第1話

文字数 1,516文字

 電話が鳴る音だけで誰がかけてきたのかわかる、と言うといかにも嘘くさい。だが、あの男からの場合はべつだ。受話器が躁状態になったように陽気な音を出す。
 彼がはじめてかけてきたのはもう六年も前のことだ。
「おたくで学校関係のものが手に入ると、松下さんから聞いたのですが」
 松下というのは同業者の古物商で、金になるならどんなことでもやる男だ。
 私の両親が教師で、親戚も教育関係者が多く、その縁故で伝手がある。そうしたことを松下から聞き込んだのだろう。
 男は甲高い、声変わりしそこねたという声で「卒業文集が欲しいんですよ」と続け、具体的な学校名や卒業年度をいくつかあげた。
 最後に提示された金額は高額だった。頭の中で残金四桁の通帳が六桁に増える光景が浮かんだほどだ。
 伝手をたどり無理を言って卒業文集を集めた。男に連絡すると、すぐに入金があった。届け先は東京の私書箱だった。
 発送を終え、以前から催促されていた古書組合のツケを払って、やっと人心地がつく。
 最近気晴らしとして始めた盆栽の手入れをしていると、ふと疑問が浮かんだ。
 どうして東京の人間が、愛知県の卒業文集を必要としているのだろうか。
 世の中には様々なコレクターが存在している。
 本に線引きしたり落書きされた本を『痕跡本』などと称して、集める人間さえいるくらいだ。卒業文集マニアがいてもおかしくはない。
 なにか腑に落ちない気もしたが、深く考えないことにした。顧客の趣味をいちいち気にしていたら商売にならない。
 そんなある日、テレビを見ていて発送作業の手が止まった。
 若い女性を五人も殺した男の卒業文集がワイドショウで映し出されていたのだ。
 たわいない文章だったが、キャスターの悪意のある紹介のあとでは、いかにも犯人にふさわしいものに思えてくるから不思議だ。
 頼りなく歪んだ文字も、先入観からなのか、小さな頃から性格が歪んでいたように思えてしまう。冷静に考えれば、子供が大人のようなきれいな文字が書けるはずもないことがわかるのだが。
 この手の事件が起きると、どうやって入手するのか、必ず卒業文集とか、卒業アルバムが登場する。
 そう思ったときに、あの男の声が脳裏に浮かんだ。
 そうか、これが目当てで卒業文集を欲しがっていたのか。疑問が解決して、のどに引っかかった魚の小骨が取れたような気分になる。

 例の男から電話があったのは、それから一月後のことだった。
 注文を受けて、頼まれたものを集めるのに奔走した。最近は個人情報などとうるさいうえに、相場があがって手に入れるのが難しくなっている。
 コネがなかったら、とても無理だったろう。
 発送前に状態をチェックしながら、卒業文集を眺めた。
 最近、マスコミで話題になるほどの重大事件があっただろうか。
 心の中に理由のない不安が生まれた。それを追い払うため、男に送った商品の控えを取り出して、ネットで検索をしてみた。
 あの女性連続殺人の男が卒業したと思える学校の文集はたしかに控えに書かれていた。
 だが、事件が起きる二年も前に、卒業文集を男に送っていたのである。
 もう一度、男に送る卒業文集を手に取った。
「けいさつかんになりたいです」
「しょうらいのユメは歌手になることです」
 こんな無邪気な子供たちのなかに、いずれはマスコミを騒がせるような犯罪者が紛れ込んでいるというのか――。
 私はため息とともにページを閉じた。
 気を落ち着かせるために盆栽に水やりをしていると、忌み枝と呼ばれる交差枝を見つけた。
 伸びている枝を切詰めるか。それとも針金で矯正すべきか、剪定ばさみを手にして私は考え込んだ。
 人間と違い盆栽は悪い部分がすぐにわかるのがいいところだ。
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