第37話  竹田製薬工業の再生~産業スパイ防止法

文字数 6,118文字

 新プロジェクトが始動して7年目、弥太郎が特に力を入れていた【企業技術漏洩防止法】が成立した。
 所謂(いわゆる)【産業スパイ防止法】である。

 後世、弥太郎がこの法律制定に尽力しなかったら【産業スパイ防止法】の成立は15年以上遅れ、数多の技術が流出したであろうと、弥太郎の数々の功績の中でも必ず挙げられるものの一つとなる。

 弥太郎は、大学時代に度々中国語の講義を聴講していた。

 中国には二つの国が存在している。
 中国大陸の中華大民共産共和国、略して中国
 台湾島と周辺の島々を支配する中華大民自由共和国、略して台湾

 中国語の教授は、元満州国の高官を務めた人物であり、長年中国で暮らし、終戦後日本へ帰国し、大学で教鞭を取ることになったのだ。
 教授の中国の歴史や中国人の行動、価値観についての見解は、当時の文化人と言われる人たちやマスコミの表層的な中国礼賛とは全く異なるものであった。

 1972年9月、民自党の田中丸栄首相により日中国交回復が成立した。

 大学を卒業した弥太郎は、日中国交回復前後のマスコミによる企業の中国進出を煽る報道には、どこか危うさと懐疑の念を持っていた。
 弥太郎の父小弥太を初め、五菱評定の番頭たちも中国進出には慎重であった。

 五菱グループの多くの企業が台湾で事業展開をしており、業績も良く、台湾政府とも良好な関係があった。
 台湾とは敵対関係にあり、政治形態が全く違う中国に、もし、投資するとしても長期の年月に渡って中国政府の出方を見極める必要があると云う判断だった。

 五菱グループ内の企業にも積極的に進出すべきではないかと考える経営者も少数だが存在していた。
 だが、資本主義世界の法体系とは異なるうえ、共産党という巨大な利権集団の都合で法律の運用と改変がなされる社会では、安心して企業活動を行えるという保証が乏しいこと。
 中国への投資は容易だが、中国内での利益は本国への送金が難しく、中国内で再投資をするほかないことなど自由な資本の移動が大きく制限されること。
 民間の企業活動に多額の補助金を国が交付し、それぞれの企業に共産党の有力党員やその系列の人間や親族が食い込み、将来的に正常な企業活動、経済活動が行われるのか不安要素が大きいこと。
 将来的に中国経済の規模が大きくなるにつれ、日本との現在の友好関係がどう変化するか等々の問題がいくつもあり、五菱グループ全体としては慎重に事を進めると云う決定になったのだった。

 この決定に関しては、件の中国語の教授の見解も大きく影響した。
 弥太郎は、五菱グループが今後の中国との関係をどのように進めるべきかと議論が進む中、手土産を持って教授の自宅を訪れたことがあった。


 ----- 教授の書斎にて -----

 「中国人は、歓待の達人だよ。
 まるで昔からの親友のような錯覚さえ起こしてしまうほどにね。
 僕も満州にいた頃、何度も中国人の歓待を受けたんだが、その度に舌を巻いたよ。
 どうやって調べたんだろうというぐらい全てに渡ってこちらの好みを調べ上げているんだ。
 今でも忘れられないのがネズミの料理だったね。
 本物の白ネズミなんだよ、びっくりしたね。
 もちろん、中には別の料理が入っているんだけどね。
 尻尾をつまんで頭から食べるんだが、それが溶けるように美味くてね。
 あれはどうやって作ったんだろう? 生まれて初めてだったよ。
 でも、それで油断したらとんでもないことになるよ。
 彼らの本質は中華思想なんだ。
 周辺の民族を内心では見下している。
 最初は、それをおくびにも出さないんだ。
 だが、得るものを得たり、立場が変われば本性を出してくる。
 呆れるぐらい傲慢になるよ。
 周辺諸国とは闘争の歴史だ。
 弱い時は引っ込むけれど、ちょっと相手が油断したり自分が強いと思えば侵略する。その繰り返しだ。
 田中丸栄さんも中華料理だけでなく、絶妙のタイミングで故郷の越後の米や越後から取り寄せた食材を使った丸栄さんの好物が並んで、胃袋は鷲掴みされたろうね。
 日本人は人が好いからね、ころっと騙されるよ。
 中国人に掌の上で転がされるようにね。
 熱烈歓迎で舞い上がると、とんでもないことになるよ。
 中国政府は、どの様な手段で投資を受け入れようとしているのかね。
 中国は共産党の一党独裁のうえ選挙もないんだ。
 だからね、国民による政権を批判する有効な機能がないんだ。
 精々、権力争いで政権上層部が変わるだけなんだ。
 そして、党の権力者が法律を決めるんだが、彼らは権力闘争と自分たちの派閥の利権の拡大が最も大事なんだ。
 中国での企業活動は共産党の幹部との繋がりが無ければ上手くいかないだろうね。
 しかし、権力者が変われば企業活動そのものにも影響があるだろうね。
 外国企業にはそこまで露骨なことはしないだろうが、法律があるから大丈夫というような甘い考えはしない方がいいと思うよ。
 中国の法律は中国共産党のためのものであり、もっと言えば共産党幹部のための法律だと認識するべきだよ。
 西側の資本を誘致するために最初は大人しくしているだろうが、共産党が無くならない限り、資本主義世界のルールは通用しないと考えるべきだよ。
 ところで、今まで国際社会や西側の経済から離れていた謂わば後進国の中国が、一番欲しいものは技術だろうね。
 中国に進出した企業にいい顔をするのも技術を全部手に入れるまでだろうね。
 技術移転は十分気を付けないといけないよ。
 政府の支援を受けた十数億の人間が、猛烈な勢いで経済侵略を仕掛けてくるんだ。
 うかうかしていると50年後には日本のいくつもの有名企業が中国の支配下に置かれていても不思議ではないよ。
 日本人は50年、100年のスパンでものを考えるのは苦手だからね。
 僕は、本音を言うと中国にはこのまま貧乏な国でいて欲しいんだ。
 だって考えてもみてごらん。
 十数億の人間が毎日、新聞を読むようになったら、紙を作るために国中の山が直ぐはげ山になってしまうだろう。
 豊かになれば消費する資源も多くなる。
 膨大な人口を抱えた国であれば、消費する資源も膨大になるのは当然だよね。
 いずれ資源の争奪戦が始まるのは明らかだと思わないかい。
 資源の争奪戦は、領土の拡大であったり、経済的侵略であったりするんだが、行きつくところは国家間の戦争なのは歴史の示す通りだよ。
 尖閣諸島周辺の海底資源だってそうだ。
 尖閣諸島問題は棚上げになったけど、中国は何としても国際社会に復帰したかったんだ。
 日中国交回復は、そのためにどうしても必要なんだ。
 なぜ、日本は毅然として領有権を認めさせなかったんだろうね。
 中国は、あの海域から出て行かないよ。
 将来の火種を残したままになってしまったね。
 ・・僕の考えは、皆が幻想を抱いたまま中国へ中国へと(なび)いている今は、誰も聞いてくれないのが残念だよ・・・」

