第1話

文字数 1,506文字

 家電量販店で、テレビの前に立ち止まる。映されているのは借りぐらしのアリエッティだ。赤い服を着たアリエッティが、瑞々しい緑の葉をかき分けて進む。映像美をアピールするにはうってつけだが、美しいのはテレビの力ではなくて、ジブリの力ではないかという気がしてならない。私にはテレビの購入予定が無いのでどうでも良いのだけれど。
 幾台ものテレビが、私に向かって光っている。アリエッティは何人にも分裂して、みんな同じ動きをしている。テレビの画面の中に集中せず、このテレビコーナー全体を眺めるようにしていると、だんだん店内放送が攻撃的なほどうるさく感じてくる。右に、左に、カメラワークが変わるたびに、私の頭はシャッフルされて、気分が悪く、両手で頭を押さえる。ぐぐっと痛みがあり、頭皮を突き破って、猫の耳でも生えてくるんじゃないかと思い、親指の付け根の固い部分で、より一層強く頭を押さえる。
 しばらくそうして、我慢の限界が来たら、視界に余計なものを入れないよう、目を細めて店の外へと急ぐ。退店音と同時、涼しい風が吹き抜けて、ああ、もう秋だったと、鱗雲を見上げて思う。
 歩道沿いのベンチに体を預ける。ここは静かだ。平日の昼過ぎで、人通りも少ない。今日はもうずっとここに居ようか、と思った瞬間犬の鳴き声が聞こえた。散歩中のチワワだ。人懐っこいチワワは、こちらに駆け寄ろうとするが、飼い主にリードで制限されている。犬が人の笑顔を認識できるのか知らないが、私は笑顔を作って見せる。迷惑に思っていないという、飼い主の男性へのポーズだが、実際はチワワが苦手なので、出来れば早く通り過ぎてほしいと思っている。口角を上げるのが下手なので、さらに意識的に歯を見せる。しかしチワワの私への興味は長続きせず、ふいと進行方向へ向いたから、作り笑顔は意味もなく静かな空間に残された。
 心地よかったはずの静けさが、なんだか虚しく思えてくる。私はチワワを嫌がりながらも、それでもお構いなしにこちらへ駆け寄ろうとするチワワを、疎ましく思いたかったのだった。私の気持ちを汲まずに一方的に向けられる好意に安心感を覚えたかった。それに気づいてしまったら、やはり気分が重く、この何もない空間、時間、私を縛らない自由さが、ねばねばと身体にまとわりつくのに触れない、実体のないスライムのように思えてきた。あの、チワワを繋ぐピンク色のリードを思い出していた。羨ましいのかもしれない。
 頭痛がして、頭に手を当てる。やはり耳は生えてきていない。生えてきたとしても、やはり私は猫だろうと思う。あの、犬の濡れた瞳。遠慮のない息遣い。人懐っこさ。きっと何一つ真似できないだろう。
 私は考えるよりも先に立ち上がり、来た道を戻っていた。家電量販店に入ったら、視覚も聴覚も忙しく、さらに何も考えられなくなった。意味もなく一周して、やはりテレビコーナーで立ち止まる。これは、私の冗談のような自傷行為だ。家電量販店のテレビコーナーは、無料でストレスを感じれる空間だ。小さい頃、この鮮やかさに目を奪われたまま、迷子になったことがある。そのせいかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、そうかもしれないが、そう、テレビは、そう、うるさい、音は、ない、映像がアリエッティだ。緑と赤。緑と、赤。私、アリエッティならここに借り暮らす。でも店長が私をマークしている。私は歯を見せて笑う。店長が私の笑顔を認識できているのか分からない。分からないが、そろそろ耳が生えても良い頃合いだと思っている。やはりこれは冗談ではない。全くもって、冗談じゃない。自ら首を突っ込んで私、家電量販店にリードを握ってもらっている。
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