第1話

文字数 3,609文字

 私は家出した。
なけなしのバイト代を握りしめ、雨風を凌げるネカフェ、カプセルホテルを探したけれども、そこで夜を越すには大人であることの証明が必要だ。
大人もなにも、私はまだ18歳になったばかりの高校生だ。
泊めてくれる友人なんていなかったし、そもそもいたとして、家出なんてトラブルに巻きこめるはずはない。
仕方なく、SNSで相互フォロー関係のみづきさん宅にお邪魔した。
事情を話すまでもなく、日頃から親と上手くいっていないことをSNSに流していて、みづきさんはよくそれにコメントをくれる人だった。
「大人になるまでの辛抱だよ」
みづきさんの定番のはげましだ。

「もう母親にはうんざり」
学校から帰宅し、コンビニに行ってくるといって制服のまま家を飛び出した後。私は東京へ向かう電車のボックス席に座ってそうSNSに投稿する。みづきさんから即座にいいねがつき、リプライがくる。
「今日はどうしたの?」
待ってましたとばかりに、勢いよくスマホに文字を打ち込む。
「私は私なのに、『誰ちゃんがどうしてすごいわねえ』とか、そういう話ばっかり聞かせてくる」
思い出すだけで、手元のスマホを投げつけ怒りをぶちまけたい衝動に駆られる。でも、投げつけて壊れたらめんどうくさいので、代わりに文字を打ち込む指にぎゅっぎゅっと力をこめる。この力が超能力で母親に伝わって、精神的ダメージを与えられればいいのに。
「私は私で母親がうるさいから勉強頑張ってるのに、良い成績とっても褒めてくれない。かといって成績落とせばヒステリー」
私は自慢のポニーテールの毛先をいじる。真っ黒でよくまとまるつややかな髪。クラスメートがよく褒めてくれる。特にこれといった手入れはしていないのが、逆に髪にはいいのかもしれない。
スマホを一旦カバンにしまい、緩んだポニーテールを結わいなおすと、再びスマホをとりだしSNSに投稿する。
「たまにクラスメートを家に連れていくと、『こんな成績だけのつまらない子と遊んでくれてありがとね』とかいいだすし」
「それは酷いね」
「私これから東京に行く」
「今から? 帰るの遅くなると怒られるんじゃない?」
「大丈夫」
私はそうSNSに投稿して、みづきさんからいいねがつくのを確認すると、東京につくまでひと眠りした。

「綺麗だね」
みづきさん宅でお風呂に入ったはいいものの、制服しかないので、みづきさんの男物のTシャツと短パンを借りた。みづきさんは男性としては小柄なほうだが、156cmの華奢な私には大き目で、フィットしているとはいいがたい。
だぶついた服装で風呂場からでていくと、避けては通れないだろうとは思っていた、微妙な空気が流れる。
私が女でなければみづきさんは泊めてはくれなかっただろうし、けれどもし私が男であれば、野宿も可能だったかもしれない。
心の中で大きくため息をつくと、流れに身をゆだねることにする。みづきさんはハンサムとは呼べないものの、小奇麗な身なりで、嫌いではない。
しかし、あまりにベタな成り行きでときめきがないし、30過ぎた男が、泊まる場所に困った生徒に手をだすって倫理的にどうなんだろうか。
私も18歳だし、法律的にはセーフだとかいう問題ではない。

 改めてみづきさんのワンルームの部屋を眺めると、綺麗に整理整頓されているのに感心する。服が散乱していることはないし、ビールの空き缶が転がっていることもない。
本棚を見ると、ニーチェ、ドラッカー、ドストエフスキーなど、聞いたことはあるが読んだこのない本がぎっしり詰まっている。本棚の片隅には「男のイタリア料理」などと銘打たれた数冊の薄い本も見える。
頭のいい人ではあり、女がいないと生活できないような、家事のできない男とも違うのであろう。

 私とみづきさんはソファに隣りあって座る。みづきさんは私の顔を両の手で優しく包み込み、みづきさんの方へと向ける。みづきさんと目が合う。
みづきさんの目の奥では、光が儚く瞬いている。強く光を放ったかと思えば、消えいりそうなほどに小さくなり。なんとなく、大人の女性には向かえない人なんだろうな、と思う。私に迷いなく手をだしてくるあたり、恋愛経験はそれなりにある人だと思っていたのだが、ひょっとしたら決死の覚悟で挑んできているのかもしれない。あるいは、子供だからと舐められているのか。
みづきさんは私に顔を近づけ、私の唇めがけて吸いついてくる。その刹那、私は立ち上がる。みづきさんはびっくりしてソファから落ちる。
「やっぱり帰ります」
馬鹿らしくなった私はそう宣言すると、風呂場に戻り、制服に着替える。
風呂場の外からはみづきさんの声が聞こえる。
「帰るっていってももう終電ないよ」
「大丈夫です」
私は当てのないまま断言すると、鏡を見て、制服を整え、髪をポニーテールに結う。
「よし、いつも通りかわいい」
自画自賛すると、風呂場をでて、みづきさんにはきはきと挨拶をする。
「今日は突然お邪魔して大変申し訳ありませんでした」
私はみづきさんの顔も見ずに言って一礼すると、部屋からそそくさとでていく。

