第1話    美枝子

文字数 2,712文字

  「バカじゃない?」美枝子笑ったあの笑顔。「みー」と俺が勝手に言った女が居た。2019年の4月半ば前頃、急逝した。辛い混濁の中、平成の終わりの一日を白痴の如く「みー!」と喚んだ。2009年の矢張り4月頃、路上で知り合った。俺は街路の客引きだった。いつもの如く、いい客が居ないかとアチコチ見乍ら突っ立って居ると、突然向こうの歩道をヒョコヒョコ歩いて行く女が居た。30から35の間ころか。眼が怒っていた、目全体が眉毛迄もが吊り上がっていた。両拳を握り締め、体も小刻みに震えている様にも観えた。体内の性の衝動が突き上がって制御不能に成ってしまったと云った態であった。「アレ、塚ちゃんいいんじゃん」脇に居た友人が言った。「ん、」俺は駈けた。26で同棲し子も儲け40半ばで別居離婚に至る迄、散々妻には挑んだし、男の自信は付けていた筈だったが。如何せん25歳の知り合い当初が悪かった。熱情だけは異常に有ったのだがカネが無かった。為に、ただ只管愛を失うまいと、女に夜毎突進したものである。実際女も応へて呉れた。5・6歳の幼少時、両親は離婚し俺は父子家庭であった。2・3上の姉は居たものの母は居ず、女のトリセツなど全く学べなかった。父また陸軍伍長上がりのスパルタ権化で、何かに付けゲンコだった。青雲15で精通を知り、20代半ばと云う青春真っ盛り迄それを持て余した。それが突如として、吾が前に天女の化身か、オンナが現れた。金など欲しいと思った事はなかった、女は欲しかった。以後2人の女児に恵まれ一家庭となって行くが。この2人の子を成人ハタチ迄にして家族が離れ、以降独り身だった。アノ熱い塊は何んだったのか。飢えて居た、女に。然し余りにも烈しく、初めての大人の女に若さのエネルギーを注いだ為に、満足させねばならないと云う感覚が無意識に刷り込まれ、識らず俺の爪は抜き取られていった。「みー」と会った55・6のこの時も約十数年、声を掛けて誘う事すら出来ず女に怯える爪の無い俺が居た。だが目の前の女は何んと怯えて居たのである。そして瞳の中は「掴んで」とハッキリ叫んでいた。「うち、行こうよ、近いから」。女は黙って小さく頷いた。そして直ぐタクシーに乗り5分と掛からぬ吾が家に行った。客引きと云う仕事柄24時間自由であった。ひと間の吾が家に着き、俺は直ぐに彼女に抱き着いたが「オ風呂、入りましょう」と、ヤンワリ。シャワーは自在温度で出る。2人でシャワーを浴び、七・八分に段々溜まった湯に浸かった。そうして2人はデキた。女はアパートに住み着いた。彼女の事は殆んど聞かなかった。これは俺の性格だとも思うが、細かい事はいいのだ。生活上の金は、毎日1万2万と稼いでいたので不自由は無かった。途中彼女の都合で会えない時が2・3年あったりもしたが、その間に同じ町内の違う所に越した。ガラケーに電話が入った「フフ、何してるの」「オっ、みーか、なんだよ会えるのか、来いよ」縒りは直ぐ戻った。アチコチ名所行き、映画館・居酒屋・温泉旅行・食事。ドライブの時はレンタカーで意気揚々出掛けた。そうこうして彼女は移り住んだ家にもちょくちょく来る様になった。「結婚して」とも言われた。だが俺は1度しているし子供も作った、歳も56。色良い返事など出来なかったし沈黙だった。最後来た日、いつもは電話してから来るのに「コンコン」ドアを叩いてズンと来たのである。「オーゥ、みー!」俺は家に居た「電話すれば良かったのに」その儘きつく抱いた。みーの交情はいつになく積極的だった。暫くの交歓と会話も終え「みー」は歩いて15分程の実家に帰る事となった。「タクシー、呼ぶか?」「うん」共同無線タクシーを呼んだ。「送るか?」彼女は頷いた。5分程でタクシーは来、2人で乗車したが俺は「みー」の家を知ってはいなかった。車中「胸が痛い、薬屋寄って」「分った」と言ってマツキヨの前で下ろし「ムリすんなよ、ちゃんと体、気を付けろよ」と声を掛け、その儘タクシーでUターン帰宅した。1週間も過ぎた頃だったろうか。「塚さん、みーちゃん死んだみたいよ」「えっ」。20年以上付き合っている友人からの電話だった「心臓悪かったみたい」「そお、うそ、死んだの?」「うん、死んじゃった」。何んでも実家に電話掛けたらお兄さんが出て、みーちゃんが死んだと言ったそうである。亡くなったのは俺に会って帰った翌々日だった。帰宅した翌日、家で心臓が痛いと言ったので病院に連れて行ったと、後日お兄さんにお会いし初めて聞いた。決意のエストロゲン乱舞だったのだろうか。お兄さんは彼女にそっくりだった。最初訪ねた時は自宅に居らず2・3度目にお会い出来た。驚いたのはビル持ちの大家だった事である。「みー」は貧乏人と思っていた。「関西に旅行に行きたいと言ってました、連れて行って上げられなかった、」話した事も無かったお兄さんと対面し、自らの心中を言の葉として漏らす内に、思わず嗚咽してしまった。関西はみーが初恋の相手と駈け落ちした地だった。その想い出の土地に、年嵩の俺と同行したかったのか。今60代の中にも成って、15程も年下の美枝子と云う女性と付き合っていた此の己れである。お兄さんとしても会いたくはなかった筈だし、こちらも門扉を叩くのには相当の抵抗があった。だが、俺は行った。叩かれてもいいと思った。然し、こちらの嗚咽の涙を見た時に全てを覚ったかも知れない。「何も話さないコでした、」そんな事は言っていた。30分程、俺は一方的に夢中で話したが、靴を履き辞する迄温かくして呉れた。その後、折に触れて訪問したいと思うのだが、なかなか出来てない。わが残余2・30年の今、復た淋しくなった。みーは、自らの命を自覚して居たのだろうか。「勝正さん、新しい道へ進んで!ありがとうございました」そう「みー」の声が聴こえる!路を行く子供達の笑い声が、大小の風と葉音の騒めきの様に耳にも届く、あの広い運動場の様な心の空間でポツネンと黙って座って居た女性。母親は寝たきり状態で中学校も可成り休んでの看病だったらしい。焼き肉屋に行った時、お父さんは彼女の幼少の頃どこかへ行ったと話して呉れた。その父は絵の上手い人だったらしいが、みーの描いたものは、1人ブランコに乗って居る後ろ姿の少女だった。俺はこの絵を観た時に「何か」が分った。わが手許には、ドライブで手繋ぎ連れ立ち行った箱根の山のゴンドラ内で、ガラケーで撮ったみーの写真が形見として引延ばして有る。俺の今の習慣は、毎日「みー、ありがとう!」と写真に向かい叫ぶ事なのである。 
 寂の世で令和の光り美枝が浴び。  <完結>
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