 「先生のお考えは、一つ一つ全てが納得の出来るものです。
 私は、先生のお教えを肝に銘じてまいります」

 中国語の教授の教えは、その後の弥太郎と五菱グループの対中国における事業展開では、常に留意すべき忠告であり教訓であった。
 また、五菱グループは、そもそも重化学工業系の企業が主流のため、戦略的技術が多く、一層慎重にならざるを得なかった。


 後に、中国の経済的発展と共に反日姿勢が強くなり、人件費の高騰、強制的な技術移転などが問題となるようになった。
 一帯一路や南シナ海の軍事基地建設など、中国もその覇権主義を隠そうともしなくなってアメリカとの間で米中冷戦が開始された。

 中国にとって唯一資本主義社会への窓口であった香港においても、中国政府の工作員や当局が雇った工作員による火炎瓶デモなどの過激な演出により、武力介入の口実が作られ、武装警察の投入によって香港の中国化が進められた。

 これに真っ先に反応したのが香港の金融機関であり、外国の金融機関が次々に撤退を始めた。
 中国化された香港では、従来の英国式金融法律が、共産党によって恣意的に運用される恐れがあり、安心して金融活動が出来ないという理由からだった。

 それだけではなく、アメリカは中国の香港への武力介入に対して、香港ドルと米ドルの交換や両替を制限した。
 米ドルと香港ドルは連動しており交換や両替は自由であった。
 この制度を利用して、中国の国内企業や外資系企業は、稼いだ金を香港の支店へ移し、人民元をドルへ交換することが出来た。
 また、裸官と呼ばれる高級官僚や共産党幹部も、中国本土内での不正蓄財を香港を経由してアメリカなどに住む彼らの家族に送金していたのだが、それが出来なくなった。

 これによって、中国の資本主義世界への窓口としての香港の役割は終焉を迎えた。
 さらに、ビットコインなどの仮想通貨を通したドルやユーロといった国際通貨への交換や両替も制限された。
 中国は、一国二制度を止めて香港を中国化したことで、経済活動の国際社会への窓口を失ったのだった。

 中国の経済的打撃は、それだけではなかった。
 サーズや武漢肺炎と云った人工的に交配したのではないかとも疑われたウイルス発生時の相も変わらない中国政府による情報の隠蔽、それに追い打ちをかけた鳥インフルエンザの発生は、世界各国に中国のカントリーリスクを改めて認識させることとなり、各国の生産工場の中国からの撤退が加速されることとなった。
 さらにこの時、中国政府が世界戦略として経済支配を目指して行っていた一帯一路が裏目に出たのだった。
 中国は、一帯一路で各国にインフラ整備の金を貸し付けていたが、その事業は中国企業が請け負っていた。
 中国企業は、当該国の企業や労働者を使わず、中国から引き連れて来た大量の中国人労働者を使役して工事を行った。
 春節になると中国人労働者は帰国し、ウイルスを持ってまたやって来るのだった。
 そのため、イランやイタリアと云った一帯一路でインフラ整備を行った各国は、新型コロナとも言われた武漢肺炎の罹患者が大量に発生し、もともと経済に問題が多かった各国は、さらに経済的打撃を受けたのだった。
 中国も経済的に打撃を受けたのだが、それを取り返すべく、各国にインフラ整備をしたメンテナンスや更新の費用を大幅に増額したのだった。
 中国が行ったインフラ整備は、情報関連を初め、鉄道、高速道路、空港、港湾、ダム、原子力発電などと幅広く、各国はメンテナンス費用の高騰に苦しむこととなり、経済的打撃をさらに受けることとなった。
 やがて、中国の一帯一路から離脱していく国が多くなっていった。
 チャイナの罠にはまって、身動きが出来なくなっていた国も、中国の影響から逃れようとする動きが活発化した。
 やがて、終に、一帯一路政策は、挫折して終焉を迎えた。

 かつて我が世の春を謳歌(おうか)していた中国は、2008年の北京オリンピックから20年以上経った頃には、経済の弱体化が窮まり、もはや世界の覇権を狙うことも隠さなかった頃に比べ、国力は見る影もなく大きく落ちていた。

 しかし、中央政府、地方政府ともに共産主義の理想からは程遠く、特に共産党幹部とそれに繋がる者たちに権力と富が集中した支配体制は変わることなく、人民から遊離した権力闘争に明け暮れていた。
 公表される情報は、敵対する派閥を攻撃するためのものが多く、矛盾する内容の情報や、それまでとは違う大幅に修正された情報が突然発表されたりした。
 国の外交も内部の権力闘争のため、一貫性が無く、外国との協定や約束も単なる時間稼ぎに過ぎず、各国からの信頼も地に落ちていった。

 共産党の一党支配体制は、崩壊を始めた。
 各地で反乱が起きたが、もう中央政府に収拾する力も権威も無かった。
 やがて、各戦区、各省が独立し、暫くの混乱の後、中国は連邦制を取るようになり、初めて選挙による大統領が選出されることになるのだった。

 中国の一党独裁体制の崩壊が始まる頃には、中国に進出した外国企業は、金融機関のみならず、ほぼ全ての外国企業が雪崩を打ったように撤退していた。

 だが、企業の完全撤退までには各国とも多大な時間と労力を要した。
 撤退や倒産さえ地方の各省政府の許可が必要なのだ。
 外国企業の税収が大きな割合を占める各省政府が、それを認める訳が無く、各国の中国撤退は、先ず、中国国内の事業縮小と云う形で進められ、日本を含め多大な時間と労力を要することとなったのだった。
 南鮮(大朝鮮民国)のようにその労力を嫌い、最初から夜逃げをする企業もあったが、中国国内の混乱が本格的になった頃には、撤退を考えていた全企業が安全のため、国外脱出をしたのだった。

 五菱グループは、中国への深入りはせず、工場建設など直接の資本投下はしなかったので、撤退に伴う労力や損失は全くと言っていいほど無かった。

 さらに弥太郎は、早くから技術流出防止のための【産業スパイ防止法】の制定が必要と考え、そのために尽力していた。
 新プロジェクト(竹田製薬工業再生計画)の始動後は、一層力を入れて取り組んだ。
 なぜなら、【産業スパイ防止法】は、国外への技術流出だけでなく、国内の技術流出についても刑罰の対象となるからである。


 近藤康平、高田裕次、里帆を中心とした武闘派は日毎に力を付けていった。
 特に、高田裕次を中心としたメンバーによるIT機器を駆使した情報収集は、近藤康平らのアドバイスに基づき遺漏なく著しい効果を上げた。
 それによって、敵対派閥の不正行為も着実にその証拠を集めることが出来た。

 また、不正行為を行った者のうち何人かを逆スパイに仕立てることに成功した。
 これによって敵対派閥の内部情報は武闘派に筒抜けとなったのだ。
 残念なことに生え抜きの社長派の中にも敵対派閥に通じる者がいたが、それらは完全に排除するか、場合によってはフェイクニュースを流すために利用することもあった。

 武闘派と敵対派閥の闘争は続いていたが、武闘派が情報を制した時点で決着はついていたのだ。
 だが、敵対派閥の人間たちは、社長派を手玉に取って来たと云う過去の事実によって油断をし、現状の正確な把握を怠ってしまっていた。
 それどころか、彼らの関心は別のことに移ってしまい、そのことが敵対派閥の敗北を決定的なものにしたのだ。

 ともあれ、【産業スパイ防止法】の制定により、強力な武器を得ることが出来た武闘派は、これから3年後、竹田社長と共に敵対派閥の完全排除と、彼らの反撃の芽を完全に潰すことが出来たのである。

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 設定
 中国の二つの国家
 中華大民共産共和国 略称=中国
 中華大民自由共和国 略称=台湾

 朝鮮半島の南にある国家
 大朝鮮民国     略称=南鮮

 企業技術漏洩防止法 略称=産業スパイ防止法 平成12年(2000年)施行
 参考史実~不正競争防止法改正(第8次改正)(平成28年・2016年1月1日施行)
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