第1話 聖剣エクスカリバー

文字数 4,304文字

 目の前にある血溜まりには、滅多刺しとなった両親と妹の死体が転がっていた。その血溜まりの中には、キッチンからぼくが持ってきた出刃包丁も転がっている。

 やってしまった。
 その思いがあるだけで、後悔の念はぼくの中にないようだった。そして、どうせ殺してしまうのならば、もっと早い方がよかったとぼくは思う。

 ぼくは今年で十九歳になる。未成年には違いないが十九歳で三人も殺してしまえば、死刑になるのではないかと思ったのだ。昔、そんなような話を聞いた記憶があった。

 だから、どうせ殺してしまうのなら十五歳ぐらいの時に殺しておけばよかった。そうすれば、三人を殺したとはいえ死刑になんかはならないのかもしれない。そんな後悔の念が少しずつ湧き上がってくる。

 死刑は嫌だった。死ぬのも怖いし、何よりも死刑に至るまでの長い過程にぼくは恐怖を感じた。きっと短くはない期間の裁判があって、死刑が決まってから執行されるまでの時間。そんな長い時間を死の恐怖を抱えながら生きていくことになるのだ。

 ぼくは十三歳の時から部屋に引きこもっていた。もう十九歳なのだ。親に言われるまでもなく、ここで引きこもりを止めなければ、一生引きこもりが続く気がしていた。誰に言われるまでもなく、そんなことはぼく自身が一番分かっていた。
 
 周りには置いていかれる一方だとの焦燥感がぼくには常につきまとっていて、それを解消する術もない。解消するには引きこもりを止めるしかないのだが、それができないから引きこもっているのた。

 どうにもならなかった。手詰まりだった。まさに人生が詰んでいるとぼくは思っていた。

 そんな現実と現実に対する焦燥感に背中を押されたのかもしれなかった。ぼくの気持ちを無視して小言しか口にしない両親を勢いだけで殺し、ぼくをいつも馬鹿にしている妹をぼくは殺してしまった。

 さて、どうしたものかとぼくは思う。死刑になるのは嫌だったが、逃げられるはずもないといったことぐらいは想像がついた。だからといって、自殺をするような真似も怖くてできなかった。

 ならば死刑は怖いけれど、やっぱり人を殺しましたと警察に電話をするのが正解なのかもしれない。

 でも電話は嫌いだ。そもそも電話だけではなくて、人と話すことがぼくは単純に緊張をしてしまう。それに電話なんてもう何年もかけていないのだ。間違いなく電話口で言葉を噛んでしまう自信がある。

 ぼくは大きくて長い溜息をついた。でも、それで今の状況が変わるはずもない。今度は少しだけ目を閉じて、開いてみた。もしかしたら死体がなくなっているかもしれない。これは悪い夢なのかもしれないとの思いがあったのだ。

 だけれども、目を開いたぼくの視界には変わらずに両親と妹の無惨な死体が転がっていた。

 やれやれだ。どうすればいいのか。その時だった。まるで天啓のようにぼくの頭に閃くことがあった。

 そうなのだ。どうせ捕まって死刑になるのだ。ならば、捕まる前に自分を虐めたクラスの連中に復讐をするのだ。既に三人殺しているのだ。四人殺そうが、五人殺そうが死刑になるのは変わらない。

 その考えはぼくにとってとても素晴らしい物に思えた。だけれども、その考えはすぐに否定することになった。

 そもそもぼくを虐めていた奴らが住んでいる家が分からない。仮に分かったところで、六年ぶりに顔を合わせることになるのだ。もしかすると顔を見ても、それが本人だと分からないかもしれない。

 ぼくはそこまで考えて再び大きな溜息をついた。すると再び天啓が閃いた。どうやら今日のぼくは冴えているらしかった。どうせ捕まるのであれば、警察に捕まる前に悪人をやっつけるというのはどうだろうか。

 引きこもりの人殺しが最後にいいことをするのだ。そう。ダークヒーローの勇者みたいで格好よくはないだろうか。ダークヒーローとは少しだけ違うのだろうか。よく分からない。

 でも、その思いつきに興奮したのだろう。自分の顔が上気していることにぼくは気がついた。

 そう思いながら視界の中にあった血まみれの包丁を見ていると、それはダークヒーローの勇者が持つに相応しい聖剣エクスカリバーのように思えてきた。

 そうなのだ。これこそぼくが装備するためにもたらされた物なのだ。ぼくはこの聖剣エクスカリバーを持って、悪人を斬るのだ。きっとぼくは地上に残された最後の勇者なのだ!

 そうと決まったダークヒーローの勇者であるぼくの行動は早かった。血塗れの服を脱ぎ捨ててぼくはシャワーを浴びる。ついでに血で汚れていた聖剣エクスカリバーも綺麗に洗って、ぼくはそれをスポーツバッグにしまい込んだ。

 帽子を被って聖剣エクスカリバーが入っているスポーツバッグを片手に玄関で靴を履いた時、ぼくはふと気がついた。

 ……悪人ってどこにいるのだろうかと。




 悪人の居場所は分からなかったけれど、いつも悪いことをしている奴なら知っていた。ヤクザと言われている連中だ。

 ヤクザと言えば新宿だろうと思い、ぼくは歌舞伎町に向かった。こうして答えがぽんぽんと出てくるなんて、やはり今日のぼくはとても頭が冴えているらしかった。

 思えば外に出るのも久しぶりだ。電車に乗るのなんて数年ぶりだった。最後にいつ電車に乗ったのかも思い出せない。

 もの凄く緊張した。速い胸の鼓動が聞こえてくるようだった。それでもスポーツバッグの中に聖剣エクスカリバーがあるのだと思うと、少しだけぼくは落ち着くことができた。

 夜の新宿歌舞伎町。初めて来たのだが、思っている以上に人が多かった。行けばヤクザにすぐ会えると思っていたのだが、周囲を見渡してもそれらしい人はどこにもいない。

 歩いている若い女性の全てがテレビで見たような派手なキャバ嬢で、歩いている若い男の全てがテレビで見たような派手なホストのように思えた。ぼくは想定外の雰囲気に完全に飲まれていた。