 繁華街が近いからか、外はまだ人でにぎわっている。夜遅く出歩いているのは私だけではないのだなと思うと、少しほっとする。道ですれ違う人々は居場所を失った人たちで、刹那的な慰めを求めて徘徊する、仲間なのだ。
私が制服だからか、ちらちらとこちらを見てくる人もいるが、大概の人は無関心で素通りする。
それぞれがそれぞれの事情を抱えているのだから、立ち入りは厳禁。たとえ、私のような制服を着た生徒であっても。
そして、そんな街にも、折りを見て初夏のぬるい風が吹く。風は心地よく私を包み込み、あなたはあなたでいいんだよ、と私を愛撫する。もう少しだけここにいたい、そう永遠に思ってしまいそうな愛撫だった。

 私は、みづきさん宅に行く途中で見つけた24時間営業のファーストフード店に徒歩で向かう。
こんな夜更けにもお構いなしに、煌々と光を放つファーストフード店に入ると、閑散としている。
蛍光灯の強烈な光の下で、疲れたサラリーマン数人が、スマホをいじったり、黙々と食事をしている。光を媒介に、独裁者が彼らに行動を指示するので、彼らは自分の意志とは裏腹な行動をとっているのだ。本当は止まりたくても、家に帰りたくとも、指示に駆り立てられて、止まれない。夏の虫たちが、光に集うのと似たようなものだ。
カウンター越しの店員は、私を目にとめるやいなや、カウンターの奥に入り、店長らしき人と一緒にでてくる。
「失礼ですが、生徒さんですか?」
店長は私の顔を覗き込みながら、尋ねてくる。
聞かれるまでもなく、制服姿である。
「親御さんのお名前と電話番号、いただいてもいいですか?」
私は素直にカバンからノートをとりだし、その隅に必要事項を走り書きして破り、店長に渡す。
店長は再びカウンターの奥へと入る。私の親と電話しているのだろう。しばらくして、タクシーが店の前につけられ、私は家へと輸送された。

 家へ帰ると母親が泣いていて、父親がそれを慰めていた。
もう40半ばだというのに、シワ、シミ、白髪、何1つない母親。生活習慣、手入れ、どれも手を抜かないためだろう。というと、完璧で素晴らしい母親に聞こえるが、結局それも、仲間内で劣る相対評価をつけられるのを恐れての行動にすぎない。完璧主義が母親自身にだけ向くのであれば私には実害がないが、私にまで向けられるのが現実だ。他人からの相対評価をもとに生きることほど病むこともあるまいに。
「どういうこと?」
母親は泣きながら詰め寄るが、私に返す言葉はない。ここで親に対する日頃の文句を言ったところで、「反抗期の娘」のレッテルを貼られ、それに苦しむ娘思いの親の構図ができあがるだけだからである。
病的な完璧主義に、愛情というラベルがつけられて、それを受けとらなければ親不孝な娘とレッテルを貼られる。愛情をもとに家族という形があるべきなのに、形を維持するために、愛情ではない、歪んだ欲求に愛情のラベルをつけ、もてはやす。もはや、形ですらなく、ペルソナと呼ぶべきものかもしれない。書類と血縁と、愛情のある振りだけで繋がっている共同体。どこを探しても愛情なるものは見つからない。
家族が最後の砦なのかもしれない。個人主義が台頭し、共同体は解体され、残されたのは家族という最小構成のみ。家族が解体されたら、何を依りどころに生きていくのかということなのだろう。人々は暗黙のうちにそれを察し、だからこそ、なんでもかんでも愛情とラベルをつけて、必死で家族というペルソナを守ろうとするのだ。
みづきさんも、私を理解したような言葉をかけてくるが、それはあっさり剥がせるペルソナでしかない。別にそれ以上のことを期待していたわけではないが、少々失望したのは確かだ。
家族の体をした存在と、理解ある大人の体をした存在、どっちのペルソナがマシかの問題でしかないのである。
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