第8話 孤独2

文字数 6,672文字

 ラベンダーノヨテ聖域国。
 西西南、第七区商店街。
 イヴァンはいつもの様に息子を城に連れて行く。なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、そんな妻への怒りがたまっていく。お前の仕事で、お前の役目だろ。そんな怒号を心の中で叫びながら息子を連れて城を目指す。
 イヴァンは朝のこの道が嫌いだった。時間通りに起き息子を連れて行くこの行動が、命令されている様で。
 そして息子のこいつもこの城に通うことによって次第にこの世界の常識を身に着けていく。それが俺には洗脳の様に思えて仕方がなかった。ただ常識に染まれなかった俺の世迷言だと分かっていても。
 この苛立ちを当たる場所が欲しかった。
 暫くして城に着いたイヴァンは息子を預けると、その苛立ちを横切る住民に殴り掛かり発散する。
 そして時間が経ちイヴァンはまた誰もいない家に帰ってきた。あれからヴィットリアの連絡は何もない。俺にめんどくさいガキの面倒を任せてどっか逃げやがって。
 苛立ちから近くのソファーを力強く蹴るが、少ししか動かず代わりに足先に痛み残るだけだった。
 イヴァンはそのまま蹴ったソファーに腰を下ろすと横になる。
 あのヴィットリアが子供を捨てるとは思わない、たとえそれが本当の血は繋がっていな子供だったとしても。ならなぜ何日も姿を決して一切現れないのだろうか。
 考えても分かるはずがない。子供の面倒など見てられるわけない俺は遊び呆けてすべてヴィットリアに任せていた。寝るとき以外ほとんど家に帰らなかった結果、会話もほとんどしなかった。だから俺は何も知らない。ただ……どんな理由があれ子供を置いて家を出ていくなどあっていいはずがない。まぁ、俺が言えたことじゃねーが。何も知らないからこそ変に気になって仕方がない。
 答えの出ない問題を考えているうちにイヴァンは深い眠りに着いた。
 目を覚ますと昼を過ぎていた。体を起こすと同時に大きくお腹が鳴り、体に力が入らない。
「そーいやおれ、朝から何も食べてなかったな」
 イヴァンは家を出ると、近くの商店街に向かった。
 野外に立ち並ぶ数々の食材や食べ物を見ては、今日の朝食は何にしようかとのんきなことを考え見て回る。
 ふと真っ赤な果実に目を奪われたイヴァンは立ちどまる。
「おいしいですよ」
 店員をしている若い女性がそういってきた。イヴァンは返事することなく果実を3つほど取ると1つにかぶりつきながらまた次の店を回る。
「お客様お支払いは?」
 そう言って追いかけてくる女性の体を蹴り飛ばし、イヴァンは何事もなかったかのように歩いて行く。
「あなた」
 さっきと声は違うが、また若い女性の声が後ろから聞こえる。
 イヴァンは果実を頬張りながら、また振り向きながら足を突き出す。しかし、その蹴り彼女に当たることはなかった。
 鋭い目つきで俺を睨む彼女は突き出したイヴァンの足首をいとも簡単に握っている。
「なんのつもり」
 予想していなかった現状に声が出ず戸惑う事しかできない。
 彼女はイヴァンの足首から手を離すと、鋭い目つきで詰め寄ってきた。
「今回は私が払っておきましたが、次からはしっかりと払いなさい。それに無抵抗な相手への暴力はいけません」
 そう言うとそそくさと早足でどこかへきて行く。呆気に取られていたイヴァンはしばらくその場に立ち止まっていたが我に返ったようにその場を後にする。
 女王様の教えと説教してくる輩は今まで五万とみてきたが、あんな事を言ってくる奴は初めて……いや、違う。妻との出会いもあんな感じだった。
 周りの人間とちょっと違って、この世界で孤独だった俺に一人じゃないことを教えてくれた。