 ……このバッグの中には聖剣エクスカリバーがある。ぼくはダークヒーローの勇者で、ぼくには聖剣エクスカリバーがあるんだ。聖剣エクスカリバーが……。

 道の真ん中で雰囲気に圧倒されながら立ち尽くすぼくは、呪文のように心の中でそれを唱えていた。

 その時だった。背後からぼくにぶつかってきた者がいた。その衝撃でぼくは前方にたたらを踏む。

「ぼーっと突っ立ってるんじゃねえよ、デブ!」

 不意の怒声に冷や汗が走る。怒声が上がった背後を振り返ると、二人の男が立っていた。一人は茶髪でホストみたいな格好をした若い男。一人は三十半ばぐらいのおっさんだった。

 ……このおっさん、ヤクザだ。
 ぼくは心の中で呟いた。

 おっさんは見るからにヤクザですといった格好をしている。ヤクザの見本市があればそこに出品できるような格好だ。

 探していたヤクザが目の前にいる。ヤクザは悪い奴なのだから成敗しないといけない。ぼくはそのために両親と妹を殺したのだから。

 ……あれ、違ったかな? まあ、何でもいいや。

 ぼくは男たちに向き直って仁王立ちとなった。そんなぼくを見て若い男が苛立ったような表情を浮かべる。隣のおっさんは、そんなぼくを見て何故か訝しそうな顔をしていた。

「文句でもあんのか、デブ。邪魔なんだよ、どけ!」

 怒声混じりの言葉を放った若い男をヤクザのおっさんが意外にも止めに入った。

「おい、ハジメ、こいつはやべえぞ。多分、やべえ」

 何がヤバいのかぼくには分からない。分からないままで、ぼくは少しだけ慌てて口を開いた。このまま彼らにどこかへ行かれては困ると思ったのだ。ようやく見つけたヤクザなのだから。

「お、おみゃーたちは悪い奴だな。このしぇーけんえっくしゅきゃりばーで……」

 噛んだ。最初から思いっきり噛んだ。立て続けに噛んでしまった。名古屋人のようだった。
 まあいいやとぼくは思って、スポーツバックの中で聖剣エクスカリバーを握った。

「こ、このしぇーけん……」

 また噛んだ。もう面倒くさい。ぼくはスポーツバッグから聖剣エクスカリバーを取り出した。

 いつの間にかに周囲には人だかりができていて、聖剣エクスカリバーを握ったぼくを見てのことなのだろう。悲鳴にも似た感嘆の声があがっている。

 そうなのだ。誰だって感嘆の声を上げるに決まっていた。ぼくは聖剣エクスカリバーを持つ格好いいダークヒーローの勇者なのだから。

 そう。さっきだって悪いモンスターを三体もやっつけてきたばかりなのだ。そう。ぼくは勇者なのだ。
 ……あれ? 何か違ったかな? 色々と違う気がする。まあ、何でもいいんだけど。

「おい、ハジメ。お前、刺されてこい。その隙に俺がアイツをぶっ殺す」

「え? 斉藤さん、勘弁して下さい……」

 正面にいる悪いモンスターたちがよく分からない会話をしている。悪いモンスターのくせに人の言葉を話すなんて生意気なんだぞ。

「おらっ、行けっ!」

 ヤクザモンスターがホストモンスターの背中を蹴りつけたようだった。酷い奴だとぼくは思う。

 ホストモンスターは奇妙な叫び声を上げて、たたらを踏みながらこちらに向かってくる。

 くそっ! 超音波攻撃だな。だけど、ぼくは負けない。
 ぼくは聖剣エクスカリバーを持つダークヒーローの勇者なのだから。
 ぼくは聖剣エクスカリバーを振り上げた。

「食らえ! 聖剣エックス……あれ? 聖剣カリパー……あれ? もう何でもいいや。食らえ!」

 ぼくは聖剣エクスカリバーを振り下ろした。更に奇妙な声を発してホストモンスターが必死の形相で身を捩る。

 くそっ! 外れたか。もう一撃だ。勇者は負けないんだからな!

 ぼくが心の中でそう叫んでもう一度聖剣エクスカリバーを振り上げようとした時、ヤクザモンスターの顔がぼくのすぐ真正面にあった。

 ヤクザモンスターは凄く嫌な顔をしていた。そう。それは昔、ぼくを虐めていた友達がよくしていた顔だった。

 ヤクザモンスターが銀色に光る棒のようなものを振り上げた。ぼくはそれをただただ見上げていた。

 ……あれ?
 ……初めて死にたいと思った時はいつだったっけ?
 
 クラスでバイバイ菌って仇名をつけられた時?
 透明人間ごっこでクラスの皆に無視されて、見えない人のような扱いをされた時?
 万引きをさせられた時?
 カビが生えたパンを食べさせられた時?
 ダイエットと言われて、冬の川で裸にされて泳いだ時?

 きっかけがあり過ぎてもう覚えていない。その時にぼくが死んでいれば、きっとお父さんもお母さんも、そして妹も死ぬことなんてなかったのに。

 ……皆、ごめんね。

「死ね、デブ!」

 その直後、今まで経験したことがないような強い衝撃がぼくの頭部を襲った……。
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