第1話

文字数 1,132文字

いつもの日常。

散らかった部屋を出て、埃臭い電車に乗りインターネットを見て時間を潰す。
降りたホームで人に揉まれて職場に行く。
無心で仕事をこなしてミスをしたら謝る。
残業もそこそこに人がまばらになった埃臭い電車に乗って帰る。
帰りにコンビニに寄って弁当やら酒やら栄養バランスの悪い晩御飯を買って帰る。
食べ物を口に放り込んでさっさとシャワーを浴びて寝る何にもない日々。
それが普通だった。


だが今日は違う。


いつものように散らかった部屋を出て電車に乗る、そこには異質なものがあった。

人だ。とても美しい人。

顔は小さく背はすらりと高い。白い肌に厚みがあり血色の良い唇。眼は大きく長いまつ毛がくるんとカールしている。背中まで伸びる金の髪は細くサラサラして体を撫でている。
遠くから見るとマネキンや蝋人形かと思うほどに美しい男の子。少年というには落ち着いている上、威圧感を感じるが、青年というにはどことなく幼さが残る。そんな不思議な人。

私はあまりの異質さに目を奪われて立ち尽くしていた。だがそれは他の乗客も同じようで皆乗車してすぐ立ち止まっては、ハッと正気に戻って早足で座席に座ったり端に寄って興奮した様子で携帯電話を触り始めたりしている。
彼は立っているとかなり窮屈そうなのに座ると隣のサラリーマンと大きさが大して変わらなかった。
彼が座席に座ることで車窓が額縁に、背景がすごい速さで変わる絵画が出来上がった。彼がいるだけでその場が芸術作品になってしまう、それくらい彼の容姿と彼の持つ雰囲気は凄まじかった。

私はその光景を見ながら「これは私の見ている夢ではないか?」と思い始めた。
毎日が退屈で仕方ない私が通勤途中に見る幻。
幻想だと思うほどに彼は美しくて浮いていた。眩い金色の髪、輝く濡れた瞳、透明感のある肌、どれ一つとして自分と同じもので出来ているなんて思えない。


永遠とも思える時間を過ごしているうちに車掌のアナウンスで現実に帰る。会社の最寄駅に着いたのだ。
ゾロゾロと人が降りる列に並んで私も下車する。彼は電車に乗ったままだった。

これからまた仕事をこなしてミスしたら謝って……退屈な“普通の日”に戻るのだ。


そうだろうか?

私は今日見たものを忘れない。
多分一生忘れはしない。

明日また彼に会えるかもしれない。もしかしたら今夜電車に乗っているかもしれない。今度はもっと近い距離にいられるかもしれない。さらには、いつか彼と話ができるかもしれない。

そう思うと私の心は浮き足立つ。ソワソワして落ち着かない。私の中から“退屈”の“た”の字も無くなっていった。

彼は突然私の世界の中に入ってきて、その金糸の色に染めていった。この際幻想でも幽霊でもなんでもいい。

金色に染められた、美しい人。
世界がその色に輝き始めた。
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