 自然とイヴァンの歩く足が速くなり駆け足へと変わっていく。今家に帰れば、妻にヴィットリアに会える。そんな気がしてならなかった。
 早足で駆けて行く。
 イヴァンは家の前の通りで足を止めた。
 家の前に衛兵たちが集まり何か手続きをしている様で次の瞬間、ドアに魔法陣が一瞬現れ、建物の明かりがすべて消えた。
 おそらく、家に流れていたエネルギー全てを止められたのだ。ついに目を付けられたのだと察したイヴァンは急いでその場を後にする。
イヴァンはこの国の裏側を知っている。俺がまだ小さく、ラヴァンダ城に通っていたころ、決められた部屋から出てはいけないと決まりがあった。イヴァンは遊び感覚でその教えを破り、城の下にある最下邸を見た。
 イヴァンと一緒についてきた子どもたちは『例え教えを破ってしまっても、この城にいる間であれば神は許してくださいます。そしてより良い人生を示してくれるでしょう』という女王の言葉に正直に申し出た奴らは二度と帰って来る事はなかった。
 この国は女王陛下の教えを守れない者は全ていらないものとし排除される。
 ――だからってやすやすと排除されてたまるか。
 走りながら空を見上げると日が暮れようとしていた。夜になれば逃げやすい。
 空を見つめ走るイヴァンは自然と頬に笑みを溢す。幼い頃に最下邸に行った時と同じ決まりを破る瞬間の背徳感とスリルがたまらなくイヴァンを高揚させた。
 しかしそんなさなかふとリノの顔が思い浮かぶ。そういえばそろそろ城での授業が終わり向かいに行かなければいけない時間だ。
 どうでもいい。
 そのはずなのにイヴァンの心の中のもやもやが消えることはない。日が暮れるにつれ、そのもやもやは大きくなる一方だった。
「あああ、くそ!」
 道の真ん中で大声を上げイヴァンは苛立ちを吐き出した。胸に渦巻く厄介な気持ちを解消するために城へと向かう。自分の中に芽生えつつある感情を意識することなく。
 城の前の大広場はすごい賑わいだった。
 続々と子供が城から現れごった返している。恐らく子の中なら衛兵たちに見つかる心配はないだろうが、しかし、イヴァンの息子としてリノが目を付けられている可能性も少なからずあり得る。自ら危険な道にわたっているのだ。そんな自分らしからぬ行動に余計に嫌気がさす。
 あまりの人の多さに目を凝らしても見つからない。人ごみの中をずっと探していたイヴァンは次第に冷静になってくる。
 ——そもそもなぜ俺はこんなことをしているのだろうか、めんどくさいなら捨てればいい。面倒を見折る必要はない。俺には一切関係のないことだ。
 その考えを否定できないイヴァンは城に背を向けた。
 『またお前はそうやって逃げるのか』元親友のジュリオがいったその言葉が頭をよぎり、踏み出そうとした足を止める。しかし、イヴァンはよりよい未来など期待したくはなかった。何よりも自分自身に期待なってしたくなかった。
 また歩みだそうとするイヴァンの背中に聞きなれた幼い声が響く。
「マンマー?」
 振り返るとそこには息子のリノがいた。
 ——ほとんど一緒にいないのにこの人ごみの中でよく俺の背中を見て当てられたな。
 そんな思いを口に出すことはない。心が穏やかになり胸の内にあった苛立ちがリノの声を聴いて綺麗さっぱりと消えていることにイヴァンが気づくことはない。
 イヴァンはリノの間違いにいつもの様に言葉を返した。その声には確かに愛情がこもっていた。
「ばーか。ママじゃねー俺はパパだよ、行くぞ」
「マンマー」
「はいはいはい」
 イヴァンは適当に返事を返すと小さな小さな体を抱っこした。リノはキャッキャと喜びながらイヴァンに笑顔を向ける。何も知らないリノに向けられるその純粋な笑顔が嬉しくも辛くもあった。

 しばらく歩き細い路地に入っていく。人目のつかないその場にリノを下ろすと不安そうな瞳を向けてくる。
 無理もない。普段ならまっすぐ家に向かって、そろそろついている時間だ。しかし、今のイヴァンには止まる場所がない。
 だから、リノを雨風しのげる家に置くためにもこの場所に来た。数日前までたまり場にしていたすぐ横の路地だ。
「マンマー?」
 弱々しい声からリノの不安が伝わってくる。
 イヴァンはリノの頭を優しくなでると小さな声で言った。
「ここで待ってろ。大丈夫だから」
 背を向け歩き出すイヴァンの服の裾がリノに掴まれた気がしたが気にせず、少し開けた路地裏に姿を現す。
「おい。来たのかよ」
 ふとっちょのダニエルが大声を張り上げる。隣にいるミケーラはけらけらとただ笑っている。
「ああ、相変わらずだな」
「なんだよ。急に顔出さなくなってよ、お前まで女王のっていうのかと思ったぜ」
「ちげーよ。……ただお願いがあんだ」
「お願いだ?」
「ああ。出来たら止めさせてくんねーか、一晩でいいからよ」
「あ?めーつけられた奴を止めるわけねーだろ」
 ダニエルが豪快に笑うと、その裏でミケーラが静かに笑う。
 イヴァンは初めからこうなる想像はついていた。以前のイヴァンならこいつらに無理矢理いうことを聞かせるてただろう。しかし、今はそんな気にはならなかった。
 どうすればいいか悩んでいると、小さい手がイヴァンの指を握った。
「マンマー?」
 心配そうに問いかけるリノと目が合う。どうしてこの場にリノが、と大きく驚くイヴァンとは対照にダニエルとミケーラがお腹を抱えながら笑った。
「連れてきてんのかよ!そんなお荷物!」
 ダニエルに続きミケーラも嗤う。
「ママ!イヴァンがママ!どうやって生んだんだ~イヴァン」
 大爆笑する2人に背を向けイヴァンはリノの手を握り歩き出す。
 この嘲笑はイヴァンが受けるべきものであってリノに与えるべきものではない。急いでその場から離れようとするイヴァンの背中にダニエルの声が届く。
「良いぜ止めてやっても!俺たちが大人の遊びを教えてやるよ。ガッハハハ!」
 またしても腹を抱え爆笑する2人にイヴァンの拳が出ることはない。息子の前でそんなことできるはずがない。
 リノは自分とは同じようになって欲しくないと、イヴァンはただそう思っていた。
 リノを抱きかかえると速足でその場を後にする。
 それからニコレッタとクララも家を訪ねたが相手にされなかった。無理はない、結果は初めからわかっていた。それでも一筋の可能性があるなら行動した。背中で寝ているリノの寝顔を見たとき、諦めてはいけないとそう思った。
 しかし、結果は何も得られなかった。イヴァンの知り合いはもういない。
 行く当てもなくぶらぶらと大通りを歩く。賑やかな声に目を覚ましたリノが周囲を興味深そうに見つめる。
こういう商店街に来るのは初めてなのだろうか。ただその景色にウキウキで目を輝かせている。
リノにとっては目新しいのか、お腹空いているのか、食べ物を指刺してはもじもじし、今度は俺の手をその食べ物の方へと持っていく。
 しかし、今のイヴァンにはこの食べ物を払えるだけのお金を持っていない。息子の前で強引に食べ物を奪うわけにもいかない。できることとしたらリノに静かに謝るしかなかった。
「ごめんな、今の俺には買えないんだ」
「買わないならどいてくれ」
店員の言葉にイヴァンは黙って頷く。
城での授業の疲れがたまっていたほどなくしてリノは俺の腕の中で眠りに着いた。ほんとうにすやすやと無防備に寝ている。
適当に歩くと大きな広場に着いた。日は暮れ周りに人の姿はない。
ベンチに腰を下ろすと目を覚ましたリノがよくの広場に興奮した様子で体から降りていく。近くの噴水に手を入れてみたり、かけっこしてみたりと本当に無邪気に遊んでいる。その息子の姿を遠目で見て、イヴァンはただうなだれた。
この先どうすればいいのだろうか。家も、お金も、食べ物も失った。俺一人ならいつもの通り適当に遊んで最後はなるようになればいいと本気でそう思っていたが、今はそうはいかない。
 すべてヴィットリアのせいだ。以前の俺ならそう思っていたかもしれないが、今はそう思う気力さえない。誰もいない、孤独だ。どうしようもない不安がただイヴァンを襲う。ヴィットリアも同じ気持ちだったのかもしれない。そう思えば思うほど大きな罪悪感が押し寄せてくる。
「パッパ」
 その言葉に顔を上げるとリノが顔を覗き込んでくる。その時、自分の頬に流れる一筋の光に気が付いた。イヴァンは両手で目元を吹きながら震える声を隠すように息子に問いかけた。
「どうした」
「パッパ」
 そこでハッと我に返ったイヴァンはリノの顔を見つめる。
「今パパって言ったか?」
「パッパ!」
 リノはイヴァンの気も知らずに無邪気にその言葉を言って笑った。
 イヴァンは勢いよくリノを抱き寄せると情けない声で涙を流しながら言った。
「ああそうだ、俺がパパだ。ごめんな、ほんとにこんな無責任な俺でごめんな」
 もうとめどなく流れる涙を拭き取ろうとは思わなかった。情けなくみじめな自分からもう目を背けないために。

同時刻。
ラベンダーノヨテ聖域国、ラヴァンダ城内、情報監視室。
沢山の液晶画面が開かれる中、中央の壁に張られた巨大な液晶画面にイヴァンの顔が映される。
「女王陛下の命によりイレギュラーヒューマンとし、ナンバー9252M2―46を対象に加え、捉え次第即刻拷問し処刑します」
 スクリーナ目に佇む彼女は静かな声で言い捨てると、小さな液晶画面を操作する別の女性が淡々と現状を報告する。
「ターゲットを発見しました。西西南、第五区繁華街外れ第12小庭園。今からデータ共有を始めます」


 リノを抱きしめていたイヴァンは不自然に自分へと向けられる監視機に目を向ける。ぴこぴこと点滅する赤い光が危険を予感させると、遠くからがガシャガシャと迫りくるもの音が聞こえる。
 住民がほとんどで歩かない夜中だからこそ、イヴァンは気づくことができた。
 イヴァンは自分の直感を信じ、立ち上がると同時にリノを抱いて走った。リノはイヴァンから違和感を感じ取ったのか、無邪気な笑い声を止め静かになる。
 好都合だった、イヴァンは暗がりを走りながら監視機を見つめた。やはり走って逃げるイヴァンを追って監視機は動いている。
 何の策もなくイヴァンはただ走って逃げた。何とか監視機の死角の路地を見つけ飛び込むイヴァンは肩で息をする。
 この街に張り巡らされている監視機の数に脱帽する。全ての生活を監視できるプライバシーなど存在させない街の作りにこの国の異常性を改めて実感させられる。
 近くで衛兵たちの声が聞こえ一気に緊張が立ち込める。そんなイヴァンの恐怖を感じたのかリノがぐずり始めた。
「大丈夫だ、パパが付いてるから。パパは絶対にお前から離れないから」
 優しい声をかけるが、リノは声を上げて泣き出してしまった。
「見つけたぞ!」「回り込め!」
 衛兵たちの怒鳴り声が響きわたる。イヴァンはすぐに腰を上げると苛立ちを隠せない。
「くそっ!」
 イヴァンはただ逃げた。血反吐が出るほど逃げた。まるで自分の人生を物語っているかのように世界があざ笑っているかのように足を引っ張る。イヴァンはその恐怖から必死に逃げた。何にも目を向けたくないイヴァンは逃げた。考える事から逃げた。自分から逃げた。努力から逃げた。
 そんなイヴァンに現実を知らしめるように槍が勢いよく飛んでくる。当たり所が悪ければ即死。息子がいるのにも関わらずお構いなしだ、おそらく多少の犠牲などどうでもいいと思っているのだろう。
 その矢先、一本の槍が足の裏に刺さり、そのまま倒れ込んだイヴァンは地面を滑った。何とか傷つけないようにリノをかばったが、痛みと衝撃でむせて言葉を発することができない。
「ごほっ……りっ……ごほっ……ごめんっ……な」
 驚いたのか怖いのか分からないが、リノはただ泣きじゃくるだけで何も発しない。イヴァンは必死に痛みに耐えながら足に刺さった槍を引き抜くと、自分の喉元へ刃を向ける。
 迫ってきた数人の衛兵たちが不自然に走っていた足を緩めその場に立ち止まる。混乱している衛兵たちにイヴァンはただ笑みを浮かべ問いかけた。
「生きて……とらえな、いと……いけない、んだろ。へっ……なんだ、その眼。みじめか?それとも、哀れか?」
 女王の教えが絶対である。それが当たり前として生きてきたものの、異常なものを見る目。その眼をイヴァンは何度も向けられてきた。
 ——こんな糞みたいな人生の終わりもその眼を向けられ終えるのか。最後に最後に言うセリフがそんな言葉か。
 自分に突っ込みたくてまた笑いがこみ上げてくるが、痛みのせいでうまく笑えない。代わりに口から血が漏れる。
 ——まあ、もういいや。リノ、できるならお前はそのまま泣いててくれ。こんな最後をお前には見せたくはないから
イヴァンは静かに目を閉じ、両手で握っていた槍に力を込めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アデリーナ (主人公)

魔女の眷属として召喚された騎士 誇り高く凛々しく正義感が強い

ブル―のことが好き

ブルー・デ・メルロ

魔女の眷属といて召喚された騎士 感情の起伏が薄く口数が少ない

アデリーナを気にかけている

シルビア・デ・メルロ

氷の魔女 ラベンダーノヨテ聖域国の女王

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み