解散前夜

文字数 2,125文字

 相方という呼び方は、お笑い芸人だけが使うものではなくなった。近頃の若者は恋人や友人のことを親しみを持って相方と言うらしい。近年売れる芸人は仲が良いことをウリにしたコンビばかりだから、そんな風になってしまったのかもしれない。


「本当に芸能界を引退するんですか? ただ、コンビを解散するだけでは駄目なのでしょうか?」

 25歳から10年間司会を務めていた番組の生放送が無事終わり、いつもの楽屋でタバコを吸っていると、マネージャーが寂しそうに扉から入ってきた。新卒1年目の時から俺らについたからもう5年になる。今は他の芸人の担当もいくつか兼任しバリバリ仕事ができる頼もしい女性になった。年度が変わる明日からは昨年末の漫才大会からテレビで引っ張りだこのコンビ専属担当になるらしい。育てたと言ったら大げさだが、少し誇らしい気持ちになる。

「もうテレビでネタをやる機会が正月にしかなくなったからな」

「劇場の出番、交渉して取り戻します。放送作家やディレクターとも掛け合います。そこから一緒にネタ番組作りましょう。今からでも引退撤回して貰えませんか?」

「俺が1回言ったら意見曲げないの分かってるだろ」

「……そうですよね。短い間でしたが、お世話になりました」

 震えている声、いつも以上に小さく感じる身体。最近はピンでの活動が多かったから、スタジオの行き来が多く面倒をかけたと思う。落ち着いたら彼女に選ぶのを手伝ってもらって花かお菓子を送ろう。

「頭上げろ。1時間後には別スタジオなんだろ。胸張って行ってこい」

「はい、行ってきます」

 なんか、あんな風に引き留められるとマネージャーが相方みたいだな……と思いつつ、名残惜しそうな背中を見送った。


 俺と「相方」は完全にビジネスパートナーだった。養成所時代にピン芸人として活動していたら、コンビを解散したばかりの「相方」が声をかけてきた。最初はネタや芸風のことで毎晩公園で喧嘩をしていたが、途中から「相方」はネタを書いてこなくなり、俺がネタを書いた紙を渡しても喧嘩をしなくなり、いつの間にか会話もしなくなった。

 今ではお互いの連絡先も住所も知らない、収録のカメラが回っている間だけの関係である。しかもここ数年は一緒の仕事もなかった。俺はバラエティーやラジオ、「相方」はドラマのチョイ役とたまにその番宣。コンビとしての需要がないと気が付いた時、寂しいとも悲しいとも全く思わなかった。

 だが、全ての仕事を終えた今、心にぽっかりと大きな穴が開いている感じがしている。マネージャーのスマホを借りてコンビを解散して芸能界を引退したいと伝えたあの時にできて、少しずつ少しずつ広がっていったこの穴を、どうやって塞いだら良いのか検討がつかない。

 コンビを解散してピン芸人として活動する、そんな道も勿論あった。社長から何度も提案されていた。昨日も言われたばかりだ。でも、2人で毎日路上でネタをして、大会で何故か準優勝して、そんな日々があったから今がある。1人ではここまで来られなかった。2人の努力で積み上げたものに胡坐をかいて1人で座ることに抵抗があった。嫌いだが、俺の相方はあいつなのだ。


 タバコを消して革ジャンを着ようとすると携帯が震える。ガラケーを開くと画面には「非通知」の三文字が表示されていた。出るか迷ったが、師匠かもしれないと思うと無視できなかった。可愛がっている後輩たちがたまに連れてくる名前の知らない後輩たちというケースもあり得る。

「本当にやめるのか」

「……電話出て第一声がそれか」

「ドッキリかと思った。しょうもないと思って相手にしなかった。でも、もうすぐ今日も終わるし、ネタバラシ的なのもないし、ようやっと本当だと分かって慌ててかけた」

「お前なぁ」

 嘘をつくのが下手なのは養成所の頃から変わらない。嘘が下手過ぎるがゆえに演技も下手だ。SNSで何度大根役者と叩かれても、しぶとくドラマに出続ける姿には感服する。何回ネタ合わせをすっぽかされたことか。3週連続で劇場に遅刻した時は、師匠に申し訳ないし後輩に示しがつかないしで本当に恥ずかしかった。

「俺、お前居ないと何も出来ないんだけど」

「俳優だからって威張ってたのはどこの誰だよ」

 数年前、まだコンビでの仕事があった頃。ちょうどこいつが初めてドラマに出て楽しかったと話していた頃でもあり、バラエティーからドラマに移った知り合いのディレクターに出してくれないかと頼んだことが何回かある。そんなことも知らずに「また出演が決まった」と自慢された。

「やっぱ俺お笑い芸人だわ、お前とネタしたいよ」

 都合が良い奴だな、マイク一本で勝負する時代は古いって言ってたのお前だろ。そう言いかけたがこのままでは芸人最後の日が喧嘩で終わってしまうのは嫌だ。17年間相方だったのだ。最後くらい何事もなく仲良しなフリで終わらせたい。

「悪いな、もう決めたことだから」

「でも……」


 黙った刹那、壁かけ時計が鳴った。どうやら日付が変わったらしい。俺は今日から、元芸能人だ。

「もうやめさせてもらうわ」
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