待ち合わせ

文字数 1,729文字

 オフショルダーの真っ白なワンピースはこの日のために下した。小さなビニールのバッグに大きな麦わら帽子。メイクもしっかりして、着く予定の時間は待ち合わせの十五分前。ピンクのリップで鏡にほほえんでみる。かわいいって、思ってくれるかな。どきどきしながら引いたリップはどこまでも私の味方だった。
 靴箱の前で立ち止まって、サンダルのヒールに悩んで十分。結局自分よりずっと背の高いあのひとに届くように、少し高めのウェッジサンダルを選ぶ。今日のためのネイルがぴかぴかと輝いて、浜に届いたシーグラスみたいだった。着く予定の時間は待ち合わせの五分前。少し余裕はなくなってきたけど、十分間に合うはずだ。
 バスは定刻通りやってきた。意識して足を上げて乗り込む。車内は、プールに行くのだろう親子や、ショッピングで何を買おうかと楽しげに話している学生で賑わっていた。
 膝に麦わら帽子を置いて、窓の外を眺める。太陽に焼かれたアスファルトを癒すように、青々とした街路樹が影を落としている。夏が窓の外を流れていく。冷房で涼しい車内は快適だけど、肌にじんわり汗を滲ませるあの暑さが少し恋しくなってきたころ、目的地に着いた。足をつけた瞬間に地面から立ち上る熱と、吹き抜けていった潮風の涼しさが心地よかった。
 待ち合わせ場所はこのバス停だった。彼はまだいないらしい。細めの腕時計を確認する。待ち合わせのちょうど十分前。予定通りだ。バス停のベンチは日陰だけど、冷房から引き離されたからだに暑さが忍び込んでくる。
 この後、海にも行くし。
 近くに自動販売機があったことは覚えていた。彼が来るまで後五分。自販機はほんの数十メートル先だから、そこからでも彼が来たらすぐにわかるはずだ。立ち上がった途端ふわりと風に広がったスカートに口元をゆるめて歩き出した。
 少し古いからか、人通りの少ないこの場所のせいか、メンテナンスもさほどされていなさそうな赤色のはげた自販機には、少し珍しい商品も混ざっている。どれにしても百円で、しばらく迷う。ジュースだとすぐに喉が渇いてしまうけど、気分はサイダーだ。散々迷って、どこにでもあるサイダーのボタンを押した。だって夏だもの。そうだ、もし彼がもう来ていたら、こっそり近づいてペットボトルをくっつけて、おどかしてみても楽しいかもしれない。くすりと笑うと、夏色のイヤリングが耳元で軽い音を立てて揺れた。
 待ち合わせまで、もう時間はない。すぐに歩き出せるように立って待つ。彼はまだ来ない。
 待ち合わせから、十分。まだ立っている。「遅れてごめん」と息せき切って彼が来るかもしれない。そうしたら言ってあげるんだ。「全然待ってないよ、バスが遅れちゃって今来たんだ」って。
 待ち合わせから、三十分。軽い音を立ててサイダーのペットボトルを開ける。数口飲んでも渇いた喉は変わらない。携帯で送った「何かあった?」のメッセージに返信はない。
 待ち合わせから、一時間。バスを数回見送った。私が乗るのかと思って停車させるのが申し訳なくなって、バス停から離れた。少し遠くのベンチに日よけはないけど、ここからでもバス停はよく見える。彼が来たらすぐにわかる。
 待ち合わせから。
 垂れた汗が化粧をまだらにして膝に落ちていく。サイダーはもう生ぬるい。携帯は静かだ。メッセージを読んだ様子もない。電源を入れるのを忘れているのかもしれない。無意識に口元に運んだ爪に歯を立ててしまいそうになって、はっと膝に手を下した。今日のためにしたジェルネイルはつやつやと夕焼けを照り返して輝いていた。
 思い立って電話をかける。数回のコール。
「おかけになった電話をお呼び出しいたしましたが、おつなぎできませんでした」
 風はいつの間にか止んでいた。

 待ち合わせから、一週間。視線を感じながら、あの日彼に見せたかった服で歩く。ふわふわと揺れる白いワンピースの裾。浜辺のシーグラスのようなネイルに、彼が前にかわいいって言ってくれたナチュラルメイク。大きいつばの麦わら帽子。
 周囲の囁き声も、真っ黒の喪服の群れの中をひとり白いワンピースで横切ることも気にならなかった。あの日来なかった彼に最期の挨拶をするのなら、一番かわいい私がよかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み