居酒屋殺人事件③

文字数 2,429文字

「どうした?」
 レジにいた湊が椥辻の姿に気づき、先に声を掛けた。
「佐位さんが湊さんを呼んでます」
「……分かった。将軍は厨房を調べてくれ」
 そう指示してレジを離れる。この間に調べるのは、電話かシャッターの二択。シャッターは触った経験がほとんどなく、音が響く危険性もあった。
 レジに入った椥辻は、ファックス付き電話機の受話器を取った。耳に当てるが音は聞こえない。電話線をたどってみるが、つながっている機器はランプが点いていて異常は見られない。
 電話を選択したのは間違い……そう思った時、視界に入る電話線に違和感を覚えた。不自然にたるんでいる。椥辻は電話機に電話線を押し込んだ。カチッと音がする。すると受話器から「ツー」という発信音がした。しっかりと差さっていなかっただけだった。
「何してる!」
 椥辻が振り向く。湊だった。慌てて『1』を二回連打し、指を『9』に運ぶが、押す寸前で手を掴まれる。椥辻は後ろから羽交い締めにされ、レジから引き離された。
「やっぱり湊さんが犯人だったんですね」
「なんで分かった」
「一連の行動ができるのは湊さん以外に考えられません。佐位さんが発注書をファックスで送ってる間に、厨房に行って青酸カリを入れ、佐位さんが戻ってくると、次はシャッターを下ろし、電話線を外したんです」
「お前、何者だ」
「自作自演で通報せずに時間稼ぎして、確実に殺そうとしてるんですか?」
「そうだ。即死するような毒はないみたいだからな。あんな奴は死んだ方がいい。お前もそう思うだろ?」
「あんな奴は死んだ方がいいです。けど、湊さんが殺さなくてもいいでしょう」
「……」
「思うんですけど、たぶん死なないですよ」
「なんでだ?」
「飲んですぐ、けっこう吐いてましたし」
「……」
「呼んでたってウソついてしまいましたけど、状態そんなに悪くなかったでしょ?」
「……」
 先ほど湊が座敷に行き、佐位に「何ですか?」と何度か聞いたところ「静かにしろ」と返ってきて、呼吸は乱れていたが意識もあり、しゃべれないこともなかった。
「どうやって持ってたか知りませんけど、青酸カリは空気、二酸化炭素に触れると無毒化されていくんですよ」
「……紙に包んでた」
「インターネットのダークウェブか何かで手に入れたんですか?」
「そんなところだ」
「警察が調べたら分かります。絶対あきらめた方がいいですって。放してください」
「ダメだ。次の手を考える」
 椥辻が腕に力を入れ、振りほどこうとするが、がっちり押さえ込まれている。
「きゃっ」
 軽い悲鳴が聞こえ、二人が同時に視線を向けると馬場井がいた。作務衣が割烹着を後ろから抱え込んでいる様子を見て、いったんトイレに戻ろうとする。
「待って! 電……」
 湊が手で口を押さえる。椥辻は顔を大きく振り、手が外れると「電話!!」と叫んだ。すると馬場井の体がロボットのように反転し、レジに向かって足を進めた。
「やめろ!」
 湊は椥辻から手を離し、馬場井の行く手を阻もうとする。今度は椥辻が後ろから羽交い締めにした。団子(だんご)になっている二人の横を通り抜けてレジに入る。
「話を聞いてくれ!!」
 湊の声は届かず、淡々と数字のボタンが押されていく。しばらくしてシャッターの向こう側から、デフォルトの着信音が聞こえてきた。
「スマホ、外にあります」
「いや、その電話で救急車を呼んでください」
「……あっ、そうか」
 本来の目的を思い出す。しかし、馬場井の指は動き出さない。
「何番でした?」
「1……」
「話を聞いてくれ!!」
 再び湊が言葉を遮って叫ぶ。やり返すように、椥辻は手で口を押さえた。
「11……ぐわっ!」
 手を噛まれる。回している腕が緩み、右ひじが椥辻の額を捕らえた。湊の体が離れていきそうになるが、痛みに耐えながら作務衣を掴む。
「119です!」
 渾身の力で伝え、馬場井がボタンを押す。そして、しばらく話した後、受話器を置き、椥辻に視線を向けた。
「いけましたか?」
「はい」
 返事が来ると、湊の体から力が抜け、ようやく椥辻も手を放した。

「話を聞かせてもらえませんか?」
 椥辻が声を掛けると、あぐらの状態で床に座り込んだ湊が少し顔を上げた。今さらかもしれないとも思ったが、無言のまま勝手に思い詰めて、再び無茶な行動に出るのは防ぎたかった。
「……強請(ゆす)られてたんだ。俺、来月に結婚する予定なんだけど、ちょっと前に他の女といたとこをたまたま佐位に見られて、十万円払えば動画を消すって言ってきやがった」
「湊さんのお相手って、もしかして持田店長ですか?」
「いや、前にここで働いていた子だ。だから佐位も知ってる」
 椥辻の勘が外れた。
「ボクが言うのもなんですけど、浮気くらいバレても、そこまでのことじゃないかと」
「……妊娠してて、不安にさせたくなかったんだ。俺が悪かったのは分かってる。でも、人の弱みを握って優越感に浸るあいつがどうしても許せなかった!」
 湊は握りこぶしを作ると、勢いよく床に叩きつけた。
「……佐位さんの行為は、刑法第249条の恐喝罪に当たります」
「警察沙汰(ざた)なんて……」
「今も警察沙汰なんですよ。佐位さんを訴えて、浮気はバレるかもしれませんけど、それで終わるのか、佐位さんを殺害して、自分が警察に捕まるのか、冷静に考えたら佐位さんを訴えた方がいいでしょう」
「俺は、警察に捕まるのか……」
「仮に捕まらなかったとしても、したことの罪は一生消えないんですよ」
「……」
 湊から納得した表情は見られない。二人のやり取りを馬場井は、大人の社会を痛感するように黙って聞いていた。
「……そもそもが、恐喝とか毒殺とか言う前に犯罪だったんですよ。ルールが守られてない中で働きすぎて、疲労やストレスで冷静に判断できなくなって、今度は自分たちもルールを守らなくなった。働き方が犯罪だったんですよ」
「今さらそんなこと言われても……」
 外から救急車のサイレンの音が聞こえてくる。湊はゆっくり腰を上げると、シャッターを上げに玄関に足を向けた。
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