文字数 1,176文字

   六
 笠岡邑の長、笠造が磐余彦たちを丁重に迎えた。
「皆さまには御礼の申しようもございません」
「これに懲りて、近隣の漁師たちとも(よしみ)を結んではいかがですか」
 磐余彦が言う。
「おっしゃる通りです。儂らも芸予や塩飽の衆と盟約を結ぶことにします。何かあれば互いに助け合うほうがずっと幸せです」
「良かったですね」磐余彦が微笑んだ。
「これも皆さま方のお蔭です」
 磯八が助け出された幼い子を抱いて深々と首を垂れ、漁師たちもみな頭を下げた。
 磐余彦の前には魚や貝の干物、野菜などがどっさり積まれている。村人からの心づくしの贈り物である。
「ところで皆さま方は、何ゆえにヤマトへ向かわれるのですか?」
 笠造が訊ねた。
「良き国を建て、民を幸せにしたいのです」
 磐余彦がきっぱりと答えると、村人から「ほう」とどよめきが起こった。そのとき磯八が叫んだ。
「できます! 皆さま方ならきっと!」
 磐余彦がにっこり微笑む。その後ろで五瀬命をはじめ仲間たちも誇らしげにうなずいた。
「どうか、こいつらが幸せになれる国を……」
 磯八が子供の頭を撫でながら言葉を詰まらせた。
「さあ、儂らも頑張らねば!」 
「おう!」
 笠造の掛け声に、村人がいっせいに声を上げた。
 結束の強さで知られる瀬戸内水軍の名は、これ以降広く知られることになる。

 平安末期に真鍋氏が栄えた笠岡諸島では、武士の勃興する鎌倉時代に陶山(すやま)氏が勢力を持ち、笠岡城が築かれた。現在の古城山である。
 城下町が整備され、笠岡諸島で生産された塩をはじめ多くの海産物を積んだ船が、兵庫の港との間を行き来した。
 その陶山氏の後を引き継いだのが、瀬戸内海賊として名高い村上氏である。
 軍事的にも商業的にも重要な拠点として発展した笠岡港は、水軍の前線基地となり、村上氏は中国地方を支配する戦国武将、毛利氏の重臣として繁栄の一翼を担った。
 村上水軍の名を一躍高めたのは、天正四(一五七六)年の織田信長との第一次木津川口の戦いである。
 この海戦で毛利・村上水軍は、石山本願寺への補給路を海上封鎖していた織田信長の水軍を打ち破った。
 このとき毛利・村上水軍が用いたのが焙烙(ほうろく)火矢である。磐余彦が用いたのと同様、素焼きの土器に火薬を詰めて破裂させる武器である。

 笠岡の漁師たちが塩飽諸島の入り口まで送り、そこから先は塩飽の水軍が先導してくれた。
 さらに、「良き国を建てたい」という磐余彦の思いに共鳴して、多くの若者が陣に加わった。

 さまざまな思いを乗せて船は東へと進んでいく。
 海は静かに暮れていった。

 のちに「神武東征」と呼ばれる英雄(たん)の中で、歴史からこぼれ落ちたささやかな出来事が瀬戸内の海で起きていた。
 笠岡湾で発見された銅戈は、そんな思いを抱かせる興味深い遺物である。
                                        了
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