第1話

文字数 1,359文字

 山嵐が吹いて、電車が一時停止した。山に囲まれた平野を走る始発列車に乗っていた私は、風にガタガタと揺れる車内で待つ事になった。車窓からは、まだ水も張っていない田植え前の田園が一面に広がり、奥には雪化粧の残る小高い山々が連なっているのが見える。線路は盛土の上に通されていて、その脇には風除けのために桜並木が広がっていた。私の利用する長等山線は、地元の人には風に弱い事で知られているから特に驚きはしないものの、通学に普通のときでも二時間かかるのに、これでは何時間乗る事になるのだろうと先が思いやられて、私は思わず溜息を吐いた。

「溜息吐くと幸せが逃げるぞ?昔お袋に言われんかったか?」

 声をかけられて、私は頭を上げた。がらんどうの始発列車の車内では、すぐに声の主を見つけることができた。声の主は、今は向かいの客席に座る同じクラスの佐久間君だった。同郷で小さい頃から知っていて、小中高とずっと同じ学校だけれど、気の置けない仲という程親しくはない微妙な距離感の人で、私の片想いの相手。高校に入ってから急に背が伸びて、顔もカッコ良くなった。野球部ゆえに短い黒髪と浅黒の肌。佐久間君は私を見て、悪戯な笑顔を浮かべていた。私は頬を桜色に染めて言い返す。

「いじわる〜!ちょっとくらいいいでしょう。だって、これから何時間待つと思ってんの?」
「何時間って…。三時間くらいだろ?」
「はあ〜」
「おいおい、三時間くらいなんともないだろ!」
「いいよね、体の頑丈な人はさ」
「なんだそれ。体は関係ないだろ」

 そう言って佐久間君はカラカラと声をあげて笑った。黒い肌に白い歯が映えて見えた。

「ねぇ、三時間も何しているつもりなの?」と私は呆れた顔で聞いてみる。佐久間君はさも当然の様に答えた。

「ずっと窓の外見てる」
「えっ!?それだけ」
「それだけってなんだよ。いつまでも見てられるだろ」
「ええー、そんな事ないよ」
「いやいや、見てられるって!」

 そう言って佐久間君はおもむろに立ち上がった。どうしたのだろうと不思議がる私をよそに、彼は私の横にドカリと腰掛けた。不意を突かれた私は、そのまま固まった。

「ほら、例えばあそこの山。まだ雪が残っとるだろ?でも、あの山より高いあっちの山の雪は溶けとる」

 佐久間君はどの山の話をしているかを分かりやすくするため、私の顔に自分の顔を寄せて、私に分かる様に指差しをしてくれた。「近すぎ!」と思いながらも、私は山など見ずに、横目で彼を見つめていた。

「んで、何であっちの山の方が解けとるんだろって考えるんだ」

 彼の真剣に説明をする顔は、とてもカッコ良くて、その目はキラキラ輝いている様に思えた。彼がふとこちらを見る。そして、訝しみながら笑った。

「おい、ちゃんと聞いとったのか〜?」
「ご、ごめん。車掌さんの方が気になっちゃって。もう一回教えてくれる?」
「しょうがない奴だなあ」

 彼がまた話を始める。私はニヤけそうになる口角にぎゅっと力を込めて、それを隠す。そして、彼の横顔を見つめ続けた。車窓の外には、山嵐に散らされた桜の花びらが舞っている。私は出そうとしていたモバイルバッテリーをこっそりと鞄に仕舞い直して、彼の話を聞いているフリをする。
 ありがとう、山嵐(ヒーロー)さん。私は心の中で、突然もたらされた幸運に、手が擦り切れるほど感謝していた。
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