01.【秋の夜空と乙女の初恋】
文字数 6,346文字
焼け付くような暑さが和らぎ、夏の終わりを感じさせる三月。ヴィクトリア魔法学校の生徒達は、月末に待っている短期休暇が楽しみなようで、皆一様に浮き足立っているようだった。国内の学校近辺に実家がある者は家族との時間を過ごしたり、もしくはそうでない者と共に学校に残り、友人同士で好きな事をして過ごす。それがこの学校の短期休暇のあり方である。一、二月は入学、進級に伴って忙しい日々を送っていたが、漸く纏まった休みが見えて来ると生徒達はハイテンションだ。それはエイミーと柑菜も例外ではない。
すっかり昼休みを共にすることが多くなったエイミー、柑菜、レイラの三人は、 テラスで優雅なティータイムを嗜んでいた。柑菜の足元では椿が使い魔デーに柑菜から首に巻いて貰ったバンダナの端を食んでいる。毛づくろいのつもりらしい。レニは部屋の中で放して出て来た為、恐らく彼も今頃は食事中だろう。レニが一匹いるだけで小さな虫さえ見なくなったのだから、レニ様様である。そして三人はというと、もうすぐやってくる短期休暇の話に花を咲かせていた。
あたしも特に予定無いし、これまで通りかな。まぁでも……。でも、バイトか……。小遣いも少ないし、次の休暇ぐらい考えてみようかな。レイラもこっちに残るんだろ?
レイラは嬉しそうだ。かく言うエイミーも同じようで、微笑みながらレイラと目線を合わせている。プライベートを長く友達と過ごせるのだから、彼女にとっては新鮮で楽しみなのだろう。そんな中、柑菜は頬杖をついてエイミーの方を見遣ると「そういえば」と口を開き問う。
その言葉を聞き、エイミーはギョッと目を見開いた。長期休暇の存在感をすっかり忘れていたのである。オーストラリアの学校の長期休暇は十二月下旬辺りから一月下旬までの約一ヶ月。年一回で、ヴィクトリア魔法学校もその期間が長期休暇となっていた。そして寮制である本校では、長期休暇中は寮も校内も閉鎖となる為、生徒は一人残らず居なくなる。それは、帰る家が無いエイミーもきっと例外ではないだろう。とはいえ、長期休暇にどこでどう過ごすべきか等、そんなことをエイミーが知る由もなく。ただただ気の早い心配をしてしまうばかりだ。顎に手を宛てこの世の終わりのように悩む彼女に、レイラはクスクスと笑い始めた。
にっと笑い席を立ち、テラスを後にする柑菜を見送りながら。レイラは柑菜の姿が見えなくなると同時にエイミーにズイと顔を近づける。それに驚いたエイミーが少し仰け反りながら「ど、どうしまして?」と聞くと、レイラは辺りに聞き耳を立てているものが居ないことを確認し、エイミーに問いかけた。
ヒラヒラと顔の前で手を振り誤魔化し、レイラは「わたしもそろそろ」と立ち上がる。ほぼ無理矢理誤魔化されたということは、鈍感なエイミーにも分かった。しかし、彼女は特にこれ以上問い詰めるということはしなかった。レイラが口を割ることはないと察したからだ。エイミーも紅茶の最後の一口を飲み干すと、レイラに倣って席を立ち上がる。
レイラとA組の教室の前で別れた後、エイミーは自身の席の隣──ブレインの席を見つめた。
ブレインの恋心等てんで頭に無い彼女には、レイラの質問の意図が分からず。「取り敢えず飛行訓練の時に柑菜に直接聞けばいいわね」と胸のモヤモヤの収めどころを見つけ、彼女は普段通り残りの授業をこなすのだった。
夕食後の訓練は散々な物であった。あの窓に激突した日の再来か、エイミーは校舎の壁に体を打ち付けたり茂みの中に落ちたりと、成長の兆しが一切見受けられない。満身創痍状態の彼女に、果たして夜中の飛行訓練をさせることができるだろうか。頭を悩ませる柑菜だったが、消灯時間に一度部屋に戻った時。柑菜はあることを思いつき、体を打ち付け怪我を負ったエイミーの背中に消毒液を塗りながら言った。
その問いに、柑菜は答える代わりにエイミーの箒を彼女に差し出した。それを見て察する。これに乗って窓から出ろという事だろう。だが、一度もコントロールできた試しが無い彼女にとって、それは無謀とも言える提案だ。そもそも箒に乗ってこの窓から出られるかどうかも怪しいわけで。だが、柑菜の目からは本気の二文字しか読み取れない。何か考えあっての事なのだろうと、エイミーは大人しく柑菜から箒を受け取った。そして今まで通り正しい姿勢で箒に跨る。すると、柑菜が意外な行動に出始めた。柑菜が自分の箒を手に持ち、エイミーの後ろに跨ったのだ。
頬に受ける風の感触に、エイミーはゆっくりと目を開けた。最初に目に入ったのは校舎の屋根。そして男子寮だ。消灯時間を過ぎたというのに、ちらほらと窓から灯りが見える。女子寮は二人の後ろからどんどん遠ざかり、校舎の敷地を出る前に、柑菜は体重を右にかけて大きく旋回する。身体が傾くのが怖かったのか、エイミーは頑なに体を垂直にしようと試みていたが、柑菜に「バランス取りづらいからやめろ」と言われ彼女は体の力を抜き少しだけ体を傾けた。エイミーの手に重ね握られた柑菜の手に少し力が入り、箒はどんどん上空へ向かって加速していく。
片手を離し星を掴もうと手を伸ばすエイミーに、柑菜はため息まじりにそう言う。エイミーはハッとしたように自身の手元を見ると、慌てて箒の柄を掴み体を強張らせた。途端に、二人を乗せた箒ががくんと急降下を始める。
軽量化の呪文がかかったせいか、落下のスピードは若干遅いがそれでも怖いものは怖い。寧ろ地面に近づくスピードが遅い分、落ちると自覚してしまう為恐怖は増す。頭から落下していくエイミーに追いつこうと箒を飛ばす柑菜。エイミーの方が少し遅い為間に合うのは必至だろう。だが、そんな彼女にとって思いがけないような出来事が起きる。
それは、男子寮の方から飛んできたように思えた。寮の周りの植え込みの中からだろうか。柑菜と同じように箒に乗った人影が、落下寸前のエイミーを受け止めたのである。柑菜は箒を飛ばし、急いでそちらへと向かうと。植え込みの傍で息を切らすエイミーと、人影の正体を発見した。
どうやら彼はエイミーの事を知らないらしい。学年中にはその名は知れ渡っているが、他学年となればそうでもないのだろう。まぁ、まだ彼女の学校生活は始まってたった二ヶ月なので、仕方ないことなのかもしれない。
エイミーが了承する前に、フレデリックはエイミーを横抱きにし立ち上がった。軽量化してある為軽いのだろう。余裕そうである。柑菜も困惑していたものの、一番驚いていたのはエイミーだ。突然男性の腕に抱かれ、免疫の無い彼女は耳まで赤く染めている。そしてフレデリックを熱く見つめ。彼女は完全に恋する乙女の表情になっていた。彼らの後を付いていく柑菜の目からもそれは分かったらしい。苦笑しながら女子寮へと向かっていく。先程の命の危機など、もう忘れてしまっているようだった。