
「うん、学園祭の模擬店でリアルメイドロボの給仕」
「馬鹿か おまえは」
「なんでー、本来の用途じゃん」
「パーラーメイドを求めるなら人間を使いなさい 女子高生のほうが視覚効果価値が高いだろう」
「シイ兄わかっていません 最後の人型メイドロボのノルテ104は、実走する485系車両並みに貴重なので、みんな見たがります」
「鉄道で例えるな どこを走っていたいつの時代のものだ」
「クロ481」
「なるほど それは見ようという気になるな」

485系クロ481とは”国鉄顔”と呼ばれる特急列車である。

「由岐花、残念だがアシスタントロボットは対象者がいない限り半径2キロメートル生活圏内を離れて持ち出すことは出来ない。盗難装置が作動して顔が溶けたノルテを見たいか?」
「うわー、それはやだー」
「表情筋をリセット状態から元に戻すのも大変なんだぞ」
「じゃあ、オウサマ貸して」
「馬鹿か おまえは」
「うわー 2回言った 虐待だ虐待だ 児童相談所に言ってやろー」
「おつむが足りないのか 由岐花さんは」
「おなじだよ!」
「オウサマが知らぬ模擬店で、マスコット猫できると思うか」
「さぞかしパニクるだろうねー」
「それこそ動物虐待だ」
「そうなると、安心のためにノルテちゃん連れて行かない?」
「どちらもない」

「と、言うとこまでは想定していました」

ふふんと由岐花は鼻を鳴らす。

「実を言うと本題はシイ兄あなたです!」

びしっとシコウを指さす。

「俺に学園祭で執事でもやれと?」
「うーん、それも見たいけど講演依頼です 対談の」
「相手は誰だ」
「城ヶ島トウコさんです」
「なに?」
「食いつきましたね 美人学者に」

シコウは美人であることには関心がなかった。
手術とメイクでどうにでもなると思っていいるし、アートドロイドを見慣れすぎている。両姉も由岐花も世間的には美貌に分類されるので”美”人には懐疑的だ。

「城ヶ島さんに講演オファーを出したら、オウサマとノルテの話なら受けるって」
「たしかに、今、一番関心があって話が聞けるならありがたい」
「でしょ 城ヶ島さんもノルテとオウサマが話しているのを是非見たいと」
「話しておらん、推察の言語化だ」
「そこですよ おじさまぁ みんなライブで見たいんですよぅ!」
「そのついでに、ノルテを模擬店で働かせたいのだな」
「いえす、おーらい!」
「策士め 城ヶ島さんと話せるなら行っても良い こちらも動物学者に伺いたいことは山ほどある」

拒否される話題から入るのは有効な交渉術である。
まんまと乗せられたのは分かっていた 我が姪ながら、おそろしいやつとシコウは思った。

「ふふふふ ウィンウィンを図る敏腕マネージャーとお呼びください」
「まあいい益もおおきい ノルテの模擬店貸し出しはオウサマが寝ている間だけだぞ」
「りょす」

楽奈に力説したことの補足になればそれにこしたことはない シコウが思案している間に由岐花は二つ目のスイーツを平らげていた。


学園祭の日が来た。

さすがにオウサマを身一つで連れて行くわけには行かないので、キャリーケースで連れて行くことにした。オウサマが外出拒否するのも覚悟していたがノルテが準備したケースにはあっさりと入って、むしろ外に出るのを心待ちにしている。
病院に連れて行ったことのあるシコウの出したケースは、断固拒否されるので次の予防注射の時もケースに入れるのは自分の役目だなと覚悟した。
ノルテの出すケースは楽しい外出だと思わせておきたい。

由岐花の通う学校はIT情報系の名門高校である。
学園祭は学生とその家族限定で公開されている。
ノルテが学校に来ることは瞬く間に話題となって、リテック社に勤める解析者のシコウも少なからずの尊敬を受けていた。
あわせて人気猫のオウサマも来校となると大騒ぎになってしまうのでアテンド係は2人までと決められて、周囲から遠巻きに見つめられることになった。

「居心地が悪い」
「すみません、うちの学校的には今トップアイドルと同じぐらいの扱いです」

生徒会の壮絶なじゃんけん大会を勝ち抜いてアテンド係を獲得した市部安(しぶあん)ヒロシは、ノルテタイプのアートドロイドを間近で見るのは初めてだと告白した。

「わからないでもない、自分も中古市場の倉庫で見つけた時は驚いた」
「アートドロイドを持つのは男子の夢ですよね!」

そうではなかったがシコウは適当な相づちを打った。
IT系思春期学生には、滅多に見れない高嶺の花であることには間違いない。
市部安はノルテの制御について質問をして、シコウは的確に答えた。

「あのう、純粋な興味なんですが股間のメカニック機構はどういった感じなのでしょうか」
「見たいか」
「えっ、いいんですか!」

市部安は周囲を見回す。幸い控え室に使われている校長室には誰もいない。
アートドロイドにはダミーの性器パーツをつけているという噂も聞いている。
市部安の眼はキラキラと輝いた。

「うむ、こうだ」

シコウはタブレットでノルテの股間パーツの3Dモデルを見せた
市部安のキラキラは露骨に消え失せた。

「球体可変ギアは動力モーターの力を人間の筋肉方向に流しているので、不自然さを作らないのがノルテ103型以降の画期的なところだ」

校長室のドアが開き、ノルテの股間を指さしている男二人を、軽蔑したまなざしの由岐花が見ていた。

「市部安くん、後で生徒会室に来てください」
「はいっ」

市部安がおびえて答える
男子に対して威圧的なのは母親譲りだな、血は争えないとはまさにこのこととシコウは思った。
由岐花が連れて来たのはもう一人の講演者、城ヶ島トウコである。
シコウとトウコは初めましての挨拶を交わした。

「きいてはいましたが、噂通りお美しい」

珍しいシコウのナンパめいた言葉を聞いて由岐花はびっくりした。

「あ、いえそんなことは」
「いえ、素敵ですよ」

城ヶ島トウコは顔を真っ赤にして照れてしまっている。
由岐花は今朝悪いものでも喰ったか、ノルテが社交的入れ知恵をしたのかを疑った。

「年相応のエイジングというのは人間ならではです
 ほうれい線が美しい」

即座に由岐花はシコウの頭を引っぱたいた。

「すすすっすみません 我が一族のものが大変失礼しました
 血縁を代表して私が謝罪します。
 後々学校長からも謝罪をさせますので」

「由岐花さん、年長者を叩くという行為はどうかな」
「あら、衣良田さんお気になさならずに
 ほうれい線を褒められるなんて初めてですから、わたしは嬉しいですよ」
「そうだ、由岐花さん
 琴線に触れたものは讃えるべきだ 彼女のほうれい線は人生の経過を刻んだ美しいものだ」
「いえいえそんな」

由岐花は思い知った。ずば抜けた学者はずば抜けた天然気質なのだと。

「こちらの市部安君にノルテの股間の解説をしていたところです」
「それは興味深いです 私も聴いてよろしいでしょうか」

無遠慮な人間どもが女性型ロボットの股間を凝視している姿を見て、由岐花は自分がノルテを守らなければならないという使命感を感じた。
ノルテは感情を感じさせないように無表情を作っている。


講演は講師ルームからの中継を講堂のモニターで視聴し、質問を随時受け付けると言うことになった。
講師ルームには、シコウとトウコと由岐花の三人とノルテである。
3メートル離れた場所にあるキャリーケースの扉は開けられたが、オウサマは出てこない。トウコを警戒しているのだ。
オウサマをなでても許される人間二人と、信頼を寄せているロボットがいてもビビりの猫は出てこない。
講師ルームには音が絞られて聞こえないが、ケースからオウサマが顔を覗かせる度に講堂ではキャーキャーと歓声が上がっている。

「ナーウ」王様が鳴いた
ノルテ「オウサマ ナーウ」※怖くはありませんよ
オウサマ「ナーウ ナーウゥ」※見たことがない大きなものがいる
ノルテ「ナォウ」※私の所に来なさい

オウサマはキャリーケースから出てノルテの腕に飛び乗った。
その行動を見て城ヶ島トウコは興奮気味である。

ノルテ「ナゥゥ」※ここにいても良いですよ
オウサマ「ナッ」※そうする

「オウサマはここにいたいようです」
「いまのは、……あきらかに会話が成立しています」
「ああ。……そう見えますか」
「意思の疎通は、出来てます完璧です」

トウコに会話が成り立つ太鼓判を押されてシコウは困ってしまった。

「いやいや、そう見えているだけでは」
「ノルテさんの画期的なのは可聴域以外も聞き分けて、人間の言葉に翻訳しているところです これは人と動物とのコミュニケーションでは出来なかったことです」
「動物とのコミニュケーションは動物園の飼育員でも可能でしょう」
「モニターを見ているみなさんも考えてください 声は内臓から発するものです 飼育員が微細な健康状態まで読み取るのは難しいですが、ノルテさんは聞きわけて精神状態の判断目安にしているようです すばらしい」

さりげなく聴講者に講師として対応できる城ヶ島もプロだなとシコウは思った。

「医療介護用に音声認識を開発した技術者は全く素晴らしい、私の調べですと日本の音紋研究所とドイツのマイク機器メーカーの合同開発らしいですね」

シコウはノルテから話を逸らせるよう情報を仕込んである。

「ノルテさんが女性型ロボットというのも意味があるような気がします。
 オウサマちゃんが安全な場所と認識しているからこそ、警戒発声以外が出てくるのではないでしょうか
 これは画期的な産業遺産として永久保存すべきです」
「いやまあ、組み合わせに過ぎないですから、他のノルテシリーズでも実証実験すれば同様の結果になるでしょう」

シコウは焦りを感じた。
この場所に存在するノルテは105型でシコウにも分からない部分がある。105固有の特異性に由来するなら仮に104型に105のブレインユニットを乗せたとしても今のノルテにはならない可能性が大きい。このまま博物館行きは避けたい。

「それは将来的なことですから、是非、衣良田さんにはノルテさんを使用し続けてデータを取っていただきたいと考えています」

丁度一区切りが付いたところで質疑応答の時間となって、シコウには技術的な問題、トウコにはペットとの付き合い方の質問が寄せられた。
二人がカメラ目線になるとオウサマは、とたんにカメラの前を横切りはじめた。

オウサマ「ンナ」
「こちらを見て欲しくないけど、余所も見ているのも嫌 だそうです」

ノルテが翻訳した。
トウコはオウサマの尻尾に視界を遮られている。

「猫は視覚狩猟を行うので目線が余所を向くことに自然と反応するようですね」

トウコが猫の視線の意図について解説した。
シコウはトウコの書籍で知ったが、ノルテは自分でオウサマの視線から意図を解析していたので、音響だけではないハイブリッドな猫語の翻訳である。

「城ヶ島先生も充分に猫語翻訳者と言えますが、こちらのノルテのブレイクスルーはまだまだ発展しそうです お二方ありがとうございました」

由岐花が締めて講演はお開きになった。
講師室には講堂の様子と拍手がスピーカーで流れてきた。
シコウは、少なくともここの学生には 音声認識の変則的使用法で突然猫語を話すメイドロボが出現したのではないことを理解していると願った。


午後になると、外出に興奮したオウサマが寝てしまったため、ノルテが由岐花の思惑通りに模擬店に出ることになった。
今日のためにシコウがパーラーメイドのプロトコルを仕込んでいたので、ノルテとしては本業初出動となる。
すでに日常から姉ヤイカの作による、メイド然とした服を着ているので着替える必要すらもない。

校長室のモニターでは、給仕をこなすノルテと入場待ち1時間の列、一目見ようと群がる教室外の学生達が映されている。
映し出されるノルテにトウコが感心している。

「まあ、最後の人型メイドロボと言われるノルテ104さんです。
 行動所作が美しい」
「ええ、上半身の制御に振り切っていますので、ドリンクの水平維持は完璧です。
制御担当の技術者によると指先は円に近い動きをするように設計したそうです
流体運動を計算しやすくするためですね」

微妙に噛み合わない会話がつづく。

ノルテは教室で給仕と片付けを行っている。
無駄な動きが無いので他の片付けバッシング係の学生が手持ち無沙汰になっていて、主にノルテを盗撮されないよう監視する係になっている。

「金持ちの学校はメイドロボひけらかしかよ!」

大声が廊下から聞こえてざわついた見物人達が静まりかえった。
作業着の男が不服そうに見ている。
IDパスは首からぶら下げているので部外者や作業員ではない。
誰かの家族だ。

「お兄ちゃんやめて!」

女生徒が飛び出して兄と呼んだ男を外に連れ出そうとするが手を振りほどかれた。
男は教室に入ってきた。

「ロボットが働いた会社が税金納めて、貧乏人は援助金 おかしいだろうが
 こいつらをみろよ」

作業服の男が、バッシング予定だった生徒を指さす

「突っ立ってるだけだろうが!
 こんなもんがあるからよう」

男はノルテを突き飛ばした。ノルテは制御できず音を立てて倒れてしまった。
一部始終は校長室からもモニターできている。
居合わせた校長が慌てる

「ああ、なんと言うことを すぐに警備員を向かわせます」
「校長、警備員を止めて貰えますか」
「衣良田さん?警備員を止める?」
「ええ、ここはノルテに任せましょう 丈夫に出来ていますからご心配なく」

教室ではノルテが落とされたグラスの状況をチェックしていた。
ガラスのコップも瀬戸物のカップも割れてはいない。
人間にはない動きでノルテは立ち上がった。

「突発評価試験は周囲に危害を与えないようにお願いします」
「なんだと」

もう一度突き飛ばそうと手を出したがノルテは躱す。
ノルテの頭を掴もうとしたがスウェーバックで躱している。
見事な体さばきに見物人達から拍手がわく。

校長室のモニターで見ているシコウは満足そうである。

「手に何も持っていないノルテなら、これぐらい問題ありません」

男はノルテの両肩を掴んだが逆にひねり上げられてしまった。

「力を抜いてください お怪我をしますよ」

男は笑われているのを見て、ノルテを振り払い 顔を見られぬよう教室を飛び出したが
廊下の角を曲がったところで警備員に取り押さえられてしまった。


今までシコウとトウコのいた校長室に男が拘束されていた。
傍らには警備員が二人立って監視している。
校長の机の上には男の端末と鍵、ハンドタオルがある。
取り上げられたIDには大場真彦(だいばまさひこ)とある。
廊下の外では男の妹がすすり泣いているのを、由岐花が慰めている。

男の向かいに椅子を置いてシコウが座る。

「さて、大場君 僕は君が突き飛ばしたロボットのオーナーだ。
 ご存じないかもしれないがアートドロイドは非常に高価なので小さな傷が付いても修復にお金がかかる。その費用は君が責任もって払わなければならない」

大場がシコウをにらむ。
だが目つきの悪いシコウのほうが圧倒的に怖い顔をしている

「言っておくが僕はブルジョアジーではないよ 働いた結果まあまあ評価を得ている男だ ここまでに学ぶべき努力を怠っていたわけではない。
 さて 大場君のウィジットはこれかな」

シコウは男の端末を手に取る。

「さあ、ウィジットを開き給え まずは残高を確認しようじゃないか 当然弁済の確認は必要だよね」

大場は渋々と端末のウィジットを開いた。日本円で15万円 2074年ではわずかな残高である。

シコウは自分の端末を操作する。

「大場君に突発評価試験のアルバイト料を払おう 少ないが受け取ってくれたまえ」

コイーン♪と音がして、男のウィジット残高が増える。
シコウは警備員に声をかける。

「さて、ごらんのとおり僕はこの大場君の雇い主なので、警備員のみなさん引き上げて良いですよ」

警備員は校長を見た、校長もシコウを見て意思を察し警備員に退出を促す。

「君の言い分もここから聞かせて貰ったが、それにしても短絡的だ
 一時の怒りが抑えきれずに君は自分の人生と、妹さんの人生も変えるところだった」

大場がハッとなる。

「すみ……ません」
「たしかに君の言い分はもっともだ、ロボットが働いている会社の税金で低所得者層に給付金を出している 働き口が少ないから抜け出せないおかしな話だ
 君の妹さんも通わせるのが大変だろう」
「はい……父と僕の稼ぎでなんとか」
「それを無駄にしては駄目だろう」
「すみません……本当にすみません」

「僕は技術屋だからロジカルに考えるようにしているが、運だけはどうしようもない
 運が悪いと思うこともあったが、幸運も多い。
 人生ここまで来られたのは運の良かった方だからだろう。
 偶然、良い師に恵まれたり、今の会社に入れたり、ノルテ型を入手できたのもそうだな。
 それと同じくらい君も運を持っている」
「?」
「ノルテが、突発評価試験にしてしまったことだよ
 あれは僕の仕込みじゃない。ノルテのAIの自己判断だ」
「……そうなんですか」
「幸いにして、君は警察に通報されるという人生の岐路をうまく免れた時間軸にいる
 ここからどうするかは君の判断なので僕は知らん
 だが、運は持っているぞ 忘れるな。
 僕がノルテを入手した幸運の延長上に君はいるんだ ロボットに感謝したまえ」
「……本当にすみませんでした」

ロボットを憎悪する大場の感情はいずれどこかでは爆発していたのである。

「ロボットが、兵器として戦場に出て人間を監視するために徘徊する国もあるが、ぼくは少しばかりは希望を持っている。 ロボットが人の思わなかったことで幸福を作り出すなら、僕はそちらを支持する」

生徒の家族と言うことも有り、大場はとがめもなく解放されることになった。
妹は何度も何度もシコウに頭を下げた。

校長がシコウに近づいた。
「いやぁ見事な説諭です 生徒の家族とは言えゲストの器物破損となると警察に通報せざるを得ないところでした」
「ご心配なく、ノルテはオウサマの世話用に特化してますが、ご近所付き合いも出来るようにしています 家の外に出れば親切な人間もいるが悪意を持った人間もいる。
 どう対処するかはノルテのケースバイケースですから一例に過ぎません。
ノルテのボディは空中1メートルから落下させても壊れませんよ」

ケースの中からオウサマが伏せてじっと見ている。
ケースにはトウコが付き添っていた。
「オウサマちゃん、目を覚ましたみたいですね」
「まさかオウサマのいる前では怒れませんよ 2.3日は近づいて貰えなくなる」

トウコは動物学者の見地からこの男なりの照れ隠しだなと感じた。
声のトーンから、取り繕っているのか本心かが 分かる。
トウコはいまのは前者だと確信している。

「衣良田さんも素敵でしたよ」
「いや、褒められたのは初めてだ」

一部始終を見てた由岐花は、この般若づらの怖い顔を褒められる城ヶ島トウコの胆力もなかなかのものだと感心した。

教室の騒動はシコウのドッキリ仕込みで、男の妹も被害者と言うことで収まった。
華麗に暴漢を躱したノルテを目撃した学生が、尾ひれをつけて吹聴したので学校内のノルテ伝説は頂点のさらに上を行くこととなったのである。